第四節 白銀の怪人、来たりて。
「お~い。事務局から掃除用具を持って来たぞ~」
都長の一言で、待機中の面々が動き出す。男子庭球部・仮入部員最初の仕事は、例の屋内練習場の徹底清掃だった。
前日に、礼衣が清掃用品を多め申請してくれたおかげで、片付けも
機能的に使用すればより多くの目的が果たせる容積には、無計画に詰め込まれ、要不要の雑多な荷物や器具、果ては生ゴミまで散乱し、綿埃など問題外。
五感に入る情報は、どれも酷い有り様だ。そうそう見る事がない光景に面白がる者も
青一郎が音頭を取り、指示や注意点を伝える。第一義に、怪我をしないようにと。
使い捨ての、掃除用ゴーグルやマスク、手袋を身に付け各々作業に取り掛かる。
その中で、悪臭の根元の一つに辿り着いた千丸が、発見する自然界の縮図に、年頃の少年達が騒々しくなったのは当然の事だった。
「うわ~ァ。虫までわいとるな」
「バッ、バカバカ! そんなモンじっと見てんじゃねェよ!」
「何を言うんじゃ。これぞ生態系の形の一つやぞ」
「いや~!!」
「騒ぐなよ。今、片付けてやるから」
「惜しいのォ」
「〝惜しい〟じゃ無いって。場所を
粘着質で嫌な音と悪臭を立てるモノを、士紅は手も汚さず、器用に問題の物体を袋に包み封をして処分した。
その様子を見ていた者は、尊敬の念を士紅に送っている。
「……こう言っては何だが、よく出来るな」
扉付近まで退避している礼衣が、遠慮がちだが率直な感想を述べた。
「まぁ、慣れて居るからな」
「な、慣れているって?」
「まさか、この
「もっと凄いのが、あるんやないか?」
「ひッ」
「お止めなさい。千丸君」
「ワシは、予想を客観的に言うただけじゃ」
「……確認も、目視もしない事象を〝客観的〟と位置付けるのは、いかがなものだろうか」
「ワシ、火関のそう言う所、苦手」
「ほらほら。皆、手が止まっているよ。明日、コートに出たかったら、迅速かつ確実に作業を進めよう」
「う、うむ。そうだな」
「それでは皆さん、頑張りましょう!」
「おう!!!!!!!」
蓮蔵の励ましの一言に、全員が声を揃え応えた。
○●○
「丹布君。話を蒸し返すようで、申し訳ないのですが」
「ん?」
蓮蔵の呼び掛けに応じながら、士紅は手にしていた冊子の束の埃を、遠慮無く
「仮入部申請の際に、シャートブラム先輩とケータイで話しをされていたのは、一体
「あ~。おれも気になる。あの貴族が
言われるなり、士紅はおもむろに一同を見渡した。ゴーグルやマスク、清掃姿に覆われていても、個人の認識は出来て居る。
「名門旧家・貴族の見本市だな」
「失礼な。おれ達は見世物でも、売り物でもないぞ」
「取り
「そうなのですか?」
「悪いが、あまり言いたく無いんだ。自慢になるし、相手の立場もあるしな」
「……要するに、身の証を目上、もしくは上位の権力者の笠に着る自身に恥入っている。と言う所か」
「丁寧な割に、棘がある言い方をするんだな。火関は」
「そうじゃろ?」
先日の、男子庭球部を単独で襲撃した頃から不思議だったのが、士紅が蒼海学院・中等科の内情に詳しい事だった。
知っている生徒は知っているが、青一郎達が揃って名門旧家の出身だとは、さほど浸透していない。
にもかかわらず、外圏から来たと話す士紅は、既に把握済みの様子。不審には違いないが、取り立てて聞き出す気にもならないのが本音だった。
そんな事よりも、容姿も考え方も、出身地も違う士紅との会話への興味の方が上回る。
士紅を除いたとしても、改めて、この七人が揃う機会もなかったためか、互いの身内の話しや近況についての話で、作業の隙間が埋まる程だ。
「でも、凄いよね。人種も文化も違えば、生まれた場所も距離も違う仲間と、こんな風に出逢えて、話しが出来る世の中なんだもの」
青一郎が、感慨深く言葉を
「言われてみれば、そうじゃの~。丹布なんぞ、遠い遠い、大ロスカーリアから来たんやからなァ」
「本当に〝
「そうだよね」
それぞれに何か思う事があったのか、開けた窓から差し込む夕陽に舞い散る埃が、チラチラと乱反射する風景は、不衛生な世界を幻想的を演出しているように勘違いしてしまう。
厳冬。夕陽。この面々。この状況。
預かり知らない場所から、何かが囁く既視感に似た感覚が、その場を支配しそうになる。
そんな現実から
「なァなァ、部活が終わったらさ、どっかの練習場で打たね~か?」
「あ、それ良いね」
「それなら
「好都合じゃねェか」
「ただのゥ、人通りが少ない上、暗くなると物騒なんじゃ」
「あはは。それなら大丈夫だよ。昂ノ介がいるから」
「おれは、用心棒ではないんだが」
「では、こうしませんか。とにかく行ってみて、不都合なら場所を変えましょう」
「……ふむ。妥当だな」
「よ~ッし! 決まり!」
都長の弾む声に先導され、八名は清掃作業の仕上げに掛かった。
○●○
再開発区域に指定された一角。見上げると、空の色は日没前後の
周辺は点在する白色の光源で照らされ、淡い
