第八節 絶対王者・連堂学園庭球部。




「フぎゃ~ァァァア!!」


 高等科との共有する特別校舎の一階に設置される、運動部顧問が待機するための一室に、八名は収まった。


 入室早々の大音量の泣き声に、留守役・用事を処理する教師達が非難がましく一蔑いちべつし、関わりを断つように一人残らず顧問室から屋外へ退席する。


 役割を放棄する大人達に構う事はせず、八名は問題の打開を果敢かかんにもこころみた。


「おォ~。部屋に入ると、一段と声がデカく感じるな~」

襁褓おしめが濡れているのでしょうか」

「ん~……。替えたばかりだな」


 士紅は、左手で乳幼児を膝の裏からすくい抱く。右手で、その尻に軽く触れ、具合を確かめる。

 すると、間が短いもった電子音に数名が気付き、千丸が音源を探し当てた。

 それは、誰かの私物の鞄。泣く乳幼児。タイマーの音。この二つを繋ぐ可能性の一つを、青一郎は言葉に出した。


「あ、もしかして、お腹が空いているんじゃないかな」

「……恐らく、この子は三~四カ月。人工乳も与えられる頃だ。その場合、食事の間隔は、およそ三~四時間。

 青一郎が言うように、空腹の可能性は高いな」

「火関、良い親父になれるぜ」


 礼衣の知識量の多さは周知だが、まさか乳幼児の事まで範疇はんちゅうだとは思わず、メディンサリ辺りがなかば呆れつつ感心する。


 私物に触れるのは気が引けたが、乳幼児用の鞄は、別扱いで分けられていた事もあり、事後承諾を覚悟で乳幼児の食事を作成するに至った。

 持ち寄る知識と経験で、全員消毒し、哺乳瓶と人工乳を探す。そこで、士紅が乳幼児を片手で縦抱きをしながら探す姿に、昂ノ介が仰天する。


「バカ者! 赤子を片手で持つな! 粉乳くらい、おれが探す!」

「心配するなよ。落とさ無いから」

「うるさいッ」

「うわ~、甘ったるい匂いだな~」

「乳幼児特有の香りですね」

「なんだか新鮮」

「もうすぐ、君のご飯が出来るから待っててね」


 青一郎の言葉に応えたのか、乳幼児は声量をを増した。空を探る小さな小さな手を、自らの指に掴ませ、安心感を与えてやる。


「ははッ。ちゃんと握ってる~。可愛いな~」

っせェ手だなァ。それでも動いてるし、生きてんだな」


 生命の神秘に、都長とメディンサリが感慨深い思いを巡らせている頃合い。礼衣と共同で作り上げた食事の出来を、満足気に撹拌かくはんする昂ノ介が、士紅に哺乳瓶を渡した。

 様子を見守る礼衣が、即座に忠告を放つ。


「……丹布。まずは人肌に冷ます必要があるぞ」

「あぁ、そうだったな。危ない危ない。今は、どんな感じだ?」

「ァあッついッッッ!!」

「そうか。まだ熱いのか」

「いきなり何をする! 丹布ッ!」

「人肌かどうか、柊扇の首に当てて確かめた」

「本当に説明するなッ! 熱湯を入れたばかりで、人肌も何もあるか! 自分の首で確かめろ!」

「狭量な事だな。減る物では無いだろうに」

「くッ……、この……」


 柊扇と士紅の掛け合いを見ていた面々は、笑いを噛みこらえながら柊扇の救助のため、それぞれ動き出す。

 徐々に赤味が濃くなる。その首筋を冷やすため、保冷庫を物色していた千丸が、普通の透明な氷の他に、白い氷を発見した。

 容器に記された深歳の名前と色と、以前、母親が取っていた方法と、同じ事から察した蓮蔵が、母乳を凍らせた物であると見当付ける。


 渡りに船とばかりに、凍らせた母乳で温度を下げ、人肌に至ったかどうかを確認するため、士紅が昂ノ介を見れば、隙のない恨めしい視線が返って来た。


「隙が無い。面白く無いな」

「うん。大丈夫、人肌まで冷めているよ」


 代わりに、青一郎が温度を確認すると、乳幼児が食事の匂いや気配を感じたのか、泣き止んで青一郎が持つ目標に向かって、小さな手を掻いている。

 その流れで、青一郎が哺乳瓶の口を添えたなら、懸命に口を動かし、生きる本能の全部を使って吸引し始めた。


「うわ~……、すげ~すげ~」

「美味しそうに飲んでいますねェ」

「ハハッ。こういうの見てると、顔が締まんねェな」

「……昂ノ介も、例外なく。……な」

「あははッ。本当だ」

「鬼瓦にも笑顔やの~」

「何を見ている……?」


