第五節 狼と、鈴蘭と。
「部活がないと、どうも落ち着かんの~」
「……体を休めるのも、競技者として重要な事だぞ」
「そりゃそうかもしれないけどさァ~」
放課後は庭球部活動。そんな日常が定着しつつあった。
冬場とあって冷えはするが、陽も射す良い天気の、ある日の放課後。
昂ノ介が在籍する一年五組の教室に、いつもの八名は集まる。
誰が決めた訳でもなく、何かあると真ん中の数字の組に、自然と集まり出していた。
他愛もない話で間を
気付けば、会話の輪から、いつの間にか外れ、ケータイで通話中の士紅の姿がある。
校則では、自己責任の上で持ち込みは可能で、授業中以外なら使用可能だが、会った日から士紅のケータイ姿は多い。
使用中は皆から背を向け、見えて居たとして、その不動の表情から内容は読めず、それ以前に判別不可の異郷の言葉。
数カ国の言葉を操る彼らの耳には、三種類以上の言語を話す様子は、分かるようになっていた。
本音は、気になっていたのだが、生まれ育ちによる性質が邪魔をして、気軽に電話での通話内容を聞く事は出来ない。
そのうち士紅の通話が済み、気が強そうな濃い眉を軽く上に一つ動かし、ケータイを畳んだ。
珍しい仕草に隙を
「丹布君」
「ん?」
「おっと、まだ電話をしまわないで下さい。
「おれも丹布の番号知りてェな」
「やった~、教えてくれんの?」
「待ってくれ。教えてやりたいが、特殊な仕様になって居るから無理だ。
こちら側からは誰にでも繋がるが、大元で着信指定が掛けられて、皆に番号を教えても繋がら無いんだ」
電話番号に食い付いた、メディンサリと都長に対し、やんわりと断りを入れる士紅の様子に、礼衣が話しを振った。
「……要するに、お前は普通のケータイは持っていないのだな?」
「まぁ、そう言う事になるのかな」
「あ、じゃあさ、これから丹布君のケータイを皆で買いに行こうよ。
おれも、そろそろ新しいケータイと、交換しようと思っていたんだ」
「それイイじゃん! 丹布、今、学生証と身分証明は持ってんだろ」
「あぁ、大丈夫だ」
「決まりじゃ。行くぞ」
「……ならば、セツト駅構内のモールはどうだ? 各企業の直営店が、一つの店舗に収り品揃えが充実しているし、現地解散にも適している」
「そうだな。異論はない」
「よ~ッし! では出発~!」
都長の元気な誘導の合図により、荷物を取った一同は、借りていた椅子を元に戻し、会話を途切れさせる事なく移動を開始した。
○●○
地理的にセツトは、東南に首都圏・ホゼカ。北西に旧王都・『フセナ』。
古来から
ここ、セツト駅は、主に鐵道導線としての役割を果たしていた。物流、通勤、観光としての利用客の足は年中絶えず、迎え入れては送り出す。
母親のような懐深さを念頭に置き、セツト駅職員、駐在店舗は稼働する。
機械化が進み、便利な世の中と言えども、利用するのは、あくまでも人に関わるもの。同じ人が介するのは当然だ。
大規模な公共導線上にやって来た
各社、垣根をなくし、利用者の用途に合わせた機種並びを前提に、商品が陳列されている。
目にも鮮やかな携帯電話は、主張はあっても、見えやすく手に取りやすいよう計算し配置されているあたり、商業視点の高さが伺えた。
お客様は大切だが、開放感があり無防備に見えて、そこは当然、高度な防犯装置が張り巡らされているのは、言うまでもない。
客や商品を縫うように、一行は店内を興味深く見て回る。
「へェ。おれ、久々に来たんだけど、色々と出てるモンだな」
「だよね~。見てると、おれも換えたくなって来たな~」
「あ、じゃあ、皆でお揃いにしない?」
青一郎の提案に、都長とメディンサリは飛び付き、昂ノ介と千丸は返答に
この手の電子機器に詳しい事もあるが、もう一つ具体的な理由もある。
指名を受け少々ためらいつつ、困っている仲間を見過ごす事も出来ず、蓮蔵は説明を始めた。
機能や性能耐久性に各社に大差はなく、料金形態も表面上損得が見て取れるが、余程偏った使い方をしない限りは、差額もないとの事に、青一郎が感心した声を立てる。
目的を絞ると、料金設定も決めやすく、お財布にも優しいとの一言に、お得・節約が大好きな千丸の
蓮蔵は、適当な機種を手に取り、慣れた手付きで主流の平面型ケータイを操作する。
