三十一、処分

 朝から忙しい。表の仕事を片付けつつ、地衣類密輸に関わる情報を処分する。取引の記録、客の情報を復元不可能な状態にして廃棄する。いくつかの記録媒体はどうしても不安だったので物理的に破壊した。

 それからササキリエに連絡し、訪問につごうのいい時刻を聞いた。午後二時すぎ。

 事務所を出るついでに破壊した記録媒体の残骸を複数のゴミ箱にわけて捨てた。素人の考える用心など意味をなさないかもしれないが、できることはしておきたい。


「お待ちしておりました」

 ササキリエはいつものように、玄関の枠を額のようにして立って迎えてくれる。

「大変、残念です」

 マサルはうなずく。

「残念です。しかし、終わりにしなければなりません」

 地衣類の販売をはじめて以来、まったく変わっていない客間に通された。


「どうしても、ですか。今後は屋外に漏れることはないようにします。交換業者はもっと厳しく選びます」

「いえ、このようなことに二度目はありません。露見していないうちに処分しておきましょう」

 マサルは表面上は穏やかだが、有無を言わさない厳しさを口調に含ませた。ここは甘い顔はできない。ユリとヒデオの顔が浮かんだ。

 相手はすこし驚いている。こんな態度を取られるとは思ってもいなかったという顔だ。無理もない。この人はこんなふうに要求された経験などほとんどないのだろう。


 それからふたりで地下室に降りた。湿った空気が柔らかく動いている。容器の中には地衣類が湿り気を帯びて輝いている。緑、黄、赤、茶、紫。

 マサルは冷静に、合法と非合法、処分の必要なものと不要なものに分類し、袖をまくって容器を小型の焼却炉まで運んだ。

 老婦人がうなずき、マサルは地衣類を炉に入れた。木にくっついているのはそのまま、岩にはりついているのは剥がし、岩と容器は洗って薬品をかけた。

 そうしながら、それぞれの地衣類をいつ、どこで、どのように採取したか思い出していた。熱帯、温帯、極地、低地、高地。持ち出すときの緊張感。地元の腐敗した役人との交渉。


 日が傾き始める頃、ほぼ完全に殺菌された岩と容器が地下室の片隅にきれいに積み上げられた。炉内には燃え残りはない。白い灰だけだった。


「残念です」

 ササキリエがまた言った。

「残った地衣類を大切になさってください」

 老婦人は小さくうなずく。目は乾いている。まだ実感がわかないのだろう。この人が失ったものを思って泣くのはもっと後だと、マサルは袖を直しながら考えた。

 一方で、抜け目なく地下室を見回した。事前に連絡すべきではなかったかもしれない。どこかに隠されていたら困る。それに、画像とかデータがどこかにあるはずだ。それも消してもらわないと困る。

 しかし、調べようがないし、老婦人の様子を見ていると、データまで削除しろとは言えなかった。マサルは自分の甘さを感じ、まだまだだなと自戒した。


 酷な作業の後だと言うのに、老婦人は茶をすすめてきた。マサルは礼儀正しく断るのに苦労した。


「カラスだってものを集めるというのに、ねぇ……。ぴかぴか光る金属や、色鮮やかなかけらを」

 上着を着て帰り支度をしているマサルを見ながらつぶやく。

「もう危ない橋を渡るのは終わりですよ」

「ええ、そうですね。全部なくなったんじゃないですわね。合法の地衣類はある。いままで通り」

 口調は明るかったが、本心はそうではないとわかった。

「これでお別れです。今後お会いすることはないでしょう。今までありがとうございました」

「こちらこそ。お世話になりました。一時的とは言え、珍しい地衣類を手元に置けたのは幸せです。さようなら」


 玄関まで見送ってくれた老婦人は、自動点灯した灯りに照らされてまっすぐ、きちんと立っていた。


 マサルは、けりをつけたというのに、まったくすっきりしない自分に気がついた。

 ねぐらに帰るカラスがうるさく鳴いていたが、同じくらい心がざわざわしていた。

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