第一の幕 陽炎もゆる
第一節 新入生代表・丹布 士紅。
リュリオンの季節は、冬季の二月。冷える外気に、息が白く散る。
教育過程にある学童・生徒・学生は既に、新学年・新学期の節目を迎えていた。
蒼海学院中等科が創設されてから、二四二八年の新学期。在校生達が始業式を迎えて、四日後の新入生入学式典。
歴史の深さを、そのままに構える講堂の大気は、新入生代表の名を呼ぶ声を通す。
「はい」
応じた少年の声は短いが、込められた心地
音も立てず立ち上がった姿は、曇りすら疑わずに天を目指す若木のよう。壇上正面向かう少年の容姿は、ここ、リュリオンには無い色彩を宿し、非常識に似た整い方をする
学年の割に細身の長身を包むのは、中等科の
偶然、視界に入れた生徒教職員の大半は、視覚と意識を少年へと殺到する。
当の少年は、注がれる関心に一切触れる事も無い。与えられたら役目を果たすため、朗々と挨拶を読み上げる声に、震えも迷いも見せず、決して曲がらぬ芯の
「……二四二八年度。蒼海学院中等科、新入生代表・丹布 士紅」
静かに名を添え、用意された挨拶文を読み終えると、役目を負う少年は、慣れた気配で一点の濁りも無く式箱に納めた。
丹布士紅を知る生徒は誰もいない。この年度、今となっては珍しくもなくなった外部経済圏からの生徒が、編入試験を
一見、近寄り
○●○
州区分域はケイウ。地区はセツト。古くから臨海都市の商業用地としての造成は進み、指針通り文化・人材・物資の交流や集積が盛んな地域へと発展した。
当然、その場所には培われた学識領分が含まれ、セツトを誉れとする事項を挙げると、必ず指折られるのが、国立 蒼海学院。
初等科に始まり、大学まで一貫した教育施設を擁しており、常に文武両道を掲げ、先人達が築いた栄誉を守り続けている。
しかし、創設から数千百年。かつての栄誉を守り続ける労力は、現場の学生に依存してしまうのは否めない。加えて、各学年・各年代を数千を抱える集団となっては、皆が全員 先人達の誇りを胸に学舎の門を通っている訳ではない。
名門の座に甘んじ、高見を臨まない者の方が多いと言えた。文明の豊かさは、小手先の器用さを示し続ける。
努力、それに伴う苦痛や疲労を避ける傾向は、ここ名門・蒼海学院にも浸透して久しい。
古道の部活動は音に聞こえていたが、近代運動部は冷めた活動が見受けられる。古豪の名も、
現実は、無関心の圧倒的な数を前に、おくびにも出さず、諦める日々を送っている程だった。
○●○
在校生の代表に先導され、新入生はそれぞれ組分けされた教室へ収まって行く。
節目に学力考査はあるが、自動的に進級するため互いに見知った顔ばかり。気分的にも、新しい学舎との認識も低く、年令も手伝い移動時も教室でも賑やかなものだった。
「フンッ。進級したと言うのに、下らん奴らだ。もっと心身共に、引き締める気はないのか」
正面の黒板に留められる、席割り表通りに着席していた生徒が、失望を込めて鼻の先で言葉を飛ばす。
「……そう言うな。見た面々ばかりだし、多少の馴れ合いは仕方ない」
その様子を、いつもの事と受け止めながら、微笑ましく評する生徒が、席の右側に静かに立つ。
「確かにそうだけど、チラホラ新規入学の人もいるみたい。ほら、新入生代表の彼とか」
同じく組と席順の確認を済ませ、見た目そのままに物腰の柔らかい生徒が、視線で目標を差す。言われた二人は反射的に、その視線を追う。
窓硝子越しに廊下を見れば、噂の生徒が数名の同級生に囲まれ、何やら会話を弾ませている姿が映る。
若干、女子生徒が多いのは、噂の生徒の容姿によるものだろう。初対面の相手に対して物怖じせず、話を交わす辺りに、三人は少なからず感心した。
「新入生代表とは、つまり主席で進級考査を通ったのか。槙結澄か蓮蔵だと思っていたのだが」
「だね。それにしても、もうあんなに打ち解けているなんて、見た感じと違って、人懐っこいんだね。
おれも、彼と話しをしてみたいな」
「……行けば良い。まだ担任も来ないだろう」
「そうだぞ。おれ達に気兼ねをするな。青一郎」
「ん~。今は大丈夫かな。新学期は、始まったばかりだし。これから先、彼と話す機会は十分あるよ」
「……そうか」
言いつつ、まだ黒い瞳を噂の生徒が通り過ぎ、見えなくなった窓の方に向ける青一郎の様子。それを静かに立つ生徒は、意外だと感じながら三人の会話は続いた。
「青一郎。入学式早々だが、準備はしてきたのか?」
