第17話 儀式の日

 朝に出た霧がなかなか晴れず、日が高くなるまで草木が濡れたままのこの日。私は久しぶりに斎の宮いつきのみやから離れて、皆が住む家々から少し離れた、山際にあるやしろに移ることになった。周りの人に晒されぬように、端女が張った幕の合間を通って輿こしに乗る。輿に乗ってしばらくしてから、ふわりと浮く心地がした。輿を持つ男たちが持ちあげたのだろう。

 この男たちは生口やっこと呼ばれる位の低いやつがらで、私を運んだ後は命を奪われることが決まっている。彼らはそのことを知らない。十二年に一度のまつり。


 山あいの社のあたりは、平地にある斎の宮よりやや涼しい。日差しが木々に遮られるとともに、草木から漏れる露が涼やかたらしめているのだろう。新しい杜の、木を切って板や柱にしたばかりの匂いがする。宮から出た時と同じような幕が張られており、私はその合間をすり抜けて社の中に入る。

 多くの人がいるようだ。こういうときに、巫女が歩く、決まった歩き方がある。社はどれもおんなじような作りをしている。誰が決めたのだろうか。手前に広間があって、奥にヒモロギがある室がある。ヒモロギは、古くは山や河や巨きな岩や、年老いた樹などが選ばれ、神が宿るとされた。近ごろは、そうしたもとからあるものから選り抜き、社の中に祀る鏡や剣に、神が宿ると考えられている。文字に似ているかもしれない。もともとの大きなものをより小さいモノに仮にかたちどる。


 社の中はつまらない。いつもと同じ。誰かが、まつりのための品を揃えておいてある。改めて、これから行なう仕事の重さに、胸が締め付けられる。手の先が冷たい。祝詞の言葉のある所を諳んじて備えようかとも考えたが