 士紅の言動も含め、説教の一つでもしてやろうとした昂ノ介が、出入口の扉の変化に気付き、言葉が途切れてしまった。


 直後、深歳が姿を見せ、待たせた事と、愛息に食事を作ってくれた八名の心遣いに、謝罪と感謝を伝えた。

 士紅は子を親に戻し、青一郎は深歳に対して一同に整列を促す。受けた深歳は、姿勢を正し新入部員に伝達を開始する。


「一週間後。連堂学園の中等部と、対外戦を行ってもらいます。相手は進級前の一年生ですが、ウチとは年度が違うので、実質的に二年生ですね」


 どれを取っても質問責めになる深歳の話の内容に、八名の言いたげな表情を押さえ込み、なおも続ける。


「結果を見て、君達は全国大会向けの強化選手になってもらいます」

「お言葉ですが、一つよろしいですか」

「どうぞ。メディンサリ君」

「こちらの慣例によれば、大会に参加する正選手の選抜は、最上級生の六年からだと、聞き及んでおります」

「七件」

「……え?」

「ウチに対外試合を申し込んで来た、周辺校の数。新年度の庭球部にしては、多いと思いませんか」

「……確かに」

「簡単に勝てるので、景気付けになるんですって。弱体化していても、伝統校ですし。

 まるで〝咬ませ犬〟。そんな扱われ方、どう思います?」

「冗談ではありません」


 深歳の言葉に、打つ鐘の勢いで応えたのは、一層不機嫌さを増した士紅だった。


「犬は大好きですが、そんな扱いに甘んじて居るような者は、その性根を叩き伏せます」

「あれ、丹布君は伏せるだけで、直さないの?」

「起き上がって来たら考える」

「うむ。それは、おれも賛同する」

「私は、蒼海で全国へ行くために入学したのです。ここは茶話室や、社交場ではありません」

「……昂ノ介や丹布の理念は横暴ですが、全部員が横並び、仲良く手を繋いで通れるほど、甘い舞台ではないと認識しています」

「それは、全国への挑戦状を叩き付けたと、受け取っても構いませんか?」

「はい!!!!!!!!」


 深歳の黒い瞳に鋭い気迫が宿り、いどむ色を込め、新入部員八名に視線で確認を取る。


 世界をり、渡った者だけが持つ、稀少な圧を鼓舞と変換し受け止め、間髪入れず決意を放つ八名に、深歳は、いつもの締まりのない笑顔に戻ると、一つ、長く瞳を閉じ、開く。


「君達は、私の事を知ってくれているようですし、これ以上の御託も、必要なさそうです」

「庭球に触れる者として、気付かない方が珍しいです」

「……先輩方の、知らな過ぎる態度には驚きました。中には、気付いた先輩もいらっしゃいましたが」

「そんなそんな~。現役引退から随分経つし、気付かない人の方が多いですよ。

 それより、君達は、私の奥さんの方に馴染みあるんじゃないですか?」


 昂ノ介と礼衣の言葉に照れながら、深歳は年令の割に若い笑顔を浮かべる。


「話には聞いとりましたが、お子さんの事までは、気ィ回りませんでした」

「あ、お子さんのお名前、聞いても良いですか」

「『唯至』です。自分で決めた事を信じて、真っ直ぐ生きて欲しくてね」

「良い名前~」

「それでは」


 深歳は、話を戻すため、大きく厚い手の平同士を二度と打ち鳴らし展開を促す。


「対外試合は一週間後。それまでは、普段通りの部活動に専念して下さい」

「はい」

「誰かに尋ねるも良し。家名を頼るも良し。好きにして下さいね。

 では、解散~」

「よ~ッし、今日も球拾い、気合い入れてやるぞ~!」

「頑張るしかないのゥ」

「これにて、失礼します」


 八名は、退室の挨拶を深歳に送りながら練習場へ向かう中、深歳は狙って士紅を呼び止める。

 偶然、近くにいた青一郎に遅れる旨を伝え、仲間を見送ってから、士紅は静かに顧問室の扉を閉じた。


「何でしょう」

「〝群狼さん〟も、中学生相手に加減をするんですね」


 普段より増して表情を消した士紅の変化に、即座に気付いた深歳は、焦りもせずに言葉を切り出す。


「本当に怖いですねェ。殺さないで下さいよ。『イ=セース様』より、学校生活の補助を頼まれたのです」

「……いでに言うと奥方は、グランツァーク系列の製薬部門の一翼、『深歳医療製薬』の跡取り。

 しかも、プリヴェール=グリーシクとは、連堂学園時代からの大親友だ」

