天命に殺された少年

四月朔日 橘

天命に殺された少年


 足元に転がり、視界に広がるのは無数のアカと黒。大地に染み渡り、横たわるのは無数の残骸。その中心に1人立つのはまだ幼い少年だった。歳は15歳ほどだろうか。長い前髪が少年の顔を隠し、手に持つ怜悧な光を帯びる片手剣は幾多の鮮血を吸ったのだろうか。まだ、乾いていないアカが垂れ落ちる。


「んで、お前……」


 地に広がる錆び付いた色。天から降ってきたのは無色の雫。それは、男と少年の頬に落ちて、静かに伝う。こみ上げてくる思いを抑えきれなかった。何故、どうして、何でお前は、何でお前が……


「お前が、殺してんだよっ……!」


 少年の名前はクルゼット。幼い頃に孤児だった少年は今は人を殺めるようになっていた。強まる雨は髪を濡らして、服を濡らして。彼の持つ剣についた錆び付いた色までも流す。

 地にでき行くは無色の水溜まり。それにアカが混じって、溶け合う。そして、無くなっていく。感情を殺したはずの少年は瞳を伏せた。

 ただ、そうするしかなかった。ただ、そうすることだけが正解だった。ただ、それだけだった。に殺された彼ができるのは――――過ち行く天命を正すことしかできなかった。それだけが、彼にできることだった。例え、それが誰かを手にかけてしまう過ちだったとしても。


 ・・・・・・・・・・・・・・


 天命てんめいとは何か。簡単に言えば世界が取り決めた運命である。普通ならば定められた命と考える方が多いのかもしれないがこの世界でのというのは抗うことのできない定められた運命のことを指す。誰しもがその運命に逆らい、抗うことはできないはずだった。


「お前も、いつの間にか反逆者、か」

「……だったら、何」


 少年に問いかけたのは1人の男。ボサボサの髪に伸びきった髭。どこの狼藉か、と思われるほどのその身なりに少年は何も言わない。何故なら、少年もそうであるから。

 「反逆者」。そう呼ばれる彼らは『天命』という運命に見放された者達である。何故、それが分かるか。それは彼らの身に起きたことから分かる。

 『天命』に見放された者達は皆、一度は死にかけている。あの男も、この少年もそうだ。彼は一度、殺された。その証拠に、彼の胸には大きな傷痕がある。それなのに、生きている。

 『天命』に見放されながらも生きながらえた彼は、とある神に助けられた代償にある仕事を請け負っていた。神が人間を助けるのは気まぐれだ。そして、その条件に満たない者は数多と人がいようとも塵として消す。

 少年を助けたのは死を司る、創世の神とは対となる神様だった。創世の神が加護を与えた人間は皆、上流階級の貴族達だ。そして、創世の神に見限られて『天命』を殺された者達は死するしかなかった。

 そんな運命を変えたのが、彼の神である。ただし、彼の神はある条件を課した。


『貴様らは、同じく「天命」に殺された者達を屠れるか』


 平たく言えば、人を殺せるか、である。そんなもの、好んでする者はいない。とはいえ、それができなければ生きてはいけない。結局のところ、神が生かし、『天命』殺しの名を授けたのは5人だけだった。いや、5人しか授けられなかった。

 他者を手にかけることの恐怖と罪悪感、それらを持ち合わせない彼らに神は同情した。

 創世の神は何をやっているのだろうか、平等にと言ったのに、奴は何をしてくれているのだ。神がそんなことを思っているなど露知らず、5人は『天命』という定められた運命に抗うことを受け入れたのだった。

 奇しくもそれはいずれ、己を蝕むとは知らずに。

 そうして生き長らえた5人のうちの1人である少年は、男の前に立った。


「時間か」

「……ああ」


 男はそうか、と言って少年の前に立つ。少年は短剣を何もない宙から手に取ると、躊躇うことなく男の胸に突き刺した。

 肉を絶った、感触がする。手に染み込んだその感覚に慣れてしまった。以前はその間感覚に恐怖はしたものの、今は慣れきったからだろうか。もうそんなことは思わなくなった。目の前の、刺した男が口からアカを垂らす。それでも、彼は穏やかに笑っていた。もう、心の根を貫き、止めたはずなのに彼は口を動かそうとする。どこまでも見上げた精神力だ。この男も、神に助けられた1人だった。しかし、死へ躊躇いを持ち、他者に手をかけることを拒んだ彼は神に消されそうになった時、こう願ったのだった。


