第40話 不豫と戦

 三番目の取次の男は、その後八回、宮に何食わぬ顔でやってきた。あの男について尋ねると「なんのことでしょう?」とごまかされた。

 あれから二回目に宮を訪ねて来た時は、今のヒコが「フヨ」であることを告げて、然るべきようまじなうよう訴えてきた。

 「フヨ」とは聞きなれない言葉だ。しばらく考えてから、カラクニの《書》にある《不豫》のことであるとわかる。

 『史記』に出てくる《周公旦》なる人は、兄が《武王》という王であった。その兄が病になったことを知ったときに、自らが身代わりになると訴え出たと伝わる。はたして身代わりにはなれず(当たり前だ。病になったのは《武王》なのだ)、《武王》は死ぬ。《周公旦》はそれからしばらく、幼い兄の子を後見ウシロミしたのだそうだ。その兄が病になったときに《不豫》という言葉が使われていたはず。

 我がクニのヒコに《不豫》を用いるのは初めてのことだろう。ヒミコおばさまのときはそんなことなかった。ただ、ヒミコばの世のころから我がクニは力をつけて、周りのクニを従えるようになった。自らをカラクニの王や《帝》と同じと考えたのだろうか。病と言えば良いものを……。まぁ、私は占い、まじなうだけだ。

 四度目、五度目と、ヒコは悪くなっているようだ。六度目でモガリについて問われる。くだくだしくまじない、答える。七度目はそれの続き。


 それで、八度目よりこのかたは、もうなかった。なぜなら、取次の男は死んでしまったからだ。

 八度目、春の暖かな日。いつもと異なる足音と足並みとで宮にたどり着いた取次の男の背中には、蓑かと見まがうほどの矢が突き刺さっていた。消え入りそうな声で「お逃げください……」と言って、前のめりに倒れてそのまま動かなくなった。そんなに悪い奴じゃあなかったのかもしれない。男が明け放した御簾の向こうには炎が見える。また、人々が諍う音が聴こえる。宮にいると、なにもわからない。

 程なくして、二人の知らない男がやってきた。文身からして見たことがないのだから、その人をや知る由もない。向こうには春の晴れやかな空が広がる。男たちは取次の男の骸を乗り越えて、私のもとへ踏み入れた。

「巫女はまた立てるから殺してもいいだろう。俺はさ、幾度か刺して弱らせてから犯すのは好きじゃないんだ」

「俺はどちらでもいい」

「では犯してから刺し殺そう。いいな」

「それでいい」

 逃げようと思う心は湧かない。

 ナシメが死んでからこのかた、宮に篭められていてもちっとも面白くないのだ。痛いのは一時で、やがてナシメのもとに行けるだろう。私は優れた大人に一時守られていたに過ぎないのだ。何かがおかしくなれば、すぐに生きていられなくなる。

 と、心に思っていたのだけれど、いざ二度程腹を手酷く殴られて、頬を何度も打たれると、やはり嫌になってくる。どうせ籠められた巫女だ。生まれてから死ぬまで斎の宮に囚われているのだ。ナシメのような守ってくれる人がいなければ、すぐにこうなることは解っていたはずだ。やがてその時が来ると、心の奥底ではいつも構えていたはずだ。でも……。



――――私は何故。ここにいるのか。犯され子を孕むと、生理さわりが来なくなる。生理が来ないと、時の幅を測れなくなってしまう。だからか。病なく健やかな女の私が篭められるのは。



 抱きとめられ、服を剥がされ、犯されそうになる。とりあえず、一度だけでも思い切り抗ってみよう、という心が湧いてきた。何故だろうか。あまり深く考えず、心の指し示すままに振る舞う。両の手で突っぱね、両の足で踏ん張る。相手は私が抗うとは思っていなかったのかも知れない。よくわからぬまま右の方へ逃れられた。

 次には、刀が足の近くの衣を貫いた。脛の近くに痛みがある。衣を刺した刀が、肌にも掠ったのだろう。

「動くな」

 低い声がする。裾が刀で留められたせいで情けなくも脚が顕わになる。太ももの内側を足で押えられ、喉口に手を押しあてられる。息ができない上に、腹を思い切り殴られた。涙が出てくる。力が抜ける。喉の奥から血が湧き出てきたようだ。息がうまく出来ないし、口の中は心地のよくない血の味ばかりする。

 弱く三度咳をして……、いよいよ身体が動かなくなる。

 どうせなら、アキマに色々してもらえれば良かったと思いながら、私に顔をうずめる相手の鬘を見ていた。

 相手の首は私の胸へ向けて深く深く埋まり、垂れ下がっていた。そしておかしなことに、男は身を起こそうとしたにもかかわらず、首が付いてこない。男の首は、後ろから切られて、いまや首の皮(あるいは喉の皮)で繋がるばかりになっていた。首がつながっていた所には、今は真っ赤な切り口と、身体の内にある白い何かが見える。間の抜けた声とも音ともわからぬものを男は出して、口から少しだけ血を吐いた。

 男のいましめから逃れる。後ろには、瞳を真っ黒にさせたテルセが静かに立っていた。

 もう一人の男は黙って刀を構える。テルセは刀を持つ右の拳を顔の前に添えて立つ。男が幾度か刀を振り下ろす。テルセは間を取って逃れる。薙ぎ払うような男の剣を低い構えでかわして、斜めに動きつつ、かつ身を翻して低い構えのまま男の踝を突き壊す。

 尚も片足で立ったまま刀を振り回す男だが、テルセは上手く回り込んで、生きている方の脚の太ももの辺りを突き刺す。もう一度それを繰り返すと、男はもう立てなくなる。座りながら刀を振る男に向けて、テルセはあくまで背の側に回り込んで刺し殺す。先程の男と同じように、首を狙い、幾度目かでそれは叶った。

「トヨ様」

 私が斎の宮の隅でへたり込んで黙っていると、テルセは刀の血を斃れた男の袖口で拭いて、私に近づいて畏まる。

「トヨ様、お怪我はありませんか。逃げますよ」

 

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