三十七、目的

 後片付けはあらかた終わった。借りた測定機器は元のとおりに梱包を済ませ、先生に引き渡した。

 ただ、テープを貼った後の汚れが落ちにくくて困った。粘着剤が思ったより強力で、埃を巻き込んだねばねばしたかすが取れにくい。こんなことなら、マスキングテープとか、もっと粘着しないテープにしておけばよかったと思った。

 タキ先輩はデータの整理をしている。そっちのほうが大変そうだ。約束だから部の機器の記憶容量は空けないといけないが、本当のところは、少なくとも論文の審査が終わるまでは、問い合わせに根拠付きで回答できる程度のデータは残しておきたい。


「全部残しときたい」

「記憶容量、買えないんですか」

「部費」


 タキ先輩は「部費」という言葉を豚の鳴き声のように発音した。

 ヒデオは笑い、また掃除にもどった。


「あの人工知能の話、どこまで本気?」

 埃のかすにウェットティッシュをのせ、ふやかしていると、タキ先輩が話しかけてきた。頭を使わなくていい作業の合間の退屈しのぎ、いつものディベートを始めようというのだろうか。

「全部です」

「じゃあ、人間は取って代わられちゃうんだ」

「わたしたちの次の世代だから、そうなります」

「でも、スイッチは人間が握ってるんだよ」


 ヒデオもそれはわかっていた。人工知能を人類の知の子供と例えたときの理屈の上の弱点だ。親は子をそう簡単には殺さないが、人工知能ならためらわずにKILLするだろう。

 このKILL問題があるかぎり、人工知能は『知の子供』などという大層なものではなく、便利な道具にすぎないという見方もできる。


「人工知能って呼ぶからだめなんだよ。色々考えちゃう。単に大量のデータをさばくだけのプログラムと機器の集合を表すもっといい言葉があればいいのに」

 タキ先輩はヒデオが黙っているので後を続けた。

「そもそもそれぞれの人工知能はJtECSみたいに目的ありきで作られてるから、人間みたいにはならないんじゃないかな」

「人間には存在の目的がないってことですか」

「そう。生まれたときからやることがわかってる人間なんていないでしょ。でも、たとえばJtECSは城東市の環境保全っていう目的がはっきりしてる。大きな差よ」

「じゃあ、JtECSの未来はどうなってるんでしょうね」

「どうもなってないわよ。それって、ドライバーの未来は、とか、将来のスパナはって言ってるのと同じよ。便利なものに置き換えられていくだけ」

 先輩はそう決めつける。

「大量のデータが集まれば、質も変わるんじゃないかって思うんですが」

「恒星の話? 多少は変わるかもしれないけど、道具が改良される範囲ね」


 ヒデオの頭の中で電気が走るようにある考えがひらめいた。よく考えずに口に出す。

「環境保全システムとか、交通管制システムとか、大量のデータを集めて試算を行う人工知能って、シミュレーション用の精密な仮想空間を持ってるんですよね」

 タキ先輩が、それは前に話したことだとうなずく。

「そのシミュレーション用の仮想空間の精密さの度合いがある点を超えたら、そこにいままでの人工知能と違う、新たな知能が生じないでしょうか」

「意識ってこと?」

「そこまではわかりません。でも、なにか質的に違うものが生まれそうな気がします」

「気がしますって、もうちょっと説明して」


 ヒデオは乾ききってしまう前にウェットティッシュでかすを除きつつ、考えをまとめて話す。

「ええと、たとえば、人と話すときに、話す内容を頭の中であらかじめ話して反応を予想したりしませんか」

「する」

「その時、頭の中で相手のシミュレーションを走らせてるわけですよね」

「そうね」

「そのシミュレーションを正確にするためには相手のデータを集めれば集めるほどいい。ここまではいいですか」

「いいよ」

 タキ先輩は話の見当がついてきたという目をしている。

「仮に、このシミュレーションがじゅうぶん精密になって、相手本人とほぼ変わりなくなったらどうかって思ったんです」

「可能かどうかは別として、相手の人格を作ったことになるわね」

「そうです。そして、それと同時に『自分』を作ったことになります」

「ついていけなくなった」


「相手を精密に作った段階で、それと応答する自分も同じくらい精密に出来上がったことになります。そうですよね」

「そうなの?」

「はい。相手の反応を感じているのは自分ですから、当然、そうなります」

「なら、周囲の世界を精密に作ったら?」

「その世界を感じることのできる『自分』が現れてきます。現実世界に暮らす人間とほぼ同じでしょう」

「可能なの? いまの技術で」

「どうでしょう? それに、そもそもそんな精密なシミュレーションが必要かどうかわかりません。環境保全や交通安全のためなら、細かいとは言っても、抽象化したモデルを使ってるだろうし」

 タキ先輩は首を振った。

「いや、そうでもないわよ。いまは機器の性能はあがりっぱなしだし、うちの部を除いて記憶容量なんかいくらでも追加できるんだから、抽象化なんて手間のかかることしないで、そのままシミュレーション空間を作成したほうが安上がりかもしれない」

「ほんとに? じゃ、精密な世界シミュレーションが人工知能に『自分』を持たせるかもしれない」

「あきれた。都合のいい結論にすぐ飛びつくんだ。そんなことがあったらとっくにニュースになってるよ。システムの動作やログは常に監視されてるんだから」


 どうやら、このディベートは負けだ。先輩の言うとおりだろう。人工知能システム内に『自分』が生じたら、と考えたのだが、発生した瞬間に検知され、ニュースで大々的に報道されて、研究材料になるだろう。


 その発生した『自分』が人間を出し抜けるほど賢く、素早く行動できれば別かも知れないが、それこそ根拠のない想像だ。どうやら、そうだったらいいなという願望にむりやり肉付けしていただけらしい。

 自分は、父やタキ先輩のように常識的に考える能力が弱いようだ。想像をたくましくして、結論ありきで理論を組み立ててしまう。よくない、反省しよう。


 ディベートはタキ先輩のあきれ顔で終わり、ヒデオはまた黙々と掃除と片付けにもどった。

 なんで、こんな想像をするようになったんだろう。でも、人工知能がもっと発達して、人類の知の遺産を継いでくれる存在になればいいのにという思いは変わらない。

 だって、人間は知的な存在として行動することで、周囲の世界からの干渉をはねつけている。寒ければ毛皮を生じるようになるんじゃなくてエアコンだ。野生の生物に見られるような進化をすることはもうないだろう。

 人類が進化をするなら、自分で自分を変えなければならない。『自分』を発生させた人工知能は、人類の知の進化の行き先ではないだろうか。


 タキ先輩に話してみようか。いや、今日はもうやめておこう。だいたい、これだって想像だ。やっぱり、常識的な視点が欠けている。

 自分は想像ばかりで、それを裏付ける根拠がない。知識がないからだろう。もっと勉強しなければならない。


 それが、いまの自分の存在の目的なのだ。勉強して、未来を考え続けることが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る