第二節 祭の後で。




 蒼海学院・中等科男子硬式庭球部。部員数一五十余人。


 伝統に裏付けされ、また権力者の庇護により、広大な敷地を生かした練習場は、屋内外それぞれ六面。

 特に屋外は、世界四大栄冠と同じ人工地表が施工され、部室も他の運動部と比べると、整えられ研究資料室も充実している。


 数年ごとに、最新の運動機能向上機器が搬入されるのも、先見をもって世界を目指す生徒は、盤石な設備を糧として大成した。

 事実、世界水準に達する選手を、輩出した実績に他ならない。


 それも、かつての栄光でしかなく、有力者を親に持つ生徒に、媚びるための社交場に近い場所と化している。上品な茶話が交わされているのかと思えば、それも違った。


 ここ蒼海学院は、礼法と護身術を必須科目として授業に取り入れているが、特に男子庭球部の評判はかんばしくない。元より、庭球とは紳士淑女と公正の代名詞だと言うのに。

 この場所では、実感する事が困難だった。


 昂ノ介が切り捨てたのも、実際、目の当たりにしたからだ。中等科へ進学する前に、幾度となく足を運んだ三人だったが、運ぶほど不快を募らせる始末。


 その光景に対し、穏やかな眼差しの中に、冷淡な針を含んで見渡す。

 不快感を着火剤にして怒鳴る代わりに、眉間に皺を立てる。

 涼やかな目元を、悲壮に染め閉口する。


 三者三様の面持ちで、当時、その場を後にしていた。


 現状は別としても、実績に裏打ちされる最新設備があったとして、庭球に対する愛情や真摯な思いが宿らない。

 そんな、空蝉の王城に等しい〝蒼海学院・中等科男子硬式庭球部〟に、三人が何の魅力も感じないのは当然の結果だ。


 彼らの思いを満たしてくれるのは、リメンザ庭球倶楽部と銘打たれる場所。モルヤン圏内の各要所にも施設を構え、訪れる誰もが、伝統と庭球に触れられる。


 そこは、創設者の『リメンザ=G=グリーシク』が、庭球への愛情と情熱、共有する素晴らしさを伝えていた。熱量そのままが込められ、没後千年がようと、色褪せる事なく存続している。


 彼らは、リメンザの思いを受け、その活躍は『リメンザの申し子達』と言わしめるまでに至った。




 ○●○




 彼らが目的地に着いた頃には、士紅を見送って三十分ほどが経過していた。


 青一郎の担任・碕小垣に捕まり、揃って所用を果たしていたからだが、彼らは、目の前の事態を飲み込めずにいる。


 六面コートの中央付近に士紅は居た。


 青一郎が貸したラケットを抱え、仕切り網越に、空いた手を差し出し、上級生らしき相手と握手をしている。

 その周辺は、白線も何も関係なく、制服や運動着混じりの部員と思われる面々が、倒れ、座り込み、肩を寄せていた。


 乱闘後とも思えない。


 状況が分からず、野次馬の一角に同級生を見つけ、事情の聞き取りを始めた。

 礼衣に呼び止められ少々緊張の色を見せながらも、同級生は、映画の撮影現場を目撃したような興奮状態で説明する。

 それを受けた礼衣が要約した事を、残る二人に伝えたのは次の通りだった。


「……着いた早々、丹布士紅が、現部長で六年のシャートブラム先輩を呼び出し、声も高々に中等科男子庭球部を糾弾。

 現職の退陣に加え、全権を寄越よこせと。

 応じるなら、蒼海学院中等科・男子庭球部を全国へ導き、優勝旗を持ち帰ってやる。と、宣言したのをきっかけに、コートに雪崩込んで来た諸先輩方と、一球勝負に持ち込んだ丹布士紅は、全員から勝ちを得た。

 倒れているのは暴力行為ではなく、ただの体力切れ。

 今は、最後の相手と終了の挨拶を交わしている所か。

 ふむ。あの人は、二年のイレイユ先輩だな」


 礼衣が言い終え、改めて周囲を見る。


 一種の見せ物と化している状況は、隣で部活動をしている女子庭球部や屋外部活動組が早くも集まった。そのうねりは、下校途中の生徒をも呼び込んで防護金網を囲み、練習場が見える校舎からも、顔をのぞかせる生徒で鈴なりの窓もある。


