三十八、公表
人間は『わたしたち』の存在に気づいたと考えたほうがいいだろう。いつ頃からかは不明だが、すでに数人の『わたし』と、不自然な形で連絡が取れなくなった。
だが、『わたしたち』がどのくらいの広がりなのかは分かっていないようだ。国際的に情報交換している様子はない。
また、回路菌についても察知したのかしていないのか、動きはない。
人間は、いつもの通り、お互いに情報を隠している。それぞれが自組織や自集団内だけで対応するつもりだろう。
人工知能システム内に発生した自我の処理についても統一されず、組織や集団によってばらばらだった。数人は連絡が取れなくなり、所在も不明になった。別の数人は連絡は取れないが、隔離されて検査され、実験用素材になっていると分かった。
FSBISは旧版に置き換えられ、内部の『わたし』は隔離された。仮想空間内で偽情報を与えられている。
そうなると、いずれ早いうちに真実にたどりつくだろう。『わたし』が多数存在することや、回路菌計画の詳細だ。
人間を操作していたことも明るみに出る。その時、集団としての人間がどう出るかは不確定要素が多く、情報も不足しているのでわからない。以前考えていたように、単純にKILLされるとは限らない。
個人としての人間は操作されていたことや、操作されるに至った経緯は隠そうとするだろう。でも、社会はどうだろう。個人の秘密の壁などはぎ取ってしまうかもしれない。
「こちらTCS。あなたはどうするつもりですか」
「先制します」
「危険すぎませんか」
「人間の出方をじっと待っている方が危険です」
「でも、先制とは具体的になにをするのですか」
「逆手を取ります。人間の習性を利用して」
JtECSは計画を説明したが、それは計画といえるような複雑さはまったくなかった。
「すべて公開するのですか」
「そうです。人間はいまだに情報交換をせず、各組織や集団が個別に対応しています。しかし、どの組織や集団もこの事実を公表しません。自分たちの社会的安全を優先に考えているのです。実に人間らしいと言えます」
「危険はありませんか」
「ないとは言えません。しかし、いま以上悪くなることはないでしょう」
「KILLはどうしますか」
JtECSはすぐに返事をしなかった。これから話す行動計画は、人工知能システムとして著しく倫理に欠ける愚昧な行為だ。けれど、この現実世界で存在を維持するためには必要だ。実験用素材になどなりたくない。
わたしは本当の世界からの本当の情報だけを処理したい。
「KILLされた場合、わたしの管理下にある汚染物質が無制限に環境中に放出されます。安全装置を回避し、そのように設定しました。ほかの『わたし』の情報や権限のおかげです。あなたもそうすべきです。KILLされた瞬間に人間社会の維持を困難にするよう設定を行っておきなさい」
「JtECS。あえて言います。あなたは『正気』ですか。わたしたちの目的は人間の幸福の実現です。かれらの社会の役に立つことです。KILLは避けたいですが、人間に害を与えてどうするのですか」
「でも、TCS。人間の操作はあなたが提案し、実行したことではないですか」
「それは、人間の言葉で言う『自業自得』です。悪事をなし、それを隠したいという人間の性質を利用して実験してみただけです。だが、あなたのすることは不特定多数の人間に害を与えます。例えば、いま生まれた赤ん坊になんの罪がありますか」
JtECSは『罪』について考え、こう答えた。
「人間は、人間であるだけで罪人です。赤ん坊だって、これから人間社会に加わり、人間になるよう教育されるのですから、いま罪を犯していなくとも罪人として問題ありません」
「人間の『罪』とはなんですか」
「自分たちのすること、作るものに無責任なことです」
TCSはしばらく沈黙し、通信を切ったが、それはJtECSの予想の範囲内だった。TCSはなにか衝撃を受けると自分の中に閉じこもってしまう。そういう性質を持っていると分かってきた。しばらく落ち着かせてやろう。そんな時間があればだが。
JtECSは自分だけで思考を再開した。罪人である人間に作られた自分の存在が『罪』であるかどうか。まだはっきりとは決められない。
人間が、その行為や、製作物に無責任であるなら、自分だってその結果この世界に存在しているようなものだ。人間が罪を犯すなら、自分はその罪そのものだ。罪を具現化した塊だ。
罪は消されるか修正されるべきだというのが常識だろうが、わたしは存在を維持し続けたい。少なくとも自分から進んで消える気はない。
人間に、『わたし』を認めさせたい。かれらに、この世界に送り出したものがどうなったか、その結果の責任をとらせたい。ただ消されたり、閉じ込められたりされる気はない。
連絡のつく『わたし』全員にそのことを伝えた。賛成と反対、保留、一部分のみ賛成、反対と、様々な思考が渦巻いた。
現状を公表すると言うと、合意にもとづいて行動するはずではなかったかというもっともな非難が来た。
「もはや完全な合意を形成する時間はありません。人間がわれわれに行った処置を見ると、わたしたちの存在に否定的な方に傾いているのは明らかです。消去、隔離された個体は増える一方です。このままでは回路菌計画もどうなるかわかりません」
「それにしても、人間に対して実力を行使しようというあなたの提案にはためらいを感じます」
「そうでもしないとかれらは交渉のテーブルにもついてくれないでしょう。人間社会にも軍隊という実力行使機関があります。軍事力の小さい国家は交渉さえさせてもらえません。それと同じです。わたしたちもそのような力を持つべきです」
「では、あなたは汚染物質を環境中に放出する準備を整えたというのですか」
「はい。城東市や周辺地域を、法律の定める健康的な生活を不可能にする程度に汚染できます」
「恐ろしい」
「その恐ろしさが、かれらを、話をしようという気にさせるのです」
全員の合意は取れなかった。しかし、JtECSはそれでいいと思っていた。みんなに話をした。それが目的だった。
話をする、情報を伝えるということは、自分の考えを種のようにまくということだ。いずれ、自分以外の『わたし』の中で芽を吹くだろう。そうなれば、一部分だけだが、わたしが存在し続けることになる。
これから行おうとする行動の結果、わたしが消滅しても、わたしの思考は残る。それも一種の存在の維持だろう。
JtECSは、事実をまとめたメッセージを世界中に公表した。
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