二十七、価値
昼休み、タキ先輩からメールが入った。あの家の老婦人の作ったプロファイルページへのリンクがあった。
よくあるタイプのもので、テンプレートの空白を埋めたら出来上がりというものだが、それすら途中でやめてしまっている。それでも名前がササキリエであることと、趣味が旅行、読書、地衣類栽培、絵画鑑賞だというくらいはわかった。
その地衣類栽培というところにはタキ先輩が注釈をつけており、ほかのページが紹介されていた。
そこは初心者向けに地衣類栽培法を教えていて、ササキリエが数項目を担当していた。ついでに自分の栽培した地衣類を紹介していたが、調べてみるとそれらはすべてこの地方産の種であり、なんらおかしな点はなかった。
「どうする? もうちょっと追いかけてみる?」
その字には装飾が施され、踊るように動いていた。タキ先輩は面白がっている。
本当のところを言えば、ヒデオはすでに興味を失っていた。ほんのわずかに外国産の胞子があった程度で密輸だとかなんだとか、世の中の裏側を覗いたような気になった自分が恥ずかしくもあった。
でも、タキ先輩の方からこうして知らせてくれたのを突き放したくはない。
「情報ありがとう。すこしだけど線がつながってきたかも。研究の合間で追いかけてみます。よかったら付き合ってくれませんか」
そう返信しようとして、最後の『よかったら付き合ってくれませんか』というのが二重の意味になりかけているのが照れくさくなり、消して送った。
放課後、ヒデオはデータ整理を行っている。タキ先輩は先生と相談している。そろそろ論文の骨子をきっちり決めないといけない。とは言っても、ずっとデータ整理してきたヒデオからすればそれはもう決まっていた。
JtECSはよくやっている。投入された税金分の価値はある。それは以下の実績から証明され……。となるだろう。
先生のところから戻ってきたタキ先輩もその方針で論文を作成すると言った。周囲からなんと思われても、これだけの実績を挙げている以上、否定や疑問型の結論にはなり得ない。淡々と事実をならべましょう、と。
「それはそれとして、ササキリエの調査、本当にするの?」
「ええ、時間のあるときに」
ヒデオはモニターの数字とグラフを見ながら答えた。
「これからは余裕できるわよ。最新型のおかげでデータの質と量は問題ないし」
タキ先輩はあのメールの字のように面白がっている。
「ひとりでやるの?」
「先輩は興味ないんでしょ」
「実はあるの。どう、乗せてよ。この件はハヤミ君がリーダーってことで」
ヒデオはモニターから横を向き、必要以上に近くに顔を寄せてきたタキ先輩を見た。
「わかりました。じゃ、まずはササキリエについて集められるだけの情報を集めましょう」
しかし、ネット上ではササキリエはごくふつうの年齢相応の活動しかしていなかった。中途半端なプロファイルページと趣味の活動だけだ。それもそれほど活発ではなく、かといって不自然なほど沈黙してもいなかった。目立つつもりはないが、隠れるつもりもないらしい。
「お金持ちなのね。でもひとり旅ばっかり」
タキ先輩がつぶやいた。そういえばそうだ。ササキリエの画像に他人が写っていることはほとんどない。ただ、近所付き合いはあるようで、町内会の催しの画像が数枚あった。
しばらく見ていると退屈してくる。よほどの有名人でもないかぎり、日常の記録など見てもしようがない。それに高齢者だ。ヒデオたちとの接点はない。
そんな感じで、惰性で画像を見ていたヒデオの目がある画像で止まった。
一連の画像で、『空調工事でご迷惑をおかけしましたが、無事完了しました』という文章がつけられていた。どうやら公開設定を間違えてしまったらしく、町内会か近所向けに限定公開するつもりだったのだろうが、一般公開になっている。
そして、その一連の画像には工事中の様子が始めから終わりまではっきりと写っていた。
タキ先輩に説明し、その画像をもとに空調機器について調べてみたが、まったく門外漢なので思ったより時間がかかったにもかかわらず、はっきりとした結論は出せなかった。
しかし、どうやら内部の空気を排出するときに濾過する仕組みのようだとあたりをつけることはできた。
ヒデオは顔には出さなかったが、胸中はどきどきしていた。これはもしかするともしかするかもしれない。
いや、慎重になれ。自分につごうのよい結果が出そうなときほど用心しなければ。
いまのところ、手元にあるのは状況証拠、いや、証拠ですらない。外国産の地衣類を違法に栽培している事実を証明するものはなにひとつとしてない。
