二十三、小さなため息
例の生物汚染の信号は検出から七日目となり、もうほとんど検知されなくなった。なぜそこにいるのかわからない外来生物。現場では外国産の建材などを用いた工事は行っていなかった。空調のフィルター交換だ。工期は検出日と合うが、汚染の原因とは考えにくい。
なぜそんなに気になるのか。ヒデオはデータを処理しながら考える。
JtECSだ。当初、それは間違えた。すでに訂正済みだが、あらためて考えてみるとやはり引っかかる。人工知能があんな間違い方をするだろうか。
環境保全を目的に作られたはずなのに、外来生物による汚染に対して慎重さに欠けている。こちらが問い合わせてすぐノイズと判定した。それから証拠付きで再問い合わせするとあっさり間違いを認めて訂正した。
間違いを認めて即座に正したこと自体はすばらしいと思うが、よく考えてみると腑に落ちない点もある。
となりではタキ先輩が黙々とデータを操作している。手が、小さくなにかの踊りを踊っているようにひらめく。
仮に、JtECSを人工知能ではなく、人間だと考えてみたらどうだろうか。人間があんなふうにすぐに訂正するのはどういうときだろう。
本当に間違えて、素直に訂正した。これがもっともあり得る。
また、問い合わせ者の立場を見て、丁寧な回答は不要と判断し、確認せずにいいかげんに答えたら間違っていたということもあるだろう。こっちをなめてかかったとか、ついうっかりしたということか。
そして、意図的に虚偽を回答したが、見破られたので間違いを装った。これも人間ならある。いわゆる、ごまかす、というやつだ。
しかし、現実にはJtECSは人間ではない。環境保全を目的として作られた人工知能だ。人間であればあり得ることでもまったく成り立たないか、不自然になる。
「なに考えてるの? 胞子のこと? それもいいけど、手が止まってるよ」
「すみません」
ヒデオはその考えを頭の隅に押しやり、画面を流れるデータを処理する。JtECSの優秀さ、効率の良さを証明するデータだ。城東市や周辺地区、県の環境は良好になり、それが維持され続けている。投入した税金に見合うかどうかは主観が入ってくるので判断はむずかしいが、例えば、市を貫いて流れる川は上流、中流では未処理でも飲用に適するレベルになっていた。この成果は懐疑派でも認めざるを得ないだろう。
だが、いくら優秀な人工知能と言っても、人間ではない。人間のように情報提供においてごまかすようなことはしないはずだ。ひねくれた言い方をするならば、優秀ではあっても、嘘をついたりごまかしたりするような犯罪的な行動を取れるほど頭は良くない。それが人工知能だ。
ヒデオの手が一瞬止まる。犯罪的な行動。人間なら可能な行動。あの老婦人。まさか。
外国の生物の密輸入。この場合は植物あるいは地衣類。それを栽培して密かに販売する。あの家でそれが行われていたのではないか。露見しないように工業レベルの空調で濾過していたが、フィルター交換中に付着していたのが剥がれるかどうかしてあたりに漂ったのが新型の監視機器に検知されたのではないか。
それであれば検出時間が作業時間とほぼ重なるのもつじつまが合う。脈動していたのもフィルターを運ぶときなど、露出していたときに増加したのではないだろうか。交換作業は注意深く行われるが、密閉された研究室ではないのでわずかに漏れることくらいあるだろう。普通なら問題になどならない。空調が周囲の塵以外をとらえていることなどないからだ。
でも、この場合は室内の胞子を外へ出さないのが目的だったのだろう。それは今までうまくいっていたが、交換作業で漏れてしまった。
「……あー、ハヤミ君。推理小説とか好きでしょ?」
タキ先輩はあきれたように否定する。笑いも混じっている
「環境保全にはJtECSだけじゃない、人間だって控えてるのよ。ほかにも警察とか、密輸取締するところはたくさんある。その人たちがちゃんと仕事してるんだから、素人の出番なんてない。それよりちゃんとデータ処理して」
「でも、すじは通ります。犯罪なら」
「すじが通ったら正解ってわけじゃないでしょ。証拠もないのに」
それに、と、小馬鹿にしたように付け加える。まさか、そんなことにJtECSも噛んでるって言うんじゃないでしょうね。
ヒデオは言葉に詰まった。たしかに証拠はない。外国産の地衣類の胞子が検出されたから、その場所に住んでいる人が密輸を行ったというのは飛躍がすぎる。その間をつなぐ線が一本もない。
また、仮にそうだったとしても、老婦人の犯罪とJtECSの間違いが関連しているなどというのは自分で考えてみても妄想としか言いようがない。
タキ先輩は黙って自分の仕事に戻り、ヒデオもそうした。共有フォルダに整理されたデータが積み重なっていく。
ヒデオは自分にああいう空調装置の知識がないのと、あそこで画像を撮らなかったのを悔やんだ。装置がどの方向に空気を通すようになっていたかわかったかもしれないのに。それは弱いが手がかりにはなる。普通と逆に室内の空気を排出するときに濾過するようになっていたら自分の考えを補強するだろう。
内容証明記録はどうだろうか。ヒデオはタキ先輩に見つからないように画面の片隅で再生して確かめたが、背景の工事現場はその判断がつくほどはっきりとは写っていなかった。
いますぐ現場に飛んでいきたいが、今日の分のデータ整理を終えていない。この状態で飛び出したらタキ先輩になんと思われるだろうか。ヒデオは座ったまま作業を続ける方を選んだ。たしか、工事は今日で終わりだ。いまごろは撤収作業をしているんじゃないだろうか。
しばらくして一段落ついたので、あの場所を呼び出してみると、周囲と同じく青く光っていた。ヒデオは小さなため息をついて作業に戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます