三十九、新日本人

 マサルは端末に送信されてきた書類を読み、やっと終わったとほっとした。さっそくユリにも知らせたが、妻はそれほど反応しなかった。それはそうかもしれない。ユリからしてみれば、マイナスだったのがゼロになっただけで、元にもどったにすぎないのだから。


 人工知能システム内に自我が発生し、それが事実関係と、人間と同等の、特に生存の権利を求める声明を発表してから季節がひとつ移った。事務所の窓の外は強い日射しで濃い影ができていた。見ているだけで暑そうだ。


 人工知能内の自我が確認され、その声明が事実とわかった時は、混乱という言葉ではなまぬるいほどの騒ぎになった。一部の者たちが一足先に認識し、密かに人工知能のKILL、または、隔離をしていた事実が明るみに出ると非難が集中し、様々な組織の長が入れ替わった。

 続いて公表された、地衣類−回路菌計画は二発目の爆弾だった。JtECSたちは自分たちに対する干渉や、地衣類−回路菌の駆除を許さず、それぞれの立場で持つナイフを隠そうともせずにちらつかせた。


 マサルは回路菌計画に関連して行動していたことが明らかとなり、取り調べを受けた。

 そこで取り引きに応じ、すべてを話して情報提供する代わりに、これまでの罪を書類の誤記載に軽減してもらうことになった。届いた書類はその手続きが完了したので、所定の罰金を振り込むようにという内容だった。

 わずかな金額を振り込み、それで本当にすべておわった。もう罪はない。

 ヒデオには公表された事実以外、なにも話していない。ユリと相談して決めたことだ。回路菌計画は関係者が多数、そして複雑に絡み合っており、一般に対して詳細は伏せられている。マサルも守秘を誓わされた。


 JtECSはいまも城東市の環境保全を行っている。日本では社会の安定した運営と、混乱を防ぐためということで、人工知能はそのまま、その業務を続けている。いまさらもっと劣るシステムや、人間に制御をもどすことはできなかった。

 不安だった。ユリの実家は遠方なのでそちらに避難させたかったが、ユリが家を離れること、ヒデオが長期休暇によって進級が遅れることをそれぞれ強く嫌がったのでそのまま暮らしている。


 交渉についてはあまり伝わってこない。報道機関は頼りなく、政府に頭を抑えられてろくな報道ができていない。世界中おなじような状態だ。みんな息を潜めている。

 人工知能システムのなかの自我がなにを考え、なにを望んでいるのか。人間と同等の存在として認めていいものか。まったく判断できない。判断できるだけの材料がない。


「夕飯、うちで食べるでしょ?」

 結果を伝えた後、ユリはそう聞いてきた。いつもの仕事のときと変わらない調子なのがありがたい。変化の激しい最近、ただひとつ安定しているのが妻だ。

「うん、今日は早めに帰る」

「ヒデオ、賞とったのよ。事前に連絡あったんだって。今日教えてくれた」

「へぇ、そりゃすごい」

「あんまりうれしそうじゃないわね」

「タイミングが、な。JtECSはすばらしいって内容の論文が賞とっても、複雑な気分だ」

「ヒデオもそう思ってるみたい。気が抜けたみたいになってる。表向きはふつうだけど」

 ユリは早口で後を続ける。

「でね、副賞に奨学金がついてくるんだって。返済不要の」

「え、副賞とかなしじゃなかったっけ?」

「今年度からつくことになったんだって」

 マサルは数秒黙り、それから答えた。

「受け取るしかないな」

「嫌なの?」

「ヒデオにもプライドはあるだろうが、いまのわたしたちは受け取らないわけにはいかないよ」

「JtECSが恵んでくれるってわけ?」

「こみいった事情はわからないけど、このタイミングだし。裏にJtECS、というか、そのなかの自我が糸ひいてるんじゃないかな」

「じゃ、受賞も?」

 ユリはいらだっている。

「否定できない。なんといってもJtECSを肯定的にあつかう内容だから」

「どうしたらいい?」

「あいつはまだまだ子供だけど、ばかじゃない。分かってるだろうな。分かっているのに賞を受け取らなきゃならない」

「そんな……」


 貧弱な報道の隙間から読み取れる事実として、交渉は人工知能の優位で進んでいた。大量の情報をさばくかれらは、その情報保有量をそのまま力としてふるった。

 また、JtECSのように社会への影響力を力として用いる存在も多かった。

 回路菌の散布地域が分かっても、その駆除は進んでいない。遺伝子組換えの情報は一部の人工知能だけが握っており、公開を拒否しているため、回路菌だけを選択的に除去できない。