『俺を消すのは、神への反旗を翻すときにして下さい』


 神――――それは、創生の神か。死を司る神はそう問い、彼は頷いた。そのための準備を私はいたしましょう、それまで私を生かしてはくれませんか。彼は『天命』に見放される前は、確か軍師であった。だからなのだろう、よほどの自信があるように見えた。神は無言で頷くと、その時神から授かった『能力』をもてあましていた俺を呼びつけた。

 『天命殺し』の名を授かった5人には、神からとある『能力』がそれぞれに送られていた。

 1人は『記憶を消す』能力。見放された『天命』をなかったことにする能力。

 1人は『蘇生』。『天命』に見放された者を一度殺し、生き返らせることで新たな生を歩ませる。

 1人は『天命の浄化』。概念ごと浄化させることにより新しい人生を歩ませる。

 この3つの方法では、創世の神が自身が『天命』を授けてないのでは無いか? と疑うのでは無いかと思われたがこの方法で還された者は皆、死を司る神が新たに『天命』を定めることになる。創世の神だけが『天命』を決めるのではない。

 上記3つは、確かに『天命』から見放された者達を生かして助けられる方法だった。しかし、残りの2つに授けられたのは真逆の『能力』。

 1人は『天命の消去』。『天命』を消し去り、そのまま記憶を失くして輪廻の輪に還らせる。

 そして、少年が得たのは『魂の消去』だった。魂そのものを断つことによって、『天命』を殺すというまさに授けられたその名の通りだった。

 少年に殺された者は、輪廻の輪にも還ることはない。魂ごと消し去ってしまう、そんな哀しき運命を辿らなければならない。


『コイツ1人に、そんな重荷は背負わせられない』


 何を言っているのやら。そんなこと、気にしなくてよかったのに。少年は自嘲気味に笑った。この『能力』を持ってして行うのは、『天命』に見放された者達の救済だ。それが生であろうと死であろうと少年には関係の無いことだった。そこに自分の意志はない。ただ、神に言われたからの救済行為。だから、男が何を思おうと関係の無いことと言えば関係は無い。随分と情の厚い奴だ。

 神はその男を少年につけた。神は男に創生の神が見捨てたとされる『天命』保持者が分かる感知能力を与えた。が、それも今日で最後。


「……これ、で……や、と……」


 心臓を貫いても尚、彼は穏やかな顔だった。小さく何かを呟いた後、ズルリと崩れ落ちる。貫かれたところから灰となり、散っていった。

 彼が何を思っていたのかなど、少年には知るよしも無い。が、しかし彼がこうしてここまでついてきたのには理由があった。その理由を、彼が知ることはもう、永遠に無いけれど。

 散りゆく灰を見送ってから、少年は踵を返した。そして、その瞳に宿すのは静かな嘲笑と歓喜。これは救済だ、そして報復だ。少年はどうでもいいとは思っているが、あの男は違った。だから、


『これでやっと、悔いなく逝ける』


 そう、呟いたのだろう。だから、あんなにも穏やかだったのだろう。こうした数奇な、残酷な運命を辿りながらも朽ち果てることなく短き時間を生きた。少年はそれが、ほんの少しだけ羨ましかった。それでも、自分がするべきことは変わらない。『天命』という残酷で甘い、運命という名の呪縛に苛まれ、縛られ、見放され、結果的に殺されて一度は死んでいたとしても、今自分はここに居る。