持っているのは画面の発色が良く、文字も見えやすい物で、電信文面を主に使うならばと、文字変換の簡易さ、文字の細部の処理の美しさを例に取った。
一通り軽く説明を終えると、蓮蔵独自の視点を付け加えた。
それは、本体の耐久性。保証期間の長さ。
それらを考慮した上で
「シーエイド=リンツェ社製品です」
「はははッ。結局、マコトの家の会社やないか」
「まぁ、確かに妥当だよ。『グラーエン』系列は、客の嗜好を先取りする傾向にあり、交換部品の在庫は、ほぼ持た無い。
言わば、〝使い捨て〟で利益を上げる。この手の商品だな」
「ええ。その通りです」
「本体の形状も色も多種多様。本体料金も安く、着せ替え感覚で持つなら、グラーエン系列だが、地元を応援したいなら、『グランツァーク』系列・シーエイド=リンツェ社の」
饒舌に上位企業の名を出しながら、蓮蔵の言葉を継いだ士紅は、その途中で白い手を伸ばし、とあるケータイを取った。
「このケータイは? 重さも丁度で、文字も見えやすい。簡素な形だが洗練されて居る。
何より、蒼海の校旗の色だ」
「……ふむ。悪くない」
「おれは、その色が気に入った」
「店員さん、こちらお願いします。新規一名、機種変更七名です」
容姿と言葉の悪さが合っていないメディンサリも、この時は丁寧になる。付近にいる店員が適切な速度で間を詰め、子供相手だろうと丁重に応対した。
その接客態度は、過不足のない礼作法と口調で示され、速やかに彼らの人数に合わせた契約手続きの場へ案内した。
順次、契約の書面が届けられ、店員と対面様式の席に着く。手の空いている者は、軽く店員と会話をして間を取り持つ。
差し障りのない会話だが、彼らの処世術の高さに腹の内で感心していた店員達は、後程、彼らの学生証を照合した際に納得する事になる。
士紅は新規契約とあって、書類が皆より多かったのだが、更に追加された一枚には、新規契者約用の簡単な調査項目が並ぶ中、ある文章に眼が止まり店員に問い掛けた。
「記入するだけで、このお菓子を頂けるのですか?」
「ご協力を賜る、ささやかな、お礼でございます。季節の果実の、クラームス入りのマシュローです」
「それ、機種変更用の調査用紙はありますか。出来れば、おまけ付きの」
「はい。ございます。『イウロ』の新鮮な乳製品を使用した、ヴィスクックーになりますが、よろしいでしょうか」
「是非とも」
「ご協力、ありがとうございます」
笑顔と
その姿を、機嫌良さそうに見送る千丸を、単調に見えて驚くほど高価な長財布から、学生証を探していたメディンサリが認めると、薄いが綺麗な形をした唇が呆れたように開いた。
「千丸ってさ、
「
「大金持ちの
「ワシの金じゃない。ワシのモンでもない……っとな」
千丸の家を知るが故に、この妙な性格が不思議でならない。かなり目立つ頭髪の色を含め、ここに至るまでの事情を想像するには、判断材料が乏しすぎる。
千丸の容姿、目や肌はリュリオン人の特徴通りだが、髪は、新雪のように真っ白だった。
だが彼らは、他とは違う部分に注視する事も、好奇心を満たすためだけの礼を欠く問いも、憶測を陰で語る事もせず、今、
「皆が並んで書き込んでいる姿って、何だか微笑ましいよね」
「そ、そうか?」
「……これが、女子なら。そう思ったか。昂ノ介」
「下らん事を言うな礼衣。仮にそうだとしても、何故、こいつ等を見て、そんな話になるんだ」
「何を言う柊扇。都長は幼児顔。メディンサリは、お手本みたいな金髪美少年。丹布なんぞ異郷の美女みたいな美形じゃぞ?」
千丸の言葉に、引き合いに出された面々は、それぞれ反応する。「誰が幼児だ!」「よく言われる」「美女か」と。
面白がっていると、蓮蔵から思いも寄らぬ質問が放たれた。
「わたしは何顔でしょうか? 千丸君」
「おいおい、マコト。いつの間に、そんな冗談を言うようになったんじゃ」
「プ、プクフッ」
「コラッ」
尽きない少年達の
彼らも特に不快だと受け取らず、部活の同学年である事。新規の士紅が普通のケータイを持って居なかった事。全員が買い換える流れのついでに、同機種を選んだ事。優秀な営業者がいた事を話しながらも必要書類を仕上げ、照合し、双方とも実に手落ちがない。
