二十六、信号無視

 ユリが夜中に話しかけてきた時、マサルは眠りかけていたところだった。明日にできないかと言ったが、ユリは静かに、しかし断固とした調子だったので起き上がり、ベッドの上にあぐらをかいた。


「なんだい?」

「マサルさん。まずはあなたに謝ります。ごめんなさい。あなたの端末を勝手に操作してデータを抜き出しました」

 ユリはなんの感情も込めていない口調でそう言った。マサルはとまどうばかりだった。

 しかし、その後、マサルが嘘をついたこと、ササキリエの家に立ち寄ったことを追求し始めた時、ごまかそうにも表情がすべてを告白してしまった。

「これには事情がある。君の考えているようなことじゃない」

「ええ、時間はたっぷりあります。聞かせてください」

「言えば君を巻き込むことになる。できれば自分ひとりだけにとどめておきたい」


 ユリはだまって首を振る。マサルは逃げようがないとあきらめた。たまには家に連絡しようと思ってしたことがこうなるとは。タクシーを呼び出しておいて、その待ち時間に連絡なんて不用心すぎた。


 次はユリがとまどう番だった。夫の犯罪。マサルは、あまり見たことがないような複雑な色を妻の目に見た。動機は教育資金だと言うと、たしかに最近余裕ができてきて安心していたのだが、夫の仕事がうまくいっているせいだと思っていたと言った。


「どうするの?」

「どうもしない。あとちょっとなんだ。続けたい」

「犯罪よ」

「だれも困らない。人道に反するようなものじゃない。移植ごての先でちょっとすくうだけだよ」

「その、ササキリエって人は客なの?」

「上得意。こっちの言い値で買ってくれる」


 マサルはもう開き直っていた。仕事の自慢をするように犯罪を告白した。むしろ、悪事を共有すると心が楽になるのを感じた。

 なにかの商品かサービスを売るように、地衣類密輸の後ろ暗い点は過小に話し、環境に与える影響などは微々たるものだと強調した。


「ずっとは続けない。必要な分が確保できたらやめる。それに、犯罪組織とは関わっていない。そこは安心してほしい。やめたいときにやめられる」

「ヒデオは? 犯罪で得た金で塾や大学にやるの?」

「それを言うなよ。結局はヒデオのためになる。老後資金を取り崩さなくて良くなれば、ヒデオに経済的に頼らず暮らせる。つまりはヒデオの将来に障害を置かずにすむ。な、わたしたちがヒデオの重りになってどうする」

 ユリは迷っている。そう見て取ったマサルはさらに言葉を重ねた。

「どうか許してくれないか。それから、このことは聞かなかったことにしてほしい。なにかあってもひとりで背負う」

「なにかって?」

 ユリはわかっているのに聞いてきた。マサルに言わせたいらしい。

「万が一、まあ、ありえないけど、見つかったときは自分ひとりでやったと言う。ま、それは本当なんだけど。当然君も色々と聞かれるだろうが、知らなかったと言えばなんの証拠もない」

「怖いわ。やっぱりやめてほしい」

「心配ないよ。こういう犯罪がばれるっていうのはどこかでだれかが損をするからだ。移植ごてで地衣類をすくってだれが損をする?」


「なんでなんの相談もしてくれなかったの?」

 マサルはすこし考えて答えた。

「自分勝手かもしれないけれど、意地だな」

 ユリはもっと説明してと目で促す。

「仕事を狩りに例えたけれど、家族みんなを腹一杯にして、かつ保存もできるくらいたっぷりの獲物を持ち帰りたい。それも自分の手で。でも現実は君にも働いてもらってる。それでも計算したら不足する可能性があるって出て恥ずかしくなった。意地でも余裕を作ってみせると思ったんだ」

「それならなおさら相談してほしかった」

「そうだな。でも、できなかった。自分の力で解決したかった。自分は強いって証明したかった」

「相談したり、頼ったりするのは弱いってことじゃないわ」

 マサルはうなずいたが、心のなかでは首を振っていた。違う。それは弱いってことだ。弱すぎて自分に負けた人間のやることだ。問題が自分の力で解決できると判断したなら自分だけで行動すべきだ。それが悪事であっても。

「すまない。君の言うとおりだと思う。でも、本当にもうちょっとなんだ。あと数回かそこら取引をしたら終わる」

 嘘だった。あと数年は続けるつもりだった。ヒデオの進路相談の報告書を見る限りでは、本人は希望していないようだが、私立大学や、留学も視野に入れておいたほうがいい。それをもとに再計算するとまだまだ不足する。まともな副業では間に合わない。

 ヒデオは心配するユリに大丈夫だといい続けながら、もっと用心しなければと考えていた。端末は別にして、地衣類採取と密輸に関わる情報は家には持ち帰らない。これまで同様、一部の上得意を除いて取引はネット上で完結させるが、基準をもっと厳しくする。そういう計画を練っていた。


 心配してくれる妻を裏切ることになるが、それはあくまで表面的な部分だ。心の奥底で妻や息子を愛しているからこそ、わたしはこの行為を続ける。知られてしまったのは計算外だが、信号無視程度の小さな悪事だ。ローリスク・ハイリターンなのだからやめる訳にはいかない。

 愛しているから嘘をつく。それは裏切りではないと思う。騙すのなら騙し通してみせる。ただ、その根本には愛がある。それは間違いなく真実だ。

 マサルはユリの肩に手をおいた。震えている。大丈夫だから、心配するなとささやくように言った。


「違うの、わたしが心配しているのは、あなたが楽しんでるんじゃないかってことなの」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る