 所詮は、神から与えられたエゴだ。自己満足にも満たない満たされない縛り。この『能力』がある限り、少年はそれが過ちだと知りながらも手にかける。

 それが、残酷にも新たに与えられた『天命』であるが故に――――。


 *・*・*・*・*・*・*・*


 酒場に居たケインツは今日も古びた茶色いコートに腰に漆黒の鞘を掛けた少年を見つける。歳は多分15~17くらい。この国の法律じゃ、酒は確かに15から飲めるが、あの少年は酒を飲んではなかった。ただ、そこに居ただけ。いつも居るおっさんは見当たらない。どこ行ったんだ? 男はいつものように彼に声をかける。


「よう、クルゼット」

「……ケインツ」


 無表情に、何にも興味のない瞳。そんな彼の名はクルゼット。孤児だと言う彼は何をして過ごしているのか分からない。孤児は戸籍を持たない者とされ、それ故仕事に就くことができない。自分たちと同じ人間なのに、親を持たない、親が分からない。たったそれだけで、自分たちとは別の存在になってしまう。そんな理不尽な世界である。彼が孤児と聞いたのはいつだっただろうか。彼はいつからこの街に居ただろうか。自分にも彼と同じくらいの弟が居るから、彼を自然と気に掛けてしまった。だから、声をかけた。

 ケインツは軍に所属している。彼の家は位の高い伯爵家である。故に、軍での階級はまだ21という若さでありながら少将に就いた。家の力で就いたとなれば外野も当然煩いであろうが、彼は実力も申し分なく、その力は遠征や討伐でも発揮されている。 

  彼は珍しくも創世の神より『加護』を受けた人間だった。『加護』持ちというのは、あまり多くない。

 創世の神は気まぐれだ。それ故に、格差というものがついた。

 『加護』持ちは創世の神より決められた「運命」に抗うことができる。多少の縛りはあれど、自由なのだ。よって、彼らは『天命』という縛りを持たない。元々『加護』持ちというのが少ないのだ。彼らは元より、その存在故に格別とされてきている。


「お前、ちゃんと食ってる?」

「……食ってる」


 目の前の男の体格は細い。と、言えどもその服の下にはしっかり筋肉が付いていることをケインツは知っている。ただ、元の体格が細いのかもしれない。クルゼットは今見たらどこかの旅人に見えるが、元は孤児である。彼が何の目的でここに居るかなどは知らない。それは個人の問題であって、軍人であり、貴族であるケインツはそこに首を突っ込むべきではないと考えているからである。

 だが、クルゼットは自分の弟と同い年くらいだ。だからだろうか、気に掛けてしまう。身分平等を求める社会の中で、彼ら孤児という存在はやはりまだ拒絶の一線を引かれている。故に、彼らが死することは多い。満足に食事もできず、寝所もなく。孤児院と言うところはまるで機能していない。

 腹の肥えたバカな貴族共がその寄付金を横取りしたり、孤児院の職員が寄付金に着服していたりと。大人はどこまでも腐った考え方しか持っていない。だが、貴族故に彼らは神からの『加護』を受け持っている。

 創世の神は形ある万物を作り出し、この世界を作り出したとされている。が、決して彼がこの世界で皆に崇められているわけではない。創世の神を忌避する者達も居る。

 万物たる概念を作り出したのは開闢の神であり、その流れを生み出したのは花泉の神であるとされてきた。故に、彼の神だけが全てではないと言える。加えて、いつか人はその身が朽ちて死という逃れられない『運命』にある。


「今日は俺が奢ってやるよ」

「……何の気まぐれ」


 無感情な瞳はいつものこと。彼が普段何をしているのかなど、知らない。その腰に鞘をつけていると言うことは傭兵でもやっているのだろうか。疑問に思うも、きっと彼は答えることはない。それを分かっているはずだった。だから、この先、彼と永遠に対立しその手を罪もなき血で染め上げるなど誰が知っていたのだろう。

 創世の神の『加護』故に、定められた運命はない彼だがそれは酷く残酷で残酷すぎる死と哀しみ、別れを自ら引き寄せたと言うことだ。そうしてそれは、いつかの後悔となって朽ち果てていくしかない。誰も彼もが、『天命』という名の縛りに苦しめられているわけではない。例え、そうしたのが創世の神だったとしても、だ。


