第九節 春を待つ、蕾達。
「それにしても、柊扇の挨拶は堅過ぎねェか? もうちょっと楽に出来ただろ」
「相手は上級生。ここ数十年来の中学庭球界の王者だ。気に入らんが、敬意は払う必要がある」
「気に入ら無いって言うなよ」
対外試合に来た他校生用の控え室に通された一同は、雑談を交え着替えていた。〝絶対王者〟と冠される相手に対し、どこか余裕を覗かせる。
「皆さん、細い身体ですねェ。ちゃんと、ご飯を食べていますか?」
彼らの余裕も確認した上で、身体の線に目が行く辺りは保健医らしさを見せる深歳に、同性だと分かっていても気恥ずかしくなったのか、都長が
「なッ、何を見てるんですか、監督!」
「恥ずかしがる事ないでしょう。大切な事です。身体が仕上がる時期ですから、食事や運動には細心の注意をしないと。
住む地域や個人の体質によって、不足しがちな栄養素も変わります。今度、調査しましょうね」
「本格的ですね」
「当然です。未来溢れる大切な若人の心身を、預かっているのですから!」
「……ありがたい事です」
着替えを終えようとする、青一郎、礼衣が、深歳の
「さすがは連堂。控え室も立派じゃし、練習場も広いのゥ」
「やっぱ、常勝校は何もかもが違うんだな~」
「あはは。それは仕方のない事です。練習場に関しては、今日は女子部が休みなので、その分を男子部が使えるんです。
もちろん、男子部が休みの時は女子部が。ここの庭球部は、そうやって一人でも多くの部員がコートに入れるように協力しているんですよ」
「考えていらっしゃるのですね」
「第一部正選手や取り巻きの部員は、日頃から別行動なので練習場所に困る事は、なさそうですけどね」
連堂が抱える事情に、皮肉を込め説明する深歳の話を聞く一角もあれば、別の一角は、今までの練習には無かった、士紅の付加装飾に気を取られていた。
「……丹布。その布は何だ?」
礼衣の好奇心が、くすぐられた先には、額と左上腕部に
「汗止めみたいな物だよ。それ以前に、これを巻くと気合いが入る」
「腕は分かりかねるが」
「こっちは、お
「どうせなら、蒼海の青い布を巻けば良いものを。よりによって、連堂の校色の一つである、赤を選ぶとは」
「この色が善いんだ。それとも何だよ、私の眼球まで青くしろと言うのか。
ん? どうなんだ柊扇?」
「そこまでは言っていないだろう」
茶化し全開で、白い指先で自らの
「昂ノ介って、丹布君に遊ばれているよね」
「……言い方が悪いぞ。見えるには、見えるがな」
「うんうん。ついでに言うと、在純にもからかわれてるよな~」
「そんな、酷いな。おれは、いつも誠実に接しているのになァ」
「……その割に昂ノ介は、たまに冷や汗をかいているぞ」
「なッ、それは、お前もだろう礼衣ッ」
いつの間にか、この会話の聴衆になっていた面々が、誰ともなく笑い出す。
信頼関係があってこそ冗談で笑い合える話題に、笑われた方も不快感より、笑い飛ばされた方が気が楽になっていた。
何より、笑いは〝ハレ〟を招き、〝ケ〟を
○●○
「残り一球だ。決めてしまえよ」
防護柵の向こう側から、内側の試合場で戦う仲間に対し、静かに
「当然だ」
言葉を受け、年令と釣り合わない貫禄を
カウントは「40ー15」。
ワンセットマッチの試合終了のコールは「6ー0」。
蒼海・柊扇の勝利との、審判の高らかな宣言が、絶対王者の連堂側の陣営から溜め息を誘う。
「……少々、探り合いに時間を掛け過ぎではないか?」
コートと、相手側の監督への一礼を欠かさず戻って来た昂ノ介に、タオルを差し出す礼衣が話し掛ける。
「遊んでいた訳ではない。見知らぬ相手との手合わせが新鮮でな」
「甘いな柊扇。たった数日、試合場に立て無かったからと言って、舞い上がるなよ」
珍しく笑みを浮かべる昂ノ介と、入れ替わりコートに向かう士紅が、憎まれ口を残して通り過ぎる。
「これから全国を目指す人間が、この程度で浮かれるな」
不敵に一つ笑って残すと、士紅は防護柵の向こう側の者となり、試合開始のコールに備え控えた。無論、審判、試合場や対陣の面々への礼も忘れずに。
揺らぐ事の無い
入部以来、学校の部活動ではコートに立ちラケットも握る事も出来ず、顧問兼監督の深歳が復帰してからも、具体的な指導はないまま。
だが、今。初の対外戦、最終戦を残した戦績は、1ゲームも落とさず圧勝している。
新入部員の八名全員が時間を作っては集まり、頼もしい限りの〝リメンザの申し子達〟による経験者からの視点、注意点、戦略の討論。
何より重要な基本的な規則の確認。照明の下、倒れるまで打ち合う事もあった。
短期間で詰め込まれた知識や運動量から、誰も根を上げず逃げ出さなかった。総ては、蒼海学院中等科男子庭球部を、全国へ導く明白な目的を見据えたからこそだ。
「強ェ。対外戦の一年も選抜されたヤツらなのに、全然相手にされてねェじゃんか」
「蒼海の一年生は、手も抜かず見せ付けるように全力で
この分では、全国への最大の障壁となるだろうな」
本日は、対外戦の見学と決め込んだのか、連堂の第二部正選手陣は油断ならない相手と認め、三年の山都、四年の第二部長の恩村が、感じたままの思いを語る。
「な、何を言うんですか。相手はこの間まで小学生だったヤツらですよ? 公式戦に出られるワケありませんよ!」
