第42話 逃亡2

「ひとまずはミワ山に逃れます」

 テルセに引かれて山へ分け入る。少しだけ山道を歩いたあと、テルセはいきなり道のない森の中へ私を導いた。にわかに坂が険しくなる。はじめは心を急かして付いて行くが、坂の険しさにふと我に帰る。テルセは私の心を汲んだ様に振り返り、刀を上手く用いて私を引き上げてくれた。

 山の中はやや涼しく、そして樹があるせいで陽が届かずすでに薄暗くなっていた。樹は古より生えて枯れてを繰り返してきたようだ。巨きな幹がいくつもうねっている。倒れた樹のもとには苔がしている。それが奥に、ずっと続いていてる。街の方を見遣る。こちらはいまだ昼のような明るさだ。これは家や倉を燃やす炎のせいだ。炎の傍らには袋のようなものが横たわっている。先程からのあり様からすれば、その袋のようなものは殺された人々に違いない。そして、炎の煙や陰になっていて見えない所にだって、斃れた者はいるだろう。それを考えて恐ろしくなり、テルセに何か声をかけようとしたのだが、声が枯れたのか思うように出せない。かわりにテルセの裾をギュッと強く掴んでいた。

「トヨ様、もう少し、お身体は動きますか……?」

 うなずく。ほんの少しの間休んだだけなのに、身体がすっかりこわばってしまって、立ちあがり動き始めるのに時がかかってしまう。恐ろしさに奮い立てられ、身体を起こす。そうして険しい坂を登った先に、わずかに平らなところがああった。岩目からは苔が生えており、杉の細い若木がいくつか育ちつつある。湿った土の上に腰かける。

 テルセは身を屈めるように促す。そして辺りを見渡す。

「ここは見渡せるのですが……目立ち過ぎます」

 そう言って上ってきたところから少しそれた所を選んで、降りていく。見下ろすと、先程の所よりもかなり狭い平らな所があり、そこへテルセは降りていったようだ。そしてまた素早く上って来て、私をそこへ降ろす。

「ここでお待ち下さい」

 私は待つように言おうとしたのに声を出せず焦ってしまって、またテルセの服を強く掴む。テルセはうなずいて「すぐに戻ります。松の枝を切ってきます」。

 外は宮の中と違って湿っているし、常にどちらかから風が吹いてくる。土や樹の匂いもする。膝を抱える。テルセがいない間に仇が来たら……、と思うが、どうしようもない。

 しばらくすると上の方から音がして、テルセが滑りながら下りてくる。手にはいくつもの松の枝を携えている。私が座る上の辺りにある岩の出っ張りを上手く使って、松の枝を広げる。首に、つる草を幾重か巻き付けて持ってきており、松の枝の要のところを結ぶ。もう一度松の枝を持ってきて、先程のものに重ね掛ける。屋根の代わりということなのだろう。

「テルセ、ここで夜を明かすのですか? もう少し奥まで逃れた方が……あるいは夜通し逃れた方がよろしいのではありませんか?」

「夜は何も見えません。足を踏み外しますし、道も解らなくなってしまい危ないのです。仇も同じです。ここで動かず、見つからないことを祈りましょう」

「わ……わ、かりました」

 陽はとっくにミワ山の向こうに落ちて、辺りはかなり暗くなってきている。先程まで見えた谷底はすでに闇の中だ。

 テルセはそれから何度か上り下りをして、がさごそと何か行なってから、借宿の野屋のやへ這入って来た。テルセの匂いがして来て、昔蛾を追い払った時のことを思い出す。今は泥や血の匂いもする。狭いところなので、二人で座るだけで間は満ちてしまう。

「見る人が見れば、草の倒れ方から私たちの行方を追えるでしょう。なるべく跡は消してきました。それに偽の跡をつけてきました。道で食べられる実でも見付けられれば良かったのですが見当たりませんでした。ただ出来ることは……やったつもりです」

 すっかり闇に包まれて、テルセの顔も見えない。もしいきなり仇に這入ってこられたら、ふたたびテルセの顔を見ることなく殺されるかもしれない。テルセに語りかけることにした。

「テルセ、どうして……こんなに……」

 衣擦れの音がする。しばらくしてからテルセが語り始めた。

「トヨ様が優しくしてくれたから……。私、トヨ様を殺そうとしたのに……」

「あー。でもそれは親から継いだ歌のためでしょう。それに私が歌うように促したからいけなかった」

「トヨ様がナシメ様に言えば、私なんて容易く辞めさせたり殺したりもできたでしょうに」

「ふぁ、確かにそうなのかもしれませんが、そんなこと思いませんでしたよ」

 テルセは短く、今までより低い声で「だから助けました」と応えた。

 しばらく二人で黙っていた。テルセは持て余したのか少し外を見渡してから戻ってきた。

「テルセ、私……明日にも今にも殺されるかもと思い……、色々伝えなくてはと思っています。私……やはりテルセに刃を向けられて、心の奥底では恐ろしかった、のだと思います。だからあれから、あまりあなたに語りかけなくなって退けてしまっていました。テルセのこと、悪い者だとは思っていなのですよ。それなのに。こんな私を命をかけて助けてくれて……私なんといっていいか」

「追手は必ず来ますが、私は生き残ることを考えて最も良い手を考え続けます。暖かになって来ていて……助かった。あと十日早かったら」

「テルセもう一度申しますね。いつも話し相手になってくれて、ありがとうございました」

「……明日も出来る限りのことを致します。明るくなったらすぐに歩きます。眠れそうですか……って厳しいですよね」

「テルセが言うなら努めてみます……が、厳しそう」

「ですよね。座ったまま時を過ごします。痛いところはありませんか?」

「苔が柔らかいから」

「寒くないですか?」

「うん」


 風で木々の葉が音を立てる。その他は何も見えない。


 いつの間にかうとうとして、夢と現の合間を彷徨っていた。目覚めたことを幾度か数えていたが、そのうちわからなくなる。少し身体が熱い。じわりと汗をかいている。松葉の向こう側に、何か揺らめくものが見える。よく見ようと身体を揺らす。テルセは起きていたようで、私に「あれは私たちや、あるいは他の山へ逃れた者を探すための灯火でしょう」と答える。そしてしばらくしてから「炎とはかなり隔たりがあります。夜だから遠くまで見えるのです」。

 やがて遠くにあると言う火は見えなくなって、再び風で木々の葉が揺れる音だけになった。


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