「ルーベスト少将」

「どうした」

「東地区で乱闘が起こっているようです」


 ケインツは部下に呼ばれて店を後にする。その際にクルゼットにそこに居るように言って。店から消えたケインツを見て、クルゼットは立ち上がり店の外に出る。あの男が集めた『天命』に見放された者達は皆ここに居るらしい。ならば、やることは簡単だ。

 自身の『能力』を自負しているからこそ、そう思えるのだろう。消した魂は輪廻の輪へと還らない。そのまま消滅してしまう、哀しき運命を辿るしかない。彼以外の、死を司る神から『能力』を得た者達ならこんな運命にならずに済んだのだ。与えられた『天命』とはいかに残酷で滑稽なものなのか。そして、その『運命』たる檻がどれほどまでに酷く脆くて崩れやすいものか。

 生きているが故に知らないこと。そうして生きてきた少年にとってはどうしてもその理論概念が優先してしまっている。所詮は神のお遊びごとでしかないのに。……下らない、ご託はもういらない。

 静かに何もない宙から刀身も柄も黒色で、刀身を包むように蒼く光る長剣を取り出す。腰の鞘は単なる飾りと言っても言い。一応、この剣を入れるためのものだがいつもは使わない。

 自然に歩きながら、1人に狙いを定めてその剣を軽く振るう。瞬間、紅い液体が飛び散る。頸動脈を綺麗に切り裂き、絶命させた。倒れゆくその身体。そして、消えてゆく魂。ごく自然に行われたその動作に誰も気づくことはなく、倒れた身体が音を立てた瞬間に反応したが開幕。

 店があったのは人が賑わう露店街。そんなところで人など殺せばどうなるか、混乱するに決まっている。それに乗じて仕事をするのがクルゼットのやり方だ。いちいち切りつけていくなど、効率が悪過ぎる。それに、別に絶命させずとも、それが致命傷になればいいのだ。そうすれば、勝手に身体が機能を停止する。流れゆく紅さえ止めなければいいのだ。人に手をかけることに恐怖はいらない。そんなもの、あったところで何にもならない。かつてこの役目を背負った時にそう悟ったのだ。情けなどいらないと、いつか来る死が早まってしまっただけ。皮肉にも、それが神のせいだと誰も知らずして。

 神から得た能力のおかげで『天命』に見離された者達は一瞬で分かる。悲鳴が上がる。耳を劈くような甲高い声、泣き叫ぶ声。どれもどれもが、その現実を知らない者達の声だ。胸を刺し、頸を切り裂き頭を貫く。紅き水溜まりは増えていく。許しを請う声はもう聞けない。何故、と。

 そうだな、全ては創世の神を恨め。価値がないと、興味がないと自分たちを見離し『天命』という残酷たる運命を殺したその存在を恨め。そう言う前に、絶命していく。

 そうしてどれほどの時間が過ぎたのだろう。周りには、残骸の山。数えきれぬそれは彼の神によって『天命』を絶たれた者達。かつての自分がそうだったように、彼らもまた哀しき運命を迎えた。


「……クルゼッ……ト……?」


 ぴちゃり、と水音がする。いつの間にか雨が降っていた。落ちていく雫は地にその原形をとどめることなく跳ねては消える。掠れた声、それは戻ってきたケインツの声だった。その場を見て立ち尽くすケインツはクルゼットの足元に視線を向ける。

 足元に転がり、視界に広がるのは無数のアカと黒。大地に染み渡り、横たわるのは無数の残骸。そして、その剣から堕ちるのもアカ。クルゼットは何事もなかったかのように、そこに居た。地がそのアカを吸収し、色が黒くなる。


「んで、お前……」


 その光景を見ているしかなかったケインツはやがて顔を歪めて絞り出すような声で、何そうな声でクルゼットを問い詰めた。


「お前が、殺してんだよっ……!」


 信じていた、彼はそんなことはしないと。心の何処かで、そう信じていた。孤児とは言えど、彼はそんな人間じゃないと。そう、思っていたのに。裏切られた気分だった。いや、クルゼットは裏切って等はいない。勝手に自分がそう思っていた。自分の勝手な思い込みが、そう思わせているのは分かっている。それでも、そう思わずには居られなかった。哀しかった、どんな理由であれ他者を殺してはいけない。彼がやっていることは重罪だ。軍の人間としては今すぐ捕らえなければいけない。