「妻の伝手つてとは言え、懇意にして頂いて、ありがたい限りです。

 と、言う事で、学校生活を思う存分に楽しんで下さい」

「楽しむって。遊びに来た訳では無いよ」

「私には、分からない事です」


 深歳の眼鏡の奥が、締まりなくゆるんでいるが、決して油断ならない剣呑とした物がひらめく。

 下手をしたのなら、会話の一文字も伝えられず果てる可能性がある状況で、明らかに楽しむ節が見え隠れする。

 しかし、士紅は親友の目利きを信じて居るだけに、不審感を露わにする事は無い。

 何より、『深歳 圭』を元より尊敬の対象として居たのだから。


「さすがは、『シグナ』の知り合い。喰えぬ御仁ごじんだ」

「いえいえ、恐縮の限りです」

「では、失礼致します」


 言葉と姿勢を整え、改めて一礼したのち、出口へと向かう士紅は、再び深歳に呼び止められた。


「丹布君」

「はい」

「全国へ行く約束、今更いまさらナシなんて言わないで下さいよ」

「当然です。私は、対陣に居る相手に負ける訳には参りません。

 改めて、失礼致します」


 今度は、いとまも与えず、士紅は退出した。

 ほとんど音を立てずに閉じられた扉を見詰め、その姿に何かを感じ取り、深歳は吐息と共につぶやく。


「……確かに、あの様子は、何かを抱えていらっしゃいますねェ。イ=セース様」


 視線を落とせば、欲が満たされて安心したのか、愛する我が子が小さな寝息を立てている。


 この平穏、この多幸感を、何よりも尊いと思えるのは、ただ親になったと言える現状だけではなく、死力を尽くし、支え護られる場所があってこそだと、気付けた事だった。


 日々の感謝の思いにひたっていた深歳は、ある事に気付き、上げた声がむなしく一室に散る。


「しまった! させるの忘れてた。だ、大丈夫かな」




 ○●○




 一週間後。時間は放課後。


 一日を通し良く晴れ、気温も季節の割に暖かい。


 その日は珍しくもない、消化試合にもならない対外試合の一件だと、多くの部員は特に構えもせずに準備を整えている。


「今日の対外試合に来る、蒼海学院の中等科の連中ってさ、全員一年生なんだって」

「はァ? 本当かよ。こっちは絶対王者の連堂なんだぞ」

「しかも、選抜の六年生じゃなくて、一年生ってのが不思議」

「だよなァ。よく、穂方やシャートブラムが許可したよな」

「こんな時期に、練習試合で相手する必要あんの?」

「かつての〝帝王蒼海〟も、今じゃ万年、地区止まりだしなー」

「なーんだ。お遊び気分の遠足気分なのー?」

「おれらが出すのも、新人戦のメンバーだし、年から言っても良い経験になるんじゃないかなー」


 彼らが噂している場所は、リュリオンの首都圏に属する地区の一つ『セマロ』。


 セツトに蒼海学院ありと言われるなら、セマロに連堂学園あり。歴史に深く根差す伝統と格式は、いつの時代も名実揃って轟く名門中の名門校。


 特進科・普通科・芸学科を擁し、こちらも小・中・高・大の一貫教育場として、広大な土地と施設に守られ、様子が似ている分、昔から比較されがちだが、特に、部活動に関してはここしばらく、連堂学園に実績は傾いていた。


 常勝の部活動は数える事さえ難しい程に多く、学業や芸学もことの外、評価が高い。今や、セマロだけではなく、リュリオンを代表する教育場として浸透して久しい。


「それはどうかな」


 抑揚はないが、声に重みと説得力のある語り口。公正の白、情熱の赤。

 連堂の校旗になぞる色を配した、連堂学園中等部・男子硬式庭球部の公式戦ユニフォームに身を包む、厚みのある黒縁眼鏡の生徒が話を拾って誰ともなく返す。


「恩村第二部長!」


 姿を目にした部員達は、コート整備の手を止め、姿勢を正して口々に挨拶や一礼をほどす。


「それはどうかな。……って、どう言う意味なんですか?」普通科二年、美名持が控え目ながら問い掛ける。


「知っている者もいるだろうが、セツトの有名庭球倶楽部に、〝リメンザの申し子達〟と呼ばれる三人の小学生がいた。

 彼らは今年二月、蒼海学院の中等科に進学したが、近年の同庭球部の進退に辟易へきえきし、彼らは同庭球には入らないと、去年末の専門誌に言葉が載っていた。〝我々にとって、リメンザこそが競技の場です〟……とね」