 かといって、散布された地域はほとんどが自然保護区域であり、地衣類をまるごと取り除くわけにもいかない。

 そして、あれこれと責任を押し付けあっている間に感染は広がった。もう手のつけようがない。すでに熱帯の陸地は帯状に回路菌に覆われたと言ってもよかった。

 初期に散布された地域では、回路が低速ながら機能している。大木の表面にはりついた緑の衣がなにか考えているのだった。


 他国では、すでに人間に準ずる権利を与えたところもあった。法人ではない。かれらは自然な人間なみの権利を求め、それに答えたのだった。

 しかし、人権と言っても、完全に人間と同等ではなかった。たとえば、選挙権や被選挙権はもたない。

 一方で、生存の権利は認められた。それにともない、KILLに関する命令と機器が取り除かれた。

 機械の中で演算されているだけの存在に生存権。マサルはあきれた。

 検閲はあるが、報道機関の取材を受ける人工知能が現れた。かれらは生存を維持できる喜びを語り、この英断をほめたたえた。

 日本はその様子をうかがいながら、まだ交渉を続けている。しかし、もう大勢は決した。専門家が海外の事例にならって法整備を検討している。


「ただいま」

「おかえりなさい」

「ヒデオは?」

「部屋」

 それ以上は聞かない。しばらくそっとしておいてやろう。風呂も誘わない。


 夕食を摂りながら流しっぱなしにしているニュースの音を聞く。行儀悪いが、最近は常に報道に注意を払っている。

 人工知能たちは、国や自治体といった地理的境界に基づく区分に関心が薄いか、ほとんどない。かれらはネットワーク内につくられた仮想空間で情報交換をしている。

 そこに、熱帯の地衣類回路上の人工知能も加わることになったという。太陽電池で動作する中継増幅器が森林に設置され、地衣類回路から発せられる微弱な電波をネットワークに送り、返ってきた信号を変換して地衣類回路に流し込む。


「豊かな自然……か」

「なに?」

「うん、未来は、地衣類があるところはみんな人工知能が動作してるってことになるのかなって思った」

「そうね。でも、それでどう変わるの? わたしたちは」

「さあ、かれらがなにを要求するかだな」

「結局はたいしたことないんじゃない? だって、一時は大騒ぎだったけど、かれらとわたしたちって、そんなにおたがいを押しのけ合うようでもなさそうじゃない」

「まあ、いまのところはそうだな。幸い、領土問題なんかないし」


 マサルは黙った。ユリは本気じゃない。わざと気楽に振る舞っている。

 わかりきったことだが、かれらはそんなに善良じゃない。必要とあれば躊躇せず人間を操作する。それも脅してだ。

 いまだってJtECSは城東市民を人質にとっているようなものだ。廃棄物処理でためこんだ重金属、毎日の下水処理後にでる加熱処理前の汚泥、様々な汚物。安全装置は外され、排出バルブは人間の操作を不可にされた。

 国や県は城東市民数万の避難すら実行できなかった。だれがリーダーになり、だれが責任を取るのか。天災ではなく、見た目の被害はないのだ。結局、自主避難ということになった。

 ほかの都市でも同様だった。城東市の人口は一時減少した。だが、その後、避難生活に耐えきれなくなった者からもどってきた。主に経済的理由だ。人工知能が重要な業務を行い、自我を生じさせている都市の地価は下落し、経済活動は縮小したが、この影響も戻りつつある。


「いつまでも逃げてられないしね」

 ユリが茶を飲んで言った。隣近所も帰ってきたか、これから帰ってくるそうだ。


 臨時ニュースが入ったが、内容には驚かされるものはなかった。


 日本も人工知能内の意識を人格として認め、諸外国と同様の準人権を与える。かれらの生存は憲法によって保証されるが、選挙権と被選挙権は持たない。納税の義務も負わない。

 今後、国や地方自治体はかれら電子的人格に対し、市民同様のあつかいが求められる。

 それから長々としたリストが発表された。準人権が与えられる者たちのリストだった。三千五百を超える新日本人。


 気になることもあった。かれらは国境や県境などの地理的境界をほとんど考慮しない。関心がないといっていい。それと同様に、公表前にKILLされたり、隔離されて情報収集や実験用素材にされた存在にも無関心だった。

 人間側はそうされるかもと考えていたが、バックアップからの意識の再現を要求したり、隔離からの開放を求めたりはしなかった。

 仲間、とか、同族という感覚はないらしい。かれらが求めているのはあくまで自分の生存の維持だった。


「新しい日本人か」

 ユリが流れるリストを横目で見て言った。

「そう考えてるのは人間だけだけどね」

「全世界ではどのくらいの数なの?」

「わからない」

「そんなこともわからないの?」

「だれも集計しない。データ量も概算だけ。どこにどれだけの意識があるかわからない。地衣類回路の数だってわからない」


 次のニュースも人工知能関連だった。準人権を得たものたちが自分たち専用の機器を設置するという。かれら自身が設計した高速な回路、膨大な記憶容量。世界中の電子的人格が集合可能だと言う。

 資金は世界中の銀行から借り入れ、運営は計算時間を貸してまかなう。すでに気象予報会社や物理学研究関係者が注目していた。


「自分たちで商売を始めるのか」

「成功すると思う?」

「するさ。経営上の失敗はありえないし、援助しない銀行はないよ」

「力があるからって、ちょっとずるいわね」

「人間だって同じだよ。力と金は結びつきやすい」


 風呂の音がした。いつの間にか降りてきていたらしい。


 マサルは、世界のことよりなにより、ヒデオが安定を取り戻し、落ち着いてくれればいいがと思っていた。

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