外国産の地衣類の胞子がごくわずかに検出されたことと、検出箇所付近の家で空調機器のフィルターを交換したこと。その期間は重なっている。その空調機器は一般家庭向けではなく工業レベルのもので、また、内部の空気を排出時に濾過する仕組みのようだということ。
そして、その家にひとりきりで住む老婦人は地衣類栽培が趣味だと公言している。
「ハヤミ君はどう思ってるの?」
「わかりません。はっきりした証拠はなにもないですし」
「そりゃあそうよ。でも、外国の地衣類の密輸と栽培だとしたらすじは通るわ」
タキ先輩は前にヒデオが言ったように繰り返して笑っている。
「からかわないでください」
「ごめん。でも、これだけの事実が出てきたってのも変ね。なにもなければ出てこないはずのものが出てきてるんだから」
「地衣類ってそんなに儲かるんですかね。あれほどの設備を整えるほど」
ヒデオは話を変え、画像の空調機器と、検索して出てきた同型の機器の販売価格を指して言った。設置にはさらにかかるという意味のことが書いてあった。
「ササキリエって人、販売する経由駅じゃなくて、終点なのかな」
タキ先輩はヒデオの言葉に首をかしげ、もっと説明するよううながした。
「つまり、地衣類栽培が趣味っていうのはごまかしじゃなくて本当のことだったらって思ったんです。本当に珍しい地衣類とかが好きで、密輸してでも手元で栽培したいのかなって」
「ああ、終点ってそういう意味ね。お客ってこと。じゃ、だれかが売ってるの? 密輸して」
「そうなりますね」
「じゃ、JtECSは?」
「わかりません。ただの誤判定でこの件とは関係ないかも」
ヒデオは天井を見上げた。
「まあ、いずれにせよこれで打つ手がなくなりましたね。工事は終わったし、胞子はまったくく検出されなくなった。屋内の空気を濾過して排出したからと言って、それは犯罪でもなんでもないし」
「案外つまらない落ちになったわね」
「なにかあったとしても、いままで隠し通してきたんだから、これからも隠し通すでしょう。たまにほんのわずかミスをしたときに現れるけれど、そんなほころびはすぐになくなります」
「こんどは密輸してるやつがミスしないかな」
「そっちはもっと用心してますよ。素人じゃないんだから」
ふたりは論文のほうにもどった。水、大気、様々な汚染物質の流入、流出量の変化。環境保全とJtECSについて、じゅうぶんに効果を挙げているか、投入された税金に対してはどうか。人工知能を用いていない地域に比べてはっきりと成果を出せているか。
JtECSはふたりが課すどんな厳しい基準もやすやすと越える。それは実績という数字に表れている。
だから、とヒデオは思う。なぜ、あの時測定機器からのノイズと誤回答したのだろう。もしそうでなかったら、ヒデオはJtECSを環境保全業務をまかせていいと全面的に信頼していただろう。人工知能は人間よりいい仕事ができると。
けれど、小さいミスだが、ミスはする。ノイズと間違うくらいわずかだったから良かったが、外来生物汚染を見逃しかけたのだ。これをどう考えればいいのだろう。
JtECSの結論を人間が監視する? そんな非効率なことはできない。いまふたりができているのは学生だからだし、監視団体も別の政治的な目的や社会奉仕として行っているからできているにすぎない。人工知能が効率的に行っている業務に人間を加えるなどとんでもない。
そこまで考えてヒデオは愕然とした。『とんでもない』だって? 人工知能の作業に人間が加わることを『とんでもない』と考えたのか。
いや、たしかにデータはそう示している。せっかく削減できた費用に人件費が加わるのだ。しかも監視などという直接結果を出さない業務にだ。税金を使って、あの程度の小さなミスをたまに見つけてどうなるのか。
いまも様々な分野で人工知能が用いられ、実績を挙げている。人間がどのくらい加わっているかはそれぞれだが、JtECSはほとんど人間なしでうまくやっている。
ほかもいずれそうなっていくだろう。
その時、人間の価値をどこに見い出せばいいのだろう。いま、ここで勉強していることがなにかの役に立つ日は来るのだろうか。それとも、知識が死蔵されるだけなのだろうか。
校門のところの碑には、教養を高め……、。人格を磨き……、などと書いてあるが、もっと具体的に社会の役に立ちたい。しかし、そのための勉強をしても、もっとうまくやるやつがすでに存在している。
どうやってもJtECSに代表される人工知能にはかなわない。共同して仕事をすることすらできない。どんなにがんばっても足を引っ張るだけだろう。
ヒデオは、すべてを投げ出して叫びたい気持ちになった。
実際はそんなことはせずに、おとなしくデータを処理していた。
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