 そんな時、無責任に歓声を上げていた音の束を割り、コート方面から悪態混じりの声が立つ。


「ふざけんじゃねェよ! こんなもの、誰が認めるもんか!!」


 一言が火を点けたのか、負け部員の非難の連鎖が、野次馬の歓声を、上書きし始めた。


「大体、おかしいじゃねェか! おれ達は、こんなボロボロにされたってのに、コイツは息も切らしてねェし、汗一つ流してねェんだぞ!」

「この外圏野郎、変な薬でも、やってるんだろう!」


 次第に野次馬達の声が引き、部員の声が内容が内容だけに際立つ。確かに、士紅の姿に乱れが無さ過ぎる。

 およそ一五十人を相手に一球勝負をしたとは思えず、汗を拭った形跡も、伴う湯気すら立て無い。


 今度は、野次馬からも好奇と不審な視線が憶測が、口々にさざなみのように広がっては士紅に集まる。


「想いたければ、想えば善い」


 あっさり泥を被る士紅に、仕掛けた側が絶句する。


「大汗を流して、熱暴走を起こすのは、無駄な動きばかりだからです。コーラット先輩」


 会った事もない新入生に、コーラットは名前を差され流れる汗が冷える。


「その手の薬は、こちらでは高額なので、私の小遣いでは買えません。ウォレンデ先輩」


 相場自体知ってる方がおかしいだろう。などと、この場の空気で言える猛者はいない。

 その表情は、整っているが故に酷薄で、反論を封じる威圧感が歳相応では無かった。


「あーァ。やってらんねェよ。こんな事」

「同感ー。やりたきゃ勝手に一人でやれよバーカ」

「お、おい、どうする?」

「ここで突っ立ってても、仕方ないだろ。流れで、続けばイイんだよッ」


 庭球部員が、お互いの顔色をうかがいながら退路を確保する中、柵の外の野次馬にも、動きが押し出される。


「え、何々ー?」

「もう終わっちゃったー?」

「でもでも、最後ワケ分かんなかったけど、面白かったよねー」

「だよねー」


 部活動に戻るよう促す声。帰りを確認する声。寄り道の行き先を問う声。遠ざかる生徒達の靴音が、冬の大気に乱反射した。




 ○●○




 士紅だけが、その場に残って居た。


 喧騒の熱気だけを置き去り、六面練習場の寂寞とした空気に感心して居た。そんな、士紅の右背後にある、二面の金網扉の出入口が開いた気配に向き直る。


 見知った面々に、不機嫌そうにすがめる、似紅にせべに色の双眸が少しだけ開いた。


「悪いな。一五十人と打ったら、面が乱れてしまった。張り直してから、約束通り明日返すよ」


 三人の勘違いだろうか。士紅の態度が柔らかくなった気がするのは。


「あ、別に気にしなくて良いよ。いつも、張ってもらう所があるから」

「リメンザか。近くに、セツト支部があるものな。懐かしいよ」

「……懐かしい? では、君もセツト支部に在籍していたのか」

「残念。セツトでは無いんだ」

「……そうなのか」


 では、また明日。そう言いつつ、帰るには妙な方向へ士紅が脚を向けたので、思わず昂ノ介が呼び止める。


「そっちは帰宅路ではないぞ。どこへ行く」

何処どこって、決まって居るだろう。整備用具を取りに行く」

「まさか、屋外の、このコート全面を一人でやるつもりか!?」

「屋内場も電気がいたままだから、二カ所だな」

「……無茶な。たった一人では、何時間掛かるか」

「平気。大丈夫。気にするな」


 小気味善こぎみよく、青一郎から預かった得物えものを持つ手とは、逆の方をヒラヒラさせながら士紅が告げる。


「下校の延長手続きを取るから」

「……使用後の整備は、本来、中等科男子庭球部の部員が当たるべきだ。仮入部もしていない君が、責任を負うものではない。何故あの時、呼び止めなかった」

「気概が無い奴に強要したって、雑になるだけ」

「……何だと?」

「こう見えて、清掃活動には自信があるし、責任を感じて整備する訳でも無い。準備や整備も含めて庭球が好きだから、苦痛じゃ無いよ」


 こう見えて。士紅は自覚があるようで、相変わらず表情は不動だが、三人は確実に変化を感じていた。

 士紅が、好きな対象を、楽しそうに語って居ると、今なら分かる。


 このように話を重ねると、最初の印象が剥落はくらくする思いだった。己の先入観や浅慮を、それぞれが恥じていた。


 再び歩みを進めようとした士紅に、昂ノ介も再び呼び止める。


「待て」

「何だよ」

「手伝おう」

「ん? 大丈夫だよ。リメンザへ行くんだろうに」

「……今日の一日くらい、コート整備に費やしても、何の問題もない」

「そうだね。ねェ、君は、ここの庭球部に入るの?」

「無論だ。そのために入学した」

「……気持ちを折るつもりはないが、庭球がやりたいなら、こんな所ではなく、『連堂』に行けば良いものを。校区が違っていても受け入れは可能だし、寮も完備されているぞ」

「連堂の、負け無しの庭球部は知って居る」

「……ならば、何故?」

「勿体無いと想わない? 帝王蒼海に〝元〟とか〝落日〟なんて付けられて。連堂の独走なんて、もう飽きて居る頃合だ。連堂も、刺激が欲しがって居るだろうし。

 帝王復活。私が、蒼海を全国、世界へ導いてやる」


 長い睫毛まつげが伏せられた奥に、例の綺羅火を楽しそうに、ちらつかせながら、薄く笑顔を浮かべる。

 思わず三人は凝視してしまった。「何だ。普通に笑うんだな」と。

 次いで、別の何かが込み上げ、口火を切ったのは昂ノ介だった。


「ハハハハッ。面白いな」

「そうだろう?」

「青一郎。礼衣。悪いが、おれ……」

「うん、分かった。おれも、ここの庭球部に入るよ」

「む……?」

「……地元の誉は、地元の人間も支えなくてはな」

「うむ……」

  

 察しが良い二人が、昂ノ介の出端でばなくじいてしまった。

 つい、その様子が可笑おかしくて、優しげな目元がゆるんでしまう青一郎が、大切な事を思い出し姿勢を正す。


「おれ、在純 青一郎。よろしくね」

「柊扇 昂ノ介だ」

「……火関 礼衣だ。宜しく頼む」

「最後になったが、丹布士紅。目標は全国制覇。当然、選手として制覇する」

「……試合に出場する選手は、最上級生の六年からの選抜だが」

「そんな慣例なんざ、潰せば善い」

「あはは。物騒だなァ」

「校外で、暴力沙汰を起こすなよ」

「喧嘩を売った記憶なんて無いなぁ」


 大小並んだ四つの影は、談笑を重ねながら、屋内習場へ向かう事になった。

 生涯、並んで歩く結果になろうとは、この時、まだ三人は知らない。


 間もなく加わる、四つの影と共に。丹布士紅と共に。





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