二十四、青い線
空港から電話がかかってきた。マサルさんはいつもの空港線の乗り継ぎ場所とは違う所にいるようだ。
「いまついた。ちょっと事務所によってから帰る」
「わかった。狩りはどうだった?」
「順調。大物じゃないけど。客の希望は八割方通った」
「すごいじゃない。こっちは別になにもないわ」
「ヒデオ、どう?」
「ああ、例のこと? わからない。あんまり話ししてくれないから。あなたが聞いてくれる?」
返事の前に、夫はちょっと画面外に目をそらした。
「わかった。じゃ」
振り返りながら電話を切る。その時、一瞬だがタクシーの案内板が映り、マサルさんの名前が呼び出されているのが見えた。
タクシー? どこへ行くの? 事務所なら歩いてすぐなのに。
マサルさんの隠し事は日本にもあるのだろうか。それはさすがに黙っていることはできない。
「どうしたの。遅かったじゃない」
「うん、さっと報告書作って帰るつもりが結構手間取っちゃって。すまない」
ユリは爆発しそうな自分を抑えようとしたが、あまり上手くいかない。
「ご飯温めるから」
そう言って背を向けた。
「ヒデオは?」
「もうご飯もお風呂も済ませて部屋にこもっちゃったわ。そういう年頃なんでしょうけど、寂しいわね」
ヒデオの話になったので、気を紛らわすことができた。歳のせいもあるだろう。二十や三十代ではこうはいかなかった。
マサルさんは旺盛な食欲で夕飯を平らげ、ニュースなどを見てから風呂に入った。
ユリは胸がどきどきしてきた。これからすることはマサルさんに対する裏切り行為だ。もしなんでもなかったら、わたしは自分を許せなくなるだろう。割れたマグカップは修復できるが、壊れた自分の心はどうしようもない。
だけど、このまま迷い続けるのも嫌だ。これからの自分の人生をはっきり決めるために少々の悪事には手を染めよう。
ユリは夫の端末を手に取り、難なく暗証番号を打ち込んだ。マサルさんはその程度の安全策しかとっていない。最初のうちはセキュリティに厳しかったが、そのうちに面倒になったのと、経費を節約するためにやめてしまった。生体認証は前に感度の鈍い機器に手間をかけさせられて以来使わないし、暗証番号も忘れるからと言ってずっと変えない。用心深そうでいて、どこか抜けている人だ。
それから今日の位置情報を自分の端末に転送した。思っていたよりあっけなく、あっという間に終わった。
端末をもとのように戻してもどきどきする胸はおさまらず、夫が風呂から上がってきてビールを一緒に飲む頃にやっと平静に戻った。
今夜は確認はやめておこう。明日、ひとりになった時だ。
マサルさんとひとつのベッドで寝ている時、このまま夜が明けなければいいのにと思った。
けれど、時間は止まらない。朝日のなか、ヒデオとマサルさんが家を出て、ユリはひとりになった。
位置情報は端末にある。いまなら間に合う。なにもせず削除すればいい。しかし、ユリの指は地図にその情報を読み込ませた。
青い線が空港から伸び、高級住宅地区の一軒の家で止まった。それから数時間後に近くの駅へ、そこからいつもの最寄り駅に行き、家に帰ってきていた。
その家の住人の公開情報はないか探してみると、ササキリエという老婦人が空白だらけのプロファイルを公開していた。多分、作りかけであきらめたのだろう。一人暮らしの老婦人。ユリは首をかしげた。考えていたこととすこしずれてきた。
もしかすると、その老婦人ではなく、通っている家事管理の人や、福祉関係の人が相手なのかもしれない。
いずれにせよ、マサルさんの隠し事はわたしの誤解などではなく、家族の将来に暗い影をおとす無責任なものだったようだ。
それにしてもわたしだけならともかく、ヒデオをどう思っているのだろう。
ユリは怒りと、それより大きな哀しみを感じた。マサルさんにとって家族はそのくらいの軽さだったのだろうか。
ユリは茶を入れ、迷ったが菓子を出した。スナックを一箱空けてしまった。
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