「お客様。申し訳ございません。ご新規加入のお方は、身分証明書を提示して頂く事になっております。
お手数ですが、お願い致します」
「持ってる?」
心配し、気遣う青一郎に対して、常に携帯しているから問題は無いと応える士紅の白い手は、何故か背後の馬乗りに向かい表に戻った。
その指先には、名刺と同じ大きさ程の黒い板が挟まる。
それを、一辺の端と端に両の親指を添え、提示を求めた店員に差し出す。一連の動作が素早く、手品か何かを見ている気分にさせられた。
「外圏の物ですが、通ると聞いて居ります。精算も同時に済むはずです」
身分証明証の提示と精算が、同時に行われるとは、あまり聞かないが、店員の指示に従い案内盤に黒い板を触れさせると、正常に情報の読み取りを終えた電子音の合図が小さく鳴る。
士紅の近くにいる仲間は、無事照合が済んだ事に安堵していたが、別枠で情報を処理する店員が、モニターを覗き込む姿を、礼衣と千丸が見ていた。
「へ~。黒地に艶消しで、動物が模様になってるんだ~。それ、犬と何かの花?」
「惜しい。ここで言うと、狼と鈴蘭だよ」
「ほう。お前の国では、それが一般的な身分証明書なのか。何やら格好が良いな」
「一般的では無いな。身内に器用な方が居て、特別に意匠を造ってくれたんだ。
見た目は珍しいが、仕様や中身は同じだよ」
気のせいか、士紅は提示した時よりも
よく見掛ける黒いケータイも、そこで出し入れする場面を、何度か目撃している。
不審だとは思わないが気になる条項の一つだ。収納場所は、お国柄だと説明されても、たまには彼らも気にはなる。
「あの、お客様」
「はい」
「間違いなく、お客様の持ち物でございますね?」
「この手の物は偽造は不可の上、こんな物を拾って持って居ても、全く意味は無いはず。
他者は使用出来ませんし、第一に、犯罪です」
「で、ですよね」
「何か問題でもありましたか」
「いいえッ。失礼致しました。ご新規の手続きをして参りますので、お時間を頂戴します」
「宜しくお願いします」
狼と鈴蘭。
この風景を見ながら、メディンサリは幼い頃の記憶を辿ろうと細い眉頭を寄せるも、目的には到達出来なかった。仮入部の一件で耳にした、見事なルブーレン語の発音。しかも、故郷のマーレーンとの深い関わりを感じずにはいられない上級階級者の
つまり、士紅は上級階級の関係者であり、出入りする立場を匂わせる。それこそが問題点だ。あるのなら、メディンサリが〝丹布士紅〟を知らないはずがない。
あの一件以来、士紅に対する身の証について不審点がない言えば嘘になる。
しかし、メディンサリが、そんな事よりも大切に思ったのは、彼らと過ごす目まぐるしい時間は、気にならないくらい
誰かに決められた物でも、理屈でも嘘でもない、自分自身で決めた本心だった。
○●○
それぞれの目的で行き交う雑踏の音に囲まれた、帰宅方面と中央出入口との分岐路。
八名は、この場で解散する事になった。
「じゃ、ここで解散だね」
「お疲れさん。また明日な」
「じゃ~な~。丹布、文面送るから、返事しろよ。
もしくは『レール』でもヨシ!」
「用事があるから期待するな」
一同は、先程の直営店舗で各種設定と番号の交換や、一同のレールも構築済み。操作に慣れて居ない士紅への指導は、追々と言う事で決まった。
「おっし、行こうぜ。火関、蓮蔵」
「……よろしく頼む。では、また。本屋で長居は禁物だぞ。昂ノ介」
「分かった。気を付ける」
「皆さん、お気を付けて」
「うん。じゃあね」
「あぁ」
八名は、帰路、迎え人、集合場所、本屋。各々目的地に向かって足を進めた。
人波の動く
学校と言う名の灯台がある限り、波間に行き場を見失おうと、彼らは寄り合える。
やがて、自身の
波に濡れ、嵐に吹かれ消えたとして、灯りを持つ仲間が寄り添い、再び点される。
誰もが、一人では生きる事など有り得ない。どれほど名高い英雄も、たった一人では叙事詩を
彼らは灯りを持ち、共に歩き続ける限り、波や嵐、難局さえも越えられる事を知り、信念こそが糧なのだと、その背に
──戦え。抗え。決して諦めるな。
……と。それはまだ、ほんの少し先のお話。
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