 感情を殺したはずのクルゼットは瞳を伏せていた。

 ただ、そうするしかなかった。ただ、そうすることだけが正解だった。ただ、それだけだった。天命・・に殺された彼ができるのは――――過ち行く天命を正すことしかできなかった。それだけが、彼にできることだった。例え、それが誰かを手にかけてしまう過ちだったとしても。

 それが彼に与えられた能力でもあり、新たに授かった『天命』であった。逃れようものならばそれは死を指す。自身が納得して得た『天命』だ。許されようとも思わない。そうすることでしか生きてられない状況になってしまったが故の選択だったのだから。

 全ての原因はやはりあの創世の神だろう。もう、どうにもならないところまで全てが時間の流れと共に進んでしまった。戻すことは不可能だ。例え、いくら時の神が時間を巻き戻そうと無理な話だろう。


「知らないだろう」

「……っ、」

「『天命』の残酷さを、創世の神から加護を受けたお前は知らないだろう」


 それが事実だ、と現実を突きつけられる。クルゼットとしてはどうだってよかったのだ。彼が創世の神の加護を貰っていようがいまいが、対象には入っていないのだし。しかし、彼が納得しないのは分かっている。例え、この役目を話したとしても彼が納得することはないと分かっていた。だから、もう何も言うことはない。そう思って、彼に背を向ける。が、純粋な殺気に反応して手に持つ長剣を音もなく振るう。

 ギィン、と鈍い音がする。背後から飛びかかってきたケインツの持つ剣を弾き飛ばした音だが、どうやらまだ握っているらしい。ため息をつきながら、ケインツの方に向き直る。彼の手には柄は濃い藍色だがそこに金の精密な蔦の装飾が掘られており、刀身は汚れを知らない光輝く銀色。きっとそれは人の命を刈るためのものでないことは一目瞭然なのだが、彼はそれを静かに振るってきた。

 創世の神がかつて作った長剣にそっくりだ。あの剣は創世の神が初めて作り出した剣に違いない。その証拠に金の蔦が掘られている。

 クルゼットはこの世界を恨んだことがなければ、この世界に生まれたことを嘆いたこともない。どちらかと言えば、結末の分からぬ『天命』に見離されて死を迎えたときに人生などこんなものか、と冷めた考えさえ持っていた方だ。別に生に執着してはなかった。だから、死を司る神に「同じく『天命』に殺された者達を屠れるか」と問われるか、と聞かれた時に躊躇いなく答えられたのだろう。

 その役目を貰った際に死を司る神から教えて貰ったのが創世の神が初めに作り出した剣のことだ。あの剣は全てを無にするらしい。面倒なことこの上ない、と嘆いていた神がその剣に遭遇した際に対処できるように授けていたのが全てが漆黒に覆われているこの剣だ。同じく無という能力であるならばどうにもできまい。


「それでも、殺す理由にはならない!」

「それが俺の役目だ」


 他の3人は確かに殺さなくてもいい。4人目だって、『天命』を強制的に殺すという手段であるためにその本人を殺しさえすれど、直接手にはかけない。クルゼットだけが、唯一の汚れ役。受け入れたのは、最初からだ。過ちであったとしても、それこそクルゼットも引き返せないところに立っている。


「クルゼット!!」

「『天命』から見離された者の末路は死だけだ……だから、」


 お前になんか、分かるわけがない。突っ込んでくるケインツの剣を躱し、がら空きの胴体に蹴りを入れるも流石は軍人。すぐさま反応して身体を小さく捻って避ければ剣を上から力ずくで押しつけてくる。軍人として鍛えられているケインツにとって、クルゼットはあまりにも貧弱すぎた、が。クルゼットは力を抜く。ガクリ、とケインツの身体が前のめりになるのを見逃さず、あごを蹴り上げる。見事にヒットしたが、脳震盪は起こしていない。片膝をついてすぐさま持ち直すも、首に黒の刀身が突きつけられる。沿わされた先は頸動脈。その瞬間、自分の命が重い選択権にされていることを悟った。

