第41話 逃亡
テルセに手を取られて、斎の宮から下る。壁が破れた仮宮のところで、テルセが語りかける。
「新たなヒコの妻の一人が、その兄と組んで戦を起こしたのです」
テルセはそのヒコの妻と、その兄との名前を出した。知らぬ名前だった。だがナシメから、妻の家の者がまつりごとに口を出すと、乱れることがある、と教わった。そのまま走って、都の外へ向かう道へ向かう。そんなところを通るのは久しぶりで、懐かしいような変わってしまったような、不確かな眺め。
この前私を犯そうとした年老いた男が、何か箱のような物に座らされ、縄で縛られ、そして矢が幾本も幾本も付き立てられていた。この者は誰かから怨みを募らせられすぎて、矢の的になってしまったのだろう。
私がテルセに語りかけようとすると、テルセは私を左手で押えて引きとめる。左斜めをじっと見据えている。風を切る音が聴こえて、すぐ後にテルセが飛んできた矢を刀ではじき落としたのを見た。テルセは傍らにある小石を相手に投げる。顔を狙うので、相手は仰け反る。相手が矢を射ろうとするたびにテルセは小石を投げ付け、いつの間にか相手に近付いて、手指を切り刻む。人差し指か、中指か、あるいは薬指かわからないけれど、二本の指が夕闇に近付く空に飛ぶのを見た。
「テルセ、あの……」
次は槍を持った者と、刀を持った者が襲う。テルセは長柄をかわして掴んで、先の刃のところを叩き切る。刀を持った者が圧し掛かり、共に倒れ込む。テルセが起き上ったときに、相手はすでに死んでいて、それは倒れ込んだ重さで刀を突き立てたからだ。残る一人は剣に持ち替えようとしていた手を切られ、その後に右足と左手を切られ、そして命を絶たれた。
テルセはこの後に七人殺した。打ちつけたり刃が掠めたりして、テルセは色々なところから血を流している。息は上がりきり、荒くかすれた音と、しゃくり上げるような音とを繰り返している。昔、私の事を殺そうとしたときと同じような、恐ろしい顔つきで辺りを睨んでいる。やがて来る闇が迫ろうとしている。
さらに萱の裏側に潜んでいた者の喉を刺し潰して殺した後、私を導いて逃れようとしたテルセの足が止まる。そしてガタガタと震え始めた。刀を持ったまま、顔を手で覆ってしまって動かなくなった。
「トヨ様もうお守りできません! すみません! あああああああああ」
「いきなりどうしたのです」
近くに
「もう靴が壊れてしまいました! あああああああああああああ」
「靴」
「我がクニの者どもは靴を履かない。私は戦うときは必ず履きます。そう教わったから! でも終わりです。靴が壊れたから! ああああああああああああああああ」
「テルセ落ち着いて。靴がないと戦えないの?」
「私! 何があっても必ずトヨ様を守ろうと、そう考えてたのに……!! あああああああああああああああああああ」
そう言って、テルセは崩れ落ちて「私何もできなかった」と小さくつぶやいた。
私は、靴が無くとも戦えるような心持がするのだが、肝はそこではない。
しゃがみ込んで、テルセの面を上げさせて、抱きつくように身を寄せる。テルセの顔をしっかり見る。ここまで、守ってくれた。
「テルセ、あ、あのですね。……もし、もし私のこと……、あの、もしですよ! もし! ……もしも私が仇にやられてしまっても、ですね。テルセがここまで守ってくれたこと、常世でも忘れません。よくやってくれたじゃあないですか、ここまで。だから落ち込まないでほしい。むしろ私、近ごろ全くあなたに話しかけなかったのに、よく駆けつけてくれました。ありがとね。昔からだけどさ。話相手になってくれたりとか」
テルセの瞳が和らいだように見えた。そのあとすぐに私はテルセに突き飛ばされる。我が背の方から刀が振り下ろされるところだった。テルセがそれを受け止めた、金が響く音が聴こえた。テルセの刀が敵の刀を砕いたようだ。そこにいた二人の男を、テルセは新たに殺した。
二人目の男を転びながら刺し殺した後、テルセは静かに起き上がる。膝についた泥と血とを振り払うそぶりを見せる。この湿った汚れは、手で払うだけでは取りされるものではない。
「はは、靴が無くても何とかなるものですね」
テルセの足の親指の爪が捲れて剥がれかかっていた。
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