第51話 さらば、我が旅
いよいよ帰ることが叶いそうだ。そうなると、宮の外でのこの暮らしが愛おしく覚える。日々、モノを
テルセはもう狩りをしなかった。だから売るモノはない。だからただ市を
「テルセ、貝ってさ「かい」じゃん」
「はあ」
「我がクニではこれを「かい」って言うじゃん」
「ええ」
「カラクニの言葉ではさ「バイ」とか「ペイ」って言うんだよね」
テルセはこっくり頷く。
「似てると思うんだ。それに、こういう言葉は他にもある。「うま」って見たことある?」
「幼いころに」
「我がクニでは「うま」。カラクニでは「マー」とか「バー」とかと音を出す」
「似てますね」
「田とかもそう。《書》を学んでわかったんだけど、我がクニの言葉にカラクニの言葉が、ずっと昔から、少しずつ混ざって来ているんだと思う。誰も知らない古から、鏡とか玉とか、海の向こうからカラクニのものが我がクニにやって来ているように……ね。言葉も。……テルセ聴いてるー?」
「ええ。ちゃんとわかって聴いているつもりです」
「そもそも、貝がもしカラクニから来た言葉だったなら、それより前は我がクニの者は貝を何と言っていたのでしょうね?」
「私の刀の話をしてもいいですか?」
「いきなりどうした」
「祖から聴いた話です。我が
そういって、目に止まらぬ速さでテルセは刀を抜く。土色の怪しい彩のある刀。
「この刀は遠く海を渡って我が一族の手にする所になったそうなのです。イトのクニの兵の、ことさらに優れた我が祖のうちの誰かが、いつの世にかイトの主から授かった。イトの主はカラクニから手に入れた。カラクニへは、ずっと遠いところからもたらされた」
「テルセの刀も海の向こうの遥かより来たのか」
「ダマスカス」
「なんて?」
「この刀が作られた都の名だそうです」
「言いにくい名前だ。でも、我がクニに無い言葉だから、なんとなくそうなんじゃないかと思いたくなるね。はー、この海の向こうにはまだまだ色々ありそうだ」
夕方、橋に立つ。既に聴き手は大賑わい。橋占を試みる。とても良い出来だ。皆が思うままに振る舞ってよいでしょう、と告げる。これでまた声が上がる。そして。
「すみません。私たちは旅の者で、明日
チョウセイに習った『史記』の中身を、我がクニの物語の唄声に乗せて語る。《項羽》と《劉邦》という二人の
《項羽》は《劉邦》に破れる前に、愛する女を逃がす。《項羽》が女に贈った唄がある。これをカラクニの言葉で唄う。そのあと、それと解るように、我がクニの言葉に直して唄う。チョウセイに教えてもらって、自らで文字を読んで、それで考えて我がクニの言葉に改めて。
カラクニの言葉と、我がクニの言葉とを、二度繰り返す。カラクニの言葉の所は、皆には訳のわからない言葉だろうけれど、これでその
ああすっきりした。これで斎の宮にまた帰っても、あるいは誰かに謀り殺されようとも、いい。私がどうして斎の宮に篭められていたのか、考えても考えてもわからないし、色々な訳を知った今でも、やっぱりわからないところはわからない。でも、もういい。見るべきものは見つ。混ざり合った分たれない色々を、見た。見てきた。
夜、《大婆》の娘にひかれてシマの宮に至る。明かりが照らされている。我がクニ程ではないが、かなり大きなつくりの宮だ。父君に見える。彼の者は文身を見て、私が我がクニのヒコの
次の日に、舟が出る。見たことのない大きな舟で大きな岬を巡る。後ろを振り返ると、テルセと歩いた山が塊のように控えていた。あんな所を歩いたのか、と驚く。山の中で思ったように、ここは神が住まうようなところではなかったか。ここには大きな社を建てて神を祀るべきではないだろうか。
昼過ぎに、海がとてつもなく大きな袋になっていることに心付く。シマのクニとは比べ物にならない程大きな入り江。そして知らないうちに海は河になっていた。これも我がクニにない眺め。こんな大きな河があるのか。そしてそして。舟の漕ぎ手は誇らしげに、ここは3つの大きな河の流れがあり、それがいくつも裂けて海に流れ込んでいるのだという。
幾つもわかれた河のひとつ。これは古い世の河の名残なのだと言う。流れがゆったりとしたところ。ここに湊があった。舟を付けるための木の橋が伸びている。ゆっくりと岸に近付き、ごつんと小さく当たる。クナの都に着いた。
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