第20話 メランコリア

 大きくしゃくりあげながら、吐いている。これで目覚めたようだ。上も下もわからず吐いているけれど、吐いたものが口に入ってこないと言うことは、下を向いて吐いているのだろう。

 誰かに抱きかかえられている。口の奥深くに手を突っ込まれ、また背中をさすったり叩いたり。嬰児みどりごが食べられないモノを食べてしまったときに吐き戻させるやり方。それに近い。


「トヨ」


 ええと、アキマの声だ。私も語りかけようとしたけれど、荒く息をしていて、それに身体の中に吐くべき食べ物がまだ多く有り、とてもかなわない。話そうとした動きで、ふたたび吐き戻したくなり、大きく吐きだしてしまった。「げえげえ」と間抜けな声。

 ひきつるような息の仕方。眼は未だあかない。涙が出ている。


「トヨ、ゆっくり息を吸って。んで吐きたかったら吐いて」



 小さく頷く。まだ心地の悪さは続くが、もう吐かなくても済みそうなところまで戻ってきた。アキマは頃合いを見て、私を仰向けにして抱きかかえる。



「飲みすぎ? 神座かみくら移しで疲れたんじゃろ。俺が来なかったちょっと危なかった」



 頷いて、アキマの手を探って握る。眼に光を感じる。開きそうだ。


《秋間》


 わかった。秋の合間に生まれたから、彼はアキマと言う名なのだろう。眼が空いた時、アキマがもし《文字》で《秋間》に見えたら、それはひどく嫌な感じがする。私が文字を学ぶ前から知っていたアキマ。アキマはアキマだ。《文字》が無くとも。

 恐る恐る眼を開ける。斎の宮いつきのみやの灯火に照らされてアキマが見える。アキマの身体が見える。心を落ち着かせた時、アキマのほっぺのところに、小さく《秋間》と出た。私はひどく恐れてアキマの袖を強くつかんで引いた。《秋間》の字はやがて見えなくなった。


「助けに来てくれた」ようやく声が出た。喉には色々と詰まったままだ。

「たまたま」

「でないと死んでたかも」

「うん、まずかった。トヨ食べ過ぎ!」

「うん、ありがとう」

「今日はさ、お別れを言いに来た。しばらく来ないことにする」

「ふぁ、なんで」

「ヨメを貰うことになった」

「ふぁ……、誰」

「キナ」

「キナちゃんか」


 よく考えればわかることだった。位の高いアキマは、歳が来ればそれなりの位の娘を嫁にもらう。子供を生んで育てる。その時が来ることは、周りの人々を見ていればわかっていたはずだった。見ていたのに、わかっていなかった。


「そっか……」

「これが終い、心に決めて来た。そしたらトヨ、ゲロ吐いて倒れてるんだもん。だから言おうか迷うたが!」

「うん……」


 アキマは袖で私の口の周りを拭って(ゲロまみれだったのだろう!)そしてしばらく佇んでから、懐から石を出した。嵐の後の畑や道でみつかる、大きな磨かれた石だった。

「これさ、みんなは雷様が嵐の後に落としていった石だと思ってる。みんな雷様が狩りに使う斧だと思ってる。でも違うよ。これ、人が作ったものだ。石を磨いて、遠い世の人が狩りに使った」アキマはじっと石を見ている。古の、誰とも知らない者が磨いた斧。アキマはモノを造るから、古とも語りあえるのかもしれない。

 アキマは、斎の宮の高殿から、下に向かって勢いよく石を投げた。下には端女の詰めるやしろがある。

「上手く屋根を突き破って、それで誰も傷付かなければいいんだがね。巫女のいるところから、雷の神様が使う石が飛んできたら、巫女に何かいつもと違うことがあったと知れるじゃろ」

「アキマ、たまたま石持ってたの?」

「いや、いつも持ってきてたよ。トヨが病だったり何かあったら、すぐに誰かに知らせられるように」

「アキマ、あの」

「トヨに何もできなくてすまんかったね、じゃあ。お別れ」

 アキマが窓に足を掛ける。

「そんなことない! 私、……巫女ちゃんとやるからさ! ずっと見ててよ、ありがと」

 ちょっとだけ微笑んで、アキマは闇夜に去っていった。

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