「そうですよ。あいつらの学校だって、簡単に公式戦に出られない〝シキタリ〟があるじゃないですかッ」
絶対王者。その旗下にいるからには揺るがない信望がある。
だが、連続する目の前の敗戦。大将が口にする未知の可能性に、浮き足立つのは無理もない現象だ。
「それはどうかな。あの顧問は、かなりのクセ者。競技者の
現に、監督自ら、前例のない一年生を率いて、対外戦を実行している」
「え? 恩村第二部長、知ってるんですか? あの蒼海の監督って人」
「婿養子に入って姓が変わっているが、旧姓『恩村圭』。
おれの叔父だよ」
「どこかで見たと思ったら。
そうか、そうだよ! 〝天才・恩村〟!」
普段は物静かな一年の椛が、先程の記憶にある届きそうで、届かなかった場所に辿り着いた事と、憧れの相手への興奮も
「かつて、高校入学と同時に休学し庭球界へ参入。
数々の番狂わせを演じ、四大栄冠を数度制すると、高校卒業時期に引退。
復学し、そのまま大学へ進学した」
椛の後を受け、四年の古桜が説明する。驚く事に、当時の恩村圭氏は世界を渡りながらも、
「身内自慢になるが、事実は事実。
頭が固い、蒼海学院の部活動委員会が、あんな型破りな叔父を顧問に
蒼海学院中等科、庭球部の新監督兼顧問の正体が明らかにされた所で、試合模様は晴れはしなかった。
「ああッ、もう! 何て動きしやがるんだ! あの青髪野郎!」
「嘘だろ!? あんな球、普通取れねェだろ!」
「フザケた色に染めて、目の色まで変えるようなチャラっぽいヤツに、あっさり追いつめられるなんてよォ」
「……あれは自前です。先輩」
「あの青髪野郎の事、知ってんのかよ、八住!?」
「出身は違いますが、僕と同じように外圏から来て居ます」
「あー、だから変な色してるのか」
「ふーん。どこの経済圏か知らねーけど、
「……ええ、まぁ」
恩村は見逃さなかった。
上級生達を相手に会話を重ねる八住旋が、意図して機嫌を損ねる眼を、一瞬挟んだ事に。
それは、親しい者に対する非難に相当すると踏んだ恩村は、確認も含めて尋ねる事にした。
「八住は、丹布君を良く知っているようだね」
「実は、善く知っています。何度か手合わせをしました」
「ほほォ……」
案の定、相手を丁寧に呼ぶと、旋の表情は
「良い勝負だったのかな?」
「
「お前ッ、冗談キツいぜ!? おれ達をボロボロにしといて、そりゃねェぞ!?」
同学年で親友でもある山都が、旋の細い両肩を掴んで揺さぶりながら情けない声を出す。
「仕方無いじゃないっ。あの通り強いんだからさ~。
負けるのが何よりも大っっっ嫌いで、見栄っ張りだから、〝努力? 何の事?〟なんて言いながら、士紅ってば、誰も見て無い所でコソコソ呆れるくらい練習してんのっ。
もう、びっくりするよ。本当に!」
「庭球は、一緒に始めたのかい?」
「僕が始めた頃には、士紅は既に仕上がって居ました。気を付けて下さいね。第一部正選手陣も、勝て無いですよ。
士紅は、昔から口に出した言葉は実現します。眼前に砕け無い壁があっても、難問が立ち塞いでも、必ず」
「どっちの味方なんだ! この野郎!」
再び同級生で、じゃれ始めた旋と山都を眺め、第二部正選手の四年生組が寄り合い、情報を整理する。
「〝リメンザの申し子達〟だけではなく、思わぬ伏兵がいたものだ」
「いや、違うな、斎長」
「え?」
「ダブルスの
「ほほォ。古桜も、そう見立てるか」
「ああ。何より油断ならないのは、蒼海の彼ら全員が勝利に対して、飢え、
「一年生に見えない子達もいるもんね。何だか強そうだし」
「ウチの部員達を、ベタ褒めしてくれて、ありがとうございます」
コート側の柵の向こうから、深歳が話し掛けて来た。
「良い人材が集まったようですね。
深歳監督」
「君の所も、なかなかの逸材が育っているようじゃないの。
恩村第二部長君」
叔父と甥が、防護柵を挟み、無言で互いの競争心を煽り合っている。
しばらく睨み合いも続きになると思いきや、噂の士紅の一言によって
「監督。決めて居られる所、申し訳ありませんが」
「はい?」
「試合終了後の整列なので、席に戻って頂けませんか」
「たハハ……。これは失敗」
表情も姿勢も崩し、深歳は士紅と共に所定の位置に着く。
「変に決めようなんてするからですよ~」
「監督ってば、カッコ悪いですって」
「なかなか、楽しめる試合じゃったのゥ」
「こんな事で、満足してもらっては困るよ。
少しは丹布君を見習って、相手が誰であろうと全力で叩き伏せてもらわないとね」
「そ、そうだな。我々の高見は、常に全国にあるのだからな」
「……その通りだ」
「必ずや、辿り着いてみせましょう」
「あぁ。当然だ」
「……もう無敵だ。あの集団。
今年の全国大会の覇者は、蒼海で決まりだな~」
1セットも取れなかった全敗の結果に、泣いて
対陣に士紅が居るから当然の結果。風景を見据える旋は、それを理由にするつもりなど無い。
ただ、率直に相手側の雰囲気を見て感じた事だった。
「来年は、譲る気なんて無いから覚悟してよね」
誰に伝えた言葉では無かったが、旋の黄金色の双眸の先で変化は起きた。
「何度でも、叩き伏せてやるよ」
木々の芽吹き、陽と大地の匂い。姿や形に映ら無い〝モノ〟。春の気配は、すぐそこまで来ていた。
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