「え? あ、庭球の? もちろんだよ。これが済んだら、いつも通り『リメンザ』に行こう」
「……ここの庭球部に、入る気はないのか」
「先人達の誇りを、
この間の見学で、お前達も心底うんざりしたはずだろう」
「まァ、そうだったね。うん」
「あんなもの、ただの烏合の衆だ。敬意を払う気も起きん」
青一郎は、一歩譲って話をする傾向にあるが、先程から増して歯切れが悪い。静かに立つ生徒が、気を遣うべく、言葉を繋げようとした時だった。
「あ、先生が来たみたい」
目敏い青一郎の指摘で、血統も、住む場所も近い彼らは、いったん解散となる。
○●○
翌日の放課後。
新入生は午前中で行事が終わり、明日からの通常授業に
「ねェ、昂ノ介。ちょっとだけ、中等科の庭球部を見に行かない?」
青一郎の出し抜けな一言に、帰り支度をしていた、昂ノ介の手が止まる。
「正気か? 青一郎」
「ほら、新入部員がいるかもしれないじゃない」
「しかし……」
昂ノ介は言葉を濁す。濁しはするものの頭から否定も出来なかった。
それは、今も静かに待つ生徒も同様で、生まれた時から一緒だった二人は知っている。
青一郎の、この態度の先には、必ず何かが起きていたのだから。
「……見るだけなら問題はないだろう。それに、新入部員とやらの様子を把握する良い機会だ」
「礼衣、ありがとう」
後押しの言葉に、青一郎の表情に少しだけ色が差した。
「またそうやって、リメンザに勧誘する気か」
「……層が厚くなれば、その分、自陣は優位に立つ。我々の成長も、その数だけ増す事になる」
「それは、もっともな意見だが……」
話し中の昂ノ介が、真っ直ぐこちらに向かう気配に捕らわれる。常に気を張っている視線が、青一郎の肩越しに流れた。
釣られた二人が目にしたのは、噂の丹布士紅の姿。
士紅は、間違い無く三人の視界に収まり、動きが消える表情のまま、歩みを止めた。
「話し中、申し訳無い。割り込んでも善いか?」
士紅の表情には、全くもって言葉通りの感情浮かば無い。だが、昨日の今日で願いが叶った青一郎は、嬉しそうに体を士紅に向け、会話に参加した。
「うん、大丈夫だよ。何かな」
「君達の鞄に入っている物って、硬式庭球用のラケットだよな?」
「その通りだよ」
「ほォ。よく気付いたな」
「ラケットを容れる鞄は独特な形だ。しかも、一振りや二振りでは無さそうだ」
「……何が言いたいんだ。用件は的確に伝えないと、誤解の元になる」
「誰か、ラケットを一振り貸してくれ」
礼衣の言葉に気を悪くした響きも込めず、士紅は言われた通り端的に目的を告げた。
「フンッ。とんだ素人発言だな。
一口にラケットと言うが、使用者の技量によってガットの張り、グリップの太さ、巻き方が異なる。
我々は、そこそこ年数を積んでいる。他人に貸せる仕様には、なっていない」
「変な癖は付け無いし、必ず明日には返すから、頼むよ。お願い」
昂ノ介の突き離しなど障壁にもならぬようで、相変わらず言葉と表情が、噛み合わ無い士紅は食い下がる。
そんな士紅に対し、青一郎が動いた。
「おれので良ければ貸すよ」
言うより早く、青一郎は赤のフレームが印象的な、自前のラケットを引き出し、両手を添えて士紅に渡す。
士紅も倣い、両手で丁寧に受け取った。
「その代わりとは言って何だけど、これで何をするのか教えて欲しいな」
「うん、ありがとう。頂戴するんだよ。ここの庭球部を」
「……は?」
「抵抗するなら、潰して新庭球部を設営する」
「本気か?」
「伝統の上に、何も努力せず居座られては目障りなんだよ。
私は、庭球がやりたいんだ」
貸したフレームの色に似た、士紅の双眸の奥に僅かに灯る
明日、得物は必ず手渡しで返すと告げ、士紅は踵を返し
「何を考えているんだ。あの外圏人」
「……そうだな。気にはなる」
「正直、あの外圏人の白い手袋も気になる。
あの光沢に質感は間違いなく、圏外の技術なのだろうな」
「あはは。そんな所は、『マリ英おば様』の影響だよね」
「うるさいぞ、青一郎。万が一と言う事もある。確認の必要はあるだろう」
「素直じゃないねェ、昂ノ介は」
「……フフフ」
腹の底は一致していた三人は、それぞれの鞄を取り目的の場所に向かう。一言も、目線を合わさなくても分かる。
それぞれの行き先は、蒼海学院中等科・男子硬式庭球部の屋外練習場だったのだから。
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