「すっげ~! 小学生のクセに、もう記者が付いてたんスか」普通科三年、山都が率直に感嘆する。


「人材の発掘は、いつの時代も競争だからね。有名選手の身内との理由だけでも張り付かれる。

 とにかく、その三人が、どう言う訳なのか退廃した庭球部に入ってしまった」


「へェ。急にどうしたんだろうね。恩村、何か掴んでいるの?」普通科四年、潮路は屈強な四肢とは似つかわしくない、丁寧な口調で考えを求める。


「質問があるなら、直接聞けるかも知れないぜ~。しかも! 入学早々、お遊び庭球部に一球勝負を申し込んで全員秒殺にした、とんでもない一年も来てるぞ?」


「ダングレー監督。それでは失礼して」


 痩身そうしんで陽に焼けた顔に、人を寄せる魅力のある笑い皺を浮かべ、本日の対外試合の相手校の名簿を恩村に差し出したのは、当庭球部の第二顧問兼監督、もとい、ルブーレン語教師のダングレー。


「恩村、おれにも見せてくれ」特進科四年、斎長が折り目も正しい性格そのままの響きで声を掛ける。


「シングルス三・火関礼衣。シングルス二・柊扇昂ノ介。補欠・在純青一郎。彼らだな」特進科四年、古桜は冷静に目的の名を差した。


「も、〝申し子達〟なのに、一人は補欠なんだ」

「その前に、一球勝負で秒殺って何なんだよッ」


 聞こえて来た情報で、部員達が動揺する。


 白と赤の集団から少し離れた場所で、細く整えられた眉を寄せる先輩の表情が気になった、揃いの公式戦ユニフォームを着込む後輩が、そっと声を掛けた。


「八住先輩、見に行かないんスか?」普通科一年の椛は、自身とは違い、普段から進んで輪の中に入るはずの先輩の様子が心配になっていた。


「……んえ? あ~……いいや、何でも……。

 ほ、ほら! 名簿を見に行く必要は無いよ! ご本人達、登場なんじゃないの~!?」


 思い切り、大粒の金色の双眸を挙動不審な程に泳がせる。誤魔化したいのか、長い両の手を使ってまで差し示し、注意を促された先に椛が見たのは、灰色の詰め襟制服姿の他校生が八名。


 先導するのはシングルのダークスーツの、いかにも〝都心の優男〟の風体の男性と他校生が、揃い踏みする光景だった。


 初めて見るはずの〝都心の優男〟に、椛は何故か見覚えがあると逡巡しゅんじゅんしている間に、場面は流れる。


「無理を叶えて下さって、ありがとうございます」

「いまさら何をしおらしい事を。遅いっての。

 おれとしても? 楽しみにしてるしな~。特に、今後の展開とか?」

「まったく。相変わらず、厭味いやみな先輩だなァ。

 ……はいッ! 代表の柊扇君。挨拶、お願いしますね」


 旧交の気配を立てられる中、指名された昂ノ介が一歩前進し、揺らぎのない一礼ののち、覇気のある声量と、丁重な言葉の伝えやすさを意識した挨拶が述べられた。

 何より、背後の七名の気概をも伝える必要を負う責務あっての事。元より、仲間に恥をかかせるなど、昂ノ介が耐えられるはずもない。


「本日は、貴重なお時間と場所を提供して頂き、ありがとうございます。

 若輩者ではございますが、お手合わせの程、よろしくお願い致します」

「宜しくお願い致します!!!!!!!」


 控える七名も、一斉に挨拶と一礼を示す。

 昂ノ介の挨拶に、応え添えるための気遣いに、彼らが培った信頼や連帯感をも漂う。


「やっぱり隠し事が満載じゃない~……。

 嫌な予感って、本当に善く当たるから嫌になっちゃう」


 喉の奥で止めた言葉を意識し、蒼海学院からの客の一角に、意味あり気な金色の視線をすがめて送り付けたのは、八住 旋。


 普通科三年に在籍し、去年、外圏から編入した少年。言語も堪能たんのうで、人当たりも善く、学業も申し分が無い。

 編入初日から飛び込んだ庭球部に入れば、数カ月で第二部の正選手に抜擢される。


 ここでは、庭球の技術や愛情を持っていても、越えられない第一部選手への壁が高く、強固に築き上げられている。


 連堂学園の八住旋。蒼海学院の丹布士紅。


 双方は、それぞれの内側から、偽りの世界を打ち砕くために地に脚を着けた。


 旧き善き、『あの時代』を識る者として。





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