第49話 Black Market

 村に来て三日目、旅立ちの日。昨日覚えた心地の悪さがある。だが村の者どもは誠に良くしてくれている。心苦しい。お土産をたっぷり貰い、舟に乗せてもらう。テルセは子供たちから花で編んだくしろやあとよくわからない骨をもらっていた。

 シマの都には風が良ければすぐに着くのだと言う。

 また相見えることを願う祝詞を唱える。《大婆》はこれに応える。やはり、知っている祝詞と異なっていた。

 それでも、またこの村に訪れたいと思う。我がクニの宝をたっぷり持ってやってきたい。そんなことを思いつつも、クニを失ってここに来たことを思い起こす。

 舟を追って子どもたちが追いかけてくる。テルセと共に手を振る。

 海の上は風が強い。波で揺れて、しぶきが頬に当たる。舟の漕ぎ手は慣れたもので、巧みに風を扱って私たちをシマのクニへと推し進める。山並みは岩の塊のように続いている。岬を越えると、次の塊が見える。その繰り返し。海の向こうには白波のほかは見えない。遠く近くに、行き交う舟がいくつかあった。また海に流れ込む河ごとに、小さな村がいくつか見えた。


 大きな岬を経ると、今まで海しかなかった右手側に陸の先が見え始める。もとから続いていた左の陸と、現れた右の陸の間を進む。陸に挟まれ、波は大いに静かになる。海と陸とでできた袋のようなところだ。そしてこの袋はかなり巨きい。そして袋の中で、いくつか分かれ道になっている。つまり、海が陸と入り組んで幾つもの入り江を形づくっているのだ。そこかしこに舟が浮かんでいる。陸と思っていたものがぐるりと通りすぎることで島だとわかる。陸と海とが曲がりくねって繋がっている。海は開けているものと思っていたが、ここはそうではない。ある所は陸が突き出て、ある所では引っこんでいる。陸や島に隠れてその先の海が見えないところが多い。

 シマのクニ。島が多いからそう呼ばれているのだろう。舟は終いには、一つのみなとを目指して進む。人が掘り進んで舟を止めやすくした渚に至る。村から来た舟の漕ぎ手は、モノを取り交わす市へ行くという。私たちも着いて行く。


 市はそれなりに賑やかで、海の品々が多いけれど、山から来てモノを取り交わそうとする者もあった。人々は重そうな荷物を追ってどこからかやって来て、それを布や板の上に広げている。市は数多の品が並ぶので、それぞれの色が目に差し込まれてくる。森の中とは異なる、人が作りだす鮮やかさ。そしてかしましさがある。

 村の男は、幾ばくかの布を手持ちの魚と取り交わす。ここでは魚はあり触れているから、魚を持っていたとしても珍しいモノはあまり得られない。しばらくやりとりして、そしてお別れした。

 市から歩いた山裾に、山の中で過ごした時と同じように野屋を営む。社があるところは貴い所で木を切ったりするのが認められないことがある。そうではなさそうなところを選ぶ。遠くに、家並みが見える。これがシマのクニの都なのだろう。我がクニほどではないけれど、何百もの家が見える。野屋と木から作る鍋などを仕立てているうちに、陽が海に沈む頃合いになった。

 シマは美しいところだ。曲がりくねった海辺のその先の、山あいに陽が落ちる。陽の光の色と、海の深い色とが混ざって、水辺が輝いている。雲は水辺の色に合わせるように色どりを持つ。《書》にある《彩雲》と見まがうが、人々はこの夕焼けを当たり前のようにして歩き行くから、ここでは珍しくもないのだろう。そして、それぞれの塒へ帰っていく。

 土産の魚の干したものを食べる。食べながら、テルセに話しかける。

「明日からどうしましょう」

「……山で獲物を得て、市で売りましょう」

「わかりました。でも、そのあとは……」

 しばらく二人とも黙る。いつもそうだけれど、耐えきれなくなって私から語る。

「市ですから、何か我がクニの話が聴けるかもしれませんね」


 次の日は、朝早くから野屋を出て、山に入る。テルセは謎めいた技を幾つも知っていて、アナグマを燻り出して捉えたり、石を布で包んでぐるぐる振りまわして鳥に投げつけて獲えたり。

 陽が高いうちに市に来て、獣や鳥を捌きながら売る。テルセが言うには、肉や毛皮に分けて扱いやすい大きさや形にしておくことで、それぞれを求める人が求めやすくなり売れやすくなるのだという。そのとおりテルセの品はすぐに売れた。シマの都のものから新たな着物を得るようテルセに示す。次の日も市で品々を得るために竹の籠なども手に入れた。

 この日はあらかた取り交わしを終えたので、夕方に近付くころ、市や、シマの都をそぞろ歩く。やはりシマの家々に近付くと、文身の違いが際立つ。都には深入りせず、向きを変えて歩むと、市のほうへ繋がる道に小さな橋が掛けられていた。入り組んだ水の流れがあり、このところに橋があると通るのによいのだろう。

「おあ! テルセ橋ですよ。珍しい」

「はあ」

「古より、河を渡す橋は、神々もまた通ると言います。あるいは、言葉の通り常世への橋渡しとなるとも言われています」

「私、そういうのあまり詳しくなくて……」

「いーのです! これは私の詳しいところ。そうだ! 《女たち》からこういう街中の辻や橋でまじなう祝詞も継いでいたのですが、あたしゃー巫女といえども姫なわけで。そんなところでついぞ祝詞を唱えたことがねえ! よし、ひとつ試してみっぞー!」

「ええ?」

「学びて時にこれを習うんじゃー」


 橋のたもとに静かに立つ。昔のことを思い出す。今はもう名も知らない《女たち》から、夜ごと昼ごと学んで覚えた祝詞。篭められてから使ったことのない、橋占はしうらの祝詞。

 それでも、始まりさえ唱えられれば。昔のように仕舞いまで流れで唱えることができた。あんなに文字を学んだり、……こんなに旅をしてきたのに。私は……。


 橋占には決まりがある。祝詞のさなかは行き交う人々の言葉を拾うのだ。それできたる日を占う。決まった身体の動きがある。それをなぞりながら、言葉の切れ端を拾う。


「テルセ、明日も、この先の旅も……きっと良い日になりますよ。きっとね」

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