第26話 ネットワーク

 他所のクニの女を呼び寄せることはナシメに断られてしまった。そうなると手だてがない。私は宮に囚われているから。だが、そのままでも心が落ち着かない。違いがあることが解ってしまった。そうなるともう元に戻れない。

 《文字》を始めて習ったときに似ている。《文字》を知らない頃には戻れない。語りに違いがあることが心に引っかかって、どうも落ち着かない。


 言継では、相変わらず我がクニとシマの国の物語が語られていた。

 言継の前に、私は斎の宮から、手のひらに入るほどの大きさの青銅からかねでできた小さな刀を持ち出した。そして、斎の宮から降って、柱が並び立つ風通しの良い仮宮に至る。

 物語の違いは、違いのままある。

 言継が終わった後、大婆たちは年の並びで仮宮から退くことがならいになっている。私は一番年の若い、この前大婆になったばかりの女に密かに声をかけた。

「ククナ、あなたは物語の覚えは良いですか?」

「ト、トヨ様。私一人だけに話しかけるなど……」

「いいのです。覚えはよろしいの?」

「トヨ様ほどでは……」

「市に行って、他所の……ええとイガでもアワミでもコシでもキでも構いません。市にいる他所の女から、物語を聴いてきてもらえませんか?」

「ふぁっ!?」

「ツルを助ける話を聴かせてくれ、と頼むのです。いいですね。解りましたか? これを渡すから語ってくれ、と頼むのです」

 刀を手渡して去るように身体を軽く押し出す。位の高い私から頼まれれば、断ることはできない。ナシメにこのことが露わにならなければ、それでいい。


 次の言継のとき、仮宮に入ってくる九人の大婆の一番後ろに、ククナはいつも通りいた。目配せを超えるほど、じっと見つめる。ククナは落ち着いていて、しばらくしてから誰にも悟られないように小さく、それとわかるように頷いてくれた。

「大婆のみなさん、今日も集まってくれてありがとう。ええと、今日はククナに語ってもらいます。みなさん、決して驚かぬように聞いてください。ククナ、あなたが罪になることはありませんから心を安らげて。それで、どこのクニ?」

「……コシの女から聴いてきました」

「ではみなさん、コシのクニの、ツルを助ける話を聞きましょう」


 語られた物語は、やはり我がクニともシマのクニのものとも異なっていた。思ったよりも大婆たちは落ち着いていた。というか、私も落ち着いていた。恐らく、コシのクニの女が、コシのクニの物語を語ったからではなく、我がクニの女がコシのクニの物語を語ったからだろうと思う。我がクニのククナがコシのクニの物語を語った。これが私を含めた物語の手練れたちを落ち着かせた。

 誰からともなく、ここが違う、どこが違う、という話が挙がった。すでに、違いがあることは当たり前になっていて、どこが違うのか《女たち》は探り始めるに至っていた。

 我がクニの、ツルを助ける物語を初めから語り、次に、シマのクニの物語を語る。次にもう一度、ククナがコシのクニの物語を語った。それで言継の時は終わってしまった。私は再び、ククナに宝を渡した。此度は、他の女に隠すようなことはしなかった。

 次と、その次の言継では、ククナは新たな物語を聴いてこれなかった。

 その次の言継。ククナがまた物語を聴けないと思ったのか、他の大婆の中で他所のクニの物語を聴いてきた者が二人いた。それにククナも、此度は上手くいったようだ。

 イガと、キと、それと聴いたことのないクニなんだけれどシナノのクニ(どこにあるんだろう?)のツルの話が一度で揃った。

 大婆たちは物語の手錬れ。知らぬ物語でも覚えようとすればすぐに覚えられる。自らの母や婆の他から物語を継ぐなんてことは、今までしなかった。おそらく、誰もそんなことしなかった。一族ともがらのほかの知らない他所の人に物語を聴くなんてことは。

 しかし時を多く費やす。すでに知っている物語であっても、違いを明らかにするためには初めから語らねばならなかった。


 一人の、まだ生き残っていた、ヒミコおばさまより長生きの大婆がいた。この大婆が、たまたま口火を切った。それなりの長さのあるツルの物語のうち、ある国とある国とで異なるところを、そこだけ切り取って唄ったのだ。初めから仕舞まで唄うのではなく、違うところだけを抜き出して、唄った。私は恐ろしくてそんなことはできなかったけれど、抜き出しを行えば時を費やさなくとも良いとは考えていた。むかし、物語の連なりが切れてしまって恐ろしい目にあったことを思い出した。老い先短いこの大婆には恐れるものがないのか、あるいは老いてそんなことは気にしないのか。とにかく、連なりを絶って、要るところだけを語った。

 そうなると《女たち》は早い。語りの違いを、違いだけ抜き出すようになってしまった。


 もうツルの物語は連なりではなくなってしまった。クニごとにどこがどう違うか、それを調べるための手立てになってしまった。草や魚や獣を食べるときに、食べられるところとそうでないところを分ける。それに似ている。物語を分けて、要るところだけ抜き出して語る技を私たちは得た。

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