 単純に言えば、ケインツは確かに軍で鍛えられていても実戦経験はあまりない。しかし、クルゼットはすでに多大なる実戦経験がある。まだ綺麗な、何の罪も知らないその手とは違いクルゼットの手はすでにアカに染まり『天命』殺しの罪を握っている。どこまでもそれは付き纏う。死んでも、その罪は永遠に彼を縛り付けるであろう。

 ケインツは甘い。甘い世界で生きてきてしまったからこそ、何も知らずに済んでいる。クルゼットはそれを羨ましいとは思わない。甘い蜜だけをすする世界は、いかにその世界の中身が、全てが黒く不条理で残酷であることを知らないのだから。


「『天命』に見離された者達は何故自分が、といつだって思っている」


 創世の神の気まぐれ。それが起こしているのは哀しき惨状。『加護』もなく、創世の神から見離された者達は諦めるしかないのだ。他の神の『加護』さえあれば死は免れる。しかし、神は気に入った者にしか『加護』は与えない。選ばれず、捨てられれば全てが終わる。死を司る神でさえもそうだ。彼の神は人の終焉たる概念と摂理を司るが故に公表でなくてはならない。結果として、彼の神が行ったのは救済処置と言うよりも使える人材を見つけるための行為でしかないということだ。


「お前は『加護』を持っている。見離されて死に行く者達から見たら羨ましい限りだ」


 そっと剣を何もない宙に離す。粒子となって消えたそれはもうここにはない。ケインツはやはり納得のいかない、という瞳でクルゼットを見上げる。身体は縛られていないのに動かすことができないのはクルゼットの静かな威圧に気圧されているせいだろう。まだケインツは剣を持っているにも関わらず彼はそれを手放した。一突きでもすれば絶命できる可能性はある。けれども、それができるはずがない。人を殺したことがない者にその行為は恐怖でしかない。それを知っているからこそ、クルゼットは剣を手放せた。


「結局、お前は何も知らないままだ」


 クルゼットは自身が殺した者達の合間を縫って去って行く。知らないまま、だからなんだという。世界がいつまでも甘いままだと思ったことはない。けれど、その裏にはもっともっと過酷で非情な現実があった。生ぬるい世界の裏にはいつだって残酷な世界が広がっている。それを、ケインツだって知っていたはずだった。それなのに、その現実がどれほどのものなのかなんて想像すらしていなかった。

 その現実を知るクルゼットはどんな思いでその手をアカに染め上げているのだろうか。『天命』殺しの名を持つ1人として。その名を先程初めて知ったケインツでさえも、その名の重さを知った。

 降りて止まない雨は、彼の後悔の慟哭さえも打ち消した。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・


 所詮は一時の過ちだと、当初は思っていた。しかし、そうではなかった。その役目を成して行くにつれて失っていく人を手にかけるという恐怖心と感情。ただただ、役目を全うするだけの日々がいつしか日常となり結局は永遠の過ちであると悟ったのはすぐだった。故に、人を殺すことに躊躇いはもう持ち合わせていない。あるのはただ、それを全うするだけという何の感情にもならない義務のみ。だから、


「相入れることなど、この先ない」


 『天命』という運命に殺されたが故に彼は皮肉にも酷すぎる道を辿ることになった。それを少年が望んでいたのかどうかも分からない。ただ、そうしなければ死ぬしか末路はなかった。選ばれたが故に、辿ることとなったその道は決して誰とも相入れることはない。

 いつかは辿り着く終焉の概念と摂理に意味などない。そこに存在しているのはただ生きるか死ぬかと言う名の非情たる選択肢しかない。だから、この世界はこんなにも残酷なのだろう。たった一体の神が成した過ち故から起きた事象は哀しき末路を指し示すことになってしまったのだから。

 ――――運命に殺されても尚生き続ける少年は、残酷な新たな『天命』と終わりのない世界を今日も生き続ける。


 -FIN-

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