第21話 家鳴り

 アキマが投げ入れた石斧のために、すぐに端女はしため斎の宮いつきのみやにやってきた。私がゲロまみれになっているのにひどく驚かれ、すぐにナシメがやってきた。

 ナシメが正しく手筈を整え、間は清められた。私は落ち着くことができ、臥所ふしどで休むことになった。


 次の日、ナシメがやってきた。「疲れていたとは思うけれど、食べ過ぎや飲み過ぎには心を配らねばなりません」と申し述べてきた。

 昼からは言継ときつぎがあり、いつもどおり大婆たちがやってきた。いつもどおりの物語。ただ身体が入れ替わったような心地がする。これまでずっと聴いていた物語だけれど新たな心持で……心を研ぎ澄ませて聴く。

 だが、どこか鈍いところがある。昔の身体が残って引っかかっているかのようだ。

 言継が終わり、斎の宮にもどり、いつものまじないを唱える。この後は、近ごろであるならば、《書》を読む頃合いだ。だが今は読みたくない。それでも時はたっぷりある。『論語』に手を伸ばして、すぐに読むのを止めてしまったり、物語を諳んじてすぐに止めてしまったりしていた。

 近ごろは陽が長くなり、テルセが来るのはずっと後だ。先に御膳かしわがやってきた。食べやすいものが並べられる。肉や魚はなし。あんなに吐いてしまうなんて……。自らを省みて、情けない心持になる。

 ようやく闇が迫り、テルセがやってくる。幾度もきっかけを見つけて話しかけようとしたが、叶わなかった。テルセはこちらから話しかけなければ、言を返すことはないというのに。


 灯火の中で、なにもしないでいた。


 斎の宮の壁にもたれて、ぐっと膝を抱え込む。頭をうずめる。自らの身体の匂いがする。助けに来てくれたアキマと、別れ際に何を話したのか、幾度も幾度も思い起こしていた。

 力を入れて更に膝を近づける。ナシメに我が儘を言えた幼いころ。遠く過ぎ去ってしまった。年の近いテルセにも容易く話せない巫女になってしまった。

 屋鳴りの軋む短い音が聴こえる。身体を少し動かす。衣擦れの音がする。ふいに何か、この斎の宮に眼に見えない化け物が潜んでいるような心持ちになった。今まで何も考えずに過ごしてきたのに、ここには、何か恐ろしい化け物が住まっているのではないか。風の音や、屋鳴りばかりがする。

 どん、とひときわ大きな音がした。まさか化け物が姿を現したかと、ひどくうろたえたが、やってきたのは、アキマだった。


「ふぁ! ……アキマ」

「来た」

「なんで……なんで。もう来ないって言ったのに」思わず近寄る。

「や、そーなんだが。トヨ昨日のこと覚えてる?」

「うん。恥ずかしい」

「そーなら良かった。あんなんになってて、もしトヨが別れの言葉を覚えてなかったら、俺いきなり来なくなったことになるじゃろ」

「あー」

「忘れてたら嫌だから、また来た」

「そっか」

「……えっと、それじゃあ」

「アキマ! アキマ」

 泣き声をこらえるような声を出してしまった。幼いころそうしたように、思い切りアキマに近づいて抱きついたりくっついたりしたかった。でも、もしそうしてしまったらなんだか取り返しのつかない心地になりそうだ。いけないことだ、と思う。私はもう巫女になってしまったから、と言い訳して、近づかない。

「トヨなら良い巫女になれる」

「私がまつりごとをするの、いつも見てて。ちゃんとやるからさ」

「わかったよ。それとさ、これは言っとこうと思うんだけど、……キナを恨むなよ」

 今それを言うのか。はー、アキマは昔からこういうところがある。

 アキマにくっつかなくて良かった。わけ隔てのない良い子のアキマ君。


 独りになった。《書》に手を伸ばす。初めて学んだときと変わらず、文字の連なりはそこにあった。屋鳴りを聴きながら、その夜は灯火が消えるまで《書》に耽った。

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