末は、庭球場を中心とした屋外運動施設が展開されると、入口の案内看板に表示されていた。
この時間になると、工事関係者は撤収し整地が済み、安全が確立された区画や遊歩道は、一般に解放されている。
その歩道に彼らは八つの影を落としながら、幹線道路がある東側出入り口へと、目指して歩いていた。
「……言うほど、危険な場所でもなかったな」
「そうだな。人数がいれば安全な場所だ。散歩中の人も居たし」
「怖そうな他校生は、昂ノ介を見て、どこかへ行っちゃったね」
「不本意だ」
「悔しいッ。丹布、お前強すぎだぞ!」
「最終的に、丹布との総当たり戦じゃった」
「知らない奴が見れば、薬やってんじゃないかって、疑われる訳だよな~」
「失礼ですよ。都長君」
歳も若い彼らの言葉が乱れ飛ぶ中、改めて声で肩を落とす青一郎が、会話を区切った。
「本当、悔しいな」
「んな満面の笑顔で言われても、悔しいのが伝わらねェって」
「本当だよ。格が違うって感じだもの」
「まぁ、環境や鍛え方が少し違うからな」
「何だよ何だよ~。何か秘密があるのか~!?」
「秘密は、秘密だから意味がある」
「怪しいの~ォ。言うても減らん」
千丸が言葉を途中で切り、やがて差し掛かる左側の通路から、こちらに何者かが向かって来る気配に意識を集中させた。
眠そうに見えるだけの、千丸の鋭い黒い瞳が差した直後、その姿が
低く艶のある
声にも注意を引かれたが、その姿は総てに極上が付加される部位を集積する美の極致に、一名を除く全員が唖然となる。
特に注視すべきは長身と、それに比例する長い長い髪。例えるなら、銀の月光を映し取る、誰も寄せ付けぬ孤高の滝。双眸は、相手に意図を読み取らせる事の無い、鏡に似た水銀色。
競技選手並みの長身を除けば、青年重役然とする過不足の無い体型と、揺るがぬ姿勢。
その身を包んでいるのは、ルブーレンの老舗として名高い、一点物のダブルのダークスーツ。値段を推測するには無粋とされる伝統的な黒の革靴。
突然現れ、何もかもが抜きん出た銀髪の美丈夫に対し、気後れする七人を残し、臆面も無く士紅が応対するが、何のやり取りをしているのかが一切、判別出来ないでいた。
何故なら、双方の表情が口以外動かず、身振り手振り、声に感情の
青一郎は、響きだけは思い当てていた。庭球部の屋内練習場で、自身の名前を交えて語られていた士紅の故郷の言葉と似ていると。
銀髪の美丈夫と、士紅の様子を見ている事しか出来ない面々は、ふと思い至る。
銀髪の美丈夫の容姿の程には驚いたが、士紅も相当に端正な風貌だ。
少年の時点でこの整い方なら、将来は相手にする、銀髪の美丈夫にも劣らぬ姿に成長する可能性に。
末恐ろしさを感じる中、誰ともなく、もう一つの印象を受けていた。初めて見た相手にもかかわらず、雰囲気が身近な誰かに
それが誰なのか。思いを巡らせる程、濃霧の中に迷い込む気分にさせられる。
一同が、それぞれの面持ちで共通の思いを抱えていると、知覚出来る言葉に戻し、士紅が話し掛けて来る。
「迎えが来たから、先に帰るよ。悪いな」
「そうなんだ。気を付けてね」
その一言で、意識が現実に引き戻された青一郎が、やんわり士紅を送り出す一言を告げると、意外な反応が起きた。
「士紅の学友だな。歓談中、申し訳無い。では、失敬」
老若男女問わず
士紅と出会って間も無い頃に見た、表情と言葉が噛み合わない様子に、士紅との間にある関係性を邪推せずにはいられない。
相手も同じように想ったのか、かなり視線下にある青一郎達に対し、見えぬ威圧と氷刃を含んだ、敵意を向けて来る。気がした。
「いいえ。お気遣い、感謝致します」
「またな~、丹布~」
「あぁ。じゃあな」
大きな動作は見て取れ無いが、何事かを交わす大小の後ろ姿を見送る一同は、礼衣の言葉で気付けられた。
「……どのような間柄なのだろうか」
「使用人。には見えないな」
「謎が多い奴には違いないのゥ」
「頼もしい仲間には変わりありません。今度は、あの体勢からの手品じみた、ドロップボレーの秘訣を教えて頂きましょう」
「そうだな。あの時の手首の使い方。なかなかに興味深い」
「昂ノ介は、庭球と言うより武道の参考にしようとしていない?」
「心を読むな」
「う~わ。柊扇って、見た目そのままの奴なんだな~」
「じゃ、ヤトモロ時代の剣とか振り回してんのかよ! 今度、見せてくんねェか?」
「ふざけるなッ! 見世物ではないのだぞ!」
「……ふむ。もう一押しすると調子に乗って応えるぞ。メディンサリ」
「礼衣。おれに何の恨みがあるんだ」
七人の仲間の談笑が、暮れゆくセツトの澄んだ空に溶ける。
漠然とした、未来への不安も。この先に待ち受ける数々の困難も。この空の下で刻まれて行くのだと、覚悟しつつあった。
彼らには負うべき物が、生まれる前から用意され、果たさねばならないのだから。
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