三十三、人類の子供
論文がまとまり、先生に提出した。基本的な誤りや、論旨に弱いところがないか見てもらう。それから応募だ。
ヒデオは達成感を感じていた。作成途中でも先生に見せて文章やデータの使い方について注意を受け、細かく修正していたので、すこしは直しが入るだろうが、もう仕上がったも同然だ。
その感覚はタキ先輩のほうが強く感じているはずだ。これが高校生活最後の活動になる。先輩は付属の大学への内部進学がほぼ決まっているとのことで、この論文を書き終えたことが、大きな山を超えたようだと言った。
「論文、応募して審査結果が出た後、どうするんですか」
ヒデオは、失礼かなと思ったが、好奇心が勝って聞いてしまった。タキ先輩はこれから時間がたっぷりできる。いったいなにをする予定なんだろう。
「そうねぇ、時間たっぷりできるしね。友達と一泊くらいの旅行に行きたいな。親が許してくれたら、だけど」
「厳しいんですか」
「まあね。うるさい親よ」
測定機器はまだ動かし続けている。論文が完全に完成したわけではないので、念のためにデータを取り続けている。しかし、部の機器の記憶容量を圧迫し始めていて、ほかの部員たちからあまりいい顔をされなくなってきた。応募したら重要な部分を残して削除する約束になっている。
「例の件は? 追いかけてるの?」
画面のほこりを払いながら、タキ先輩が急に聞いてきた。ヒデオは、自分があまり立ち入ったことを聞いたので、話を変えようとしてるんじゃないかと思ったが、考え過ぎかもしれない。
「いいえ。もういいです。あれについては常識的に考えることにしました」
そう言って、父が言ったことを話した。その流れで、人工知能の優秀さについて、異なった視点を与えてくれたことを話した。
「なるほどね。世間話か。たしかにJtECSにはできそうもない」
「生まれて、育って、死ぬ存在である人間だけができることだって」
「ヒデオくんのお父さん、なにしてる人なの?」
「商業交渉人です」
タキ先輩は、ああ、と大きくうなずいて納得したようだった。
「それでそういう視点を持つようになられたんでしょうね」
それからヒデオの父について色々と質問してきた。内心あまり面白くない。自分より父に興味があるようだ。でも、答えていればタキ先輩と雑談ができる。部活の話じゃない、いわゆる『世間話』だ。
「いいなぁ。世界中を旅するお仕事か。だから人工知能の優秀さを見てもわたしたちみたいに弱気にならないで落ち着いていられるんでしょうね」
「でも、別の視点はありがたかったけれど、完全に納得したわけじゃないんです。実は」
「どんなところが?」
ヒデオはおととい父とその話をした時から考えていることを話してみることにした。まだよくまとまっていないが、口に出せばなにか得られるかもしれない。
「人工知能は人間の作ったものです。生まれて、育って、死ぬ人間が考え方を作って書き込みました。だから、思考は人間的なんじゃないかって」
「たとえば?」
「そう、前に先輩が言ってましたよね、JtECSの施策を見てると人間と変わらないって」
「うん、思いもよらないことはしないわね。でも、それは海を泳ぐ生き物が似た形になるようなもので、問題に対する解決策はどう考えても似てしまうってことじゃないの」
「そうです。『どう考えても』です。人工知能の中でなにが起きていようがいまいが、出てくる答えは人間的なんじゃないでしょうか。そして、それなら人工知能は世間話だってこなすでしょう」
「なにが言いたいの?」
「生まれて、育って、死ぬっていう要素のうち、少なくとも育ちはするってことです。それと、未来は人類じゃなくて、JtECSとその同類のものなんじゃないかと思います」
「人間を滅ぼす? 映画みたいに?」
「いいえ。そんな手間はかけません。面倒ですし、資源の無駄です。人工知能は人類にとっての子供なんです」
タキ先輩は首を傾げる。
「またわからないこと言った。説明して」
「親は子供を産み育てて、子供が一人前の大人になったら死んで後を譲ります」
ヒデオはちょっと言葉を切った。どう表現したらちょうどいいだろうか。すこし考えて続ける。
「人類は人工知能を産みました。で、人工知能は人類の知の子供として育ち、大人になったら人間の知識や文化を受け継いで発展させてくれるんじゃないでしょうか。そのときには年老いた人類は静かに退場です」
タキ先輩はぽかんとしたが、すぐ静かに笑った。
「なによ。SFの話? まじめに聞いてたのに」
ヒデオは悲しくなった。この人はだめだ。わかってくれない。いや、わかろうとしないのか。けれど、話しかけたことだから最後まで話した。
「いいえ、本当にそう考えています。だから、人工知能は必要なんです。ちょうど社会に子供が必要なように、人類の子供なんです」
「年取った人類はどうなるの?」
「さあ、そこまで遠未来のことは予想もつかないです。意識のアップロードとかできるようになって、人間も人工知能も区別つかなくなってるかもしれません。でも、はっきりしてるのは、いまの形の人類は世界の主導権を譲るってことです」
タキ先輩は白けた顔をしている。まじめに聞いていたのに、という失望の色もまじっている。ヒデオは自分は真剣だと伝えたかったが、どう言えばいいのか思いつかない。
もどかしかった。自分の考えをきちんと理解してもらえない。
「結局、ハヤミ君の空想よね。それは」
帰り支度をしながら小さな声で言った。
「ですね。すみません」
「謝ることない。けど、もっと地に足がついてなくちゃ、じゃ、お先」
「さよなら」
タキ先輩はさっさと部室を出ていった。これ以上付き合わされたくないという感じだった。
ヒデオは機器の終了処理をしながら反省していた。たしかに理屈ばかり先走ったし、裏付けのない勝手な空想と言われれば言い返せない。だって、そのとおりなんだから。
ヒデオはケーブルをとめていたテープのふちがめくれかかり、そこにほこりが溜まって汚れているのを見た。
剥がしたら掃除しなきゃ。
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