第50話 シマでの唄い

 シマのクニでの日々を幾日か繰り返した。狩りをして市でひさぐ。雨の日は、何もしなかった。海に雨が落ちるのは我がクニでは見られない。今、時を同じくして、我がクニでも雨が降ったりしているのだろうか。

 夕方に橋や辻で占うのも、ならいになっていた。《女たち》から、もしも辻占つじうら橋占はしうらをするならば、日々決まった時にに続けてやるべきだ、と教わっていたから。

 日々まじなううちに、人が集うようになってきた。シマのクニはそれなりの大きさだから、占いを事とする者はいてもよさそうなものだ。しかし、路で占う者は私をおいていなかった。湊を歩いていると巫女のごとくの者に出会える。恐らく、このクニでは海に関わるまじないが盛んで、路でのまじないは、いまだ広まっていないのだろう。我がクニは陸のなかにあるから、路が多い。舟を使うことが、シマよりはかなり少ない。皆歩く。だから占いも、路にまつわるものが多くなる。

 

 その日は晴れ渡り、心地のいい日だった。そんな日の夕方は、良い日を少しでも長く楽しもうとするからか、モノがほとんど売れ渡ってしまった市においても人が多く残っている。私はいつも通り、橋占の祝詞を唱える。眺める者どもは三十人を超えるくらいで、黙って聴いている。テルセは私が危険な目に遭わないか心を尖らせている。仕舞いまで語り終えると、静かな間が訪れる。その内に、占いで何が出たのかを問われる。

 橋占は大きな事柄は占えない。明日、モノを売るにはどこに向かって売ればいいのかとか、何を食べると幸せが訪れるとか、赤い色を身につけると良いことがあるとか……そんなことが導き出せるくらい(でもこういう小さいことが心に深く残ったりする)。

 次に、一人の男が何か他の唄も唄ってほしいと申し述べてきた。シマのクニにない、我がクニの唄を語ることにする。

「ええと、私はヤマトのクニの出ですから、故郷の唄から選んで、このシマではあまり聴かないものを唄おうと思います。皆さまは色々なクニからいらっしゃっていると思います。もしかしたら故郷に近い唄があるかもしれません。そして細かな違いがあるかもしれません。これは、どちらのクニの唄が正しいとか、そういうものではなくてですね……、それぞれが祖から次いでいるもので間違いがないのです。ですから皆さまが知っている唄と異なることがあっても、今は、心を安らげてお聴きになって下されば幸い、です」

 そして唄う。

 唄う最中、ある男が相の手を入れてくる。「おっ」とか「はっ」とかをよい所に差し挟んでくれる。初めて聴く唄なのだけれど、唄の仕組みはクニを超えて同じくあるのだろう。上手く相の手が入る。

 唄い終えると皆手を叩いて、笑って喜んでくれた。モノを差し出す者もあった。

 斎の宮で鍛えていると、こんなことができるのか、と私も笑ってしまう。辺りはすっかり暗くなっている。皆、私がまた橋に立つことをなんとなくわかっているので、引けは早かった。そんな中、ある女がもの言いたげに残っていた。私の腕の、文身を見据えているようだ。もしも仇にくみするものだったら、と思うけれどもどうしようもない。人がまばらになり、残りの者が目立ちつつあるなか、女は静かに去っていった。


「テルセ、皆の前で唄うのってたのしいわー。こんな事やったことなくて」

「あまり目立ち過ぎるのは……」

「まさか私がヤマトの姫巫女だって誰も解らないでしょう」

「そのようですが……文身を見ればわかるものはわかります。それに……」

「なーに?」

「あの、トヨ様は唄声がとても艶やかで……宮にいらっしゃいましたから色も白雪のごとくで。女の私から見ても男にもてそう」

「ふぁ、年増の女ですよ」

「いや年とか関係なくなんだか世のおじ様方にとっても覚えがよさそうな……と、とにかくそういうことを心に置いておいた方が! さっきだって男の人がじろじろ首筋や裾を見てて」

「あはは。あたしゃーあの戦の時、テルセが助けなければ犯されて殺されてた。死んだら唄えないし、《書》だって読めない」

 ふと橋に立ちたくなった訳がわかったような心地がする。

 唄は異なっていても、唄はある。文身は異なっていても、文身はしている。


 次の日も、まだ陽が高いうちから声をかけてくる者どもがあった。賑やかに占いと唄いとを終える。すると、昨日の女が話しかけてきた。

「あの、もし」

「なんでしょうか」

「あなたはヤマトの出なのですよね」

「はい」

「ヤマトの姫巫女のトヨ様のともがらでいらっしゃいますか?」

 私はこの者を知らない。思わずテルセを見遣る。テルセは目を暗くして、身の後ろに刃を構えている。

「どうしてそのように思うのです?」

「私の亡き母がヤマトのクニの姫巫女に、唄と語りとで仕えていたことがあったのです」

 昔我がクニの《大婆》が足りなくなったときに、シマの女をヤマトに来させたことがあった。その内に女が足りるようになって、ずっとシマの者をヤマトに置いておくのは心苦しいだろうとなって、女を返した経緯があった。

「母は亡くなるまでトヨ様がお優しくしてくれたことを申し述べておりました。はじめはヤマトのクニの者ばかりで肩身が狭かったのですが、トヨ姫様が上手く皆を和やかにして混ぜてくれたと聴いております。あなた様はトヨ様のお子様なのでしょうか。ヤマトのクニは今戦があったようですが……」

 こんなときは頭がどんどん働く。まじないや語りを継ぐ《大婆》とは位の高い女たちがなるものだ。だからシマの《大婆》のこの娘も位は低くないだろう。その女が親しく語りかけてくるのだから、シマのクニは仇ではないはず。我が身を明かしてもいいのかも。テルセは真っ暗な瞳をしているけれど。

「あの、ここでは憚りがありますので、我が野屋に来ていただけないでしょうか」


「あの《大婆》のことはよく覚えています。その娘様なのですね。私こそがトヨです」

「ええ? それは申し訳ありません! てっきり年かさの方と思っていました。母からは唄いと文身のことしか聴いていなかったから。こんなにお若い方だったなんて」

「ヤマトの戦から、この端女のテルセと共に逃れてここまで来ました。戦はどのようになったか聴いておりますか?」

「ここシマのクニにはなかなか報せは届かないのですが、治まりつつあると聴いています」

「ヒコは改まったの?」

「いえ、もともとのイキメヒコ様が、戦を平らげたそうです。一時はミノのクニまで逃れたそうですが、盛り返したそうです」

 テルセが珍しく、言葉を差し挟む。

「トヨ様! これで帰れます」

 《大婆》の娘が再び語る。

「今、あずまからの兵たちがクナのクニに集まっているそうですよ。我が父に申せば、姫をそこまでもたらすことはたやすいでしょう」

 話がまとまり、娘はすぐにシマの主の宮に連れていくことを述べる。

 私は少し考え、それを引き延ばしてくれるよう頼むことにした。

「明日まで待ってくれませんか。いきなり橋から去るのは楽しんでいる者に悪いと思うのです。仕舞いに、もう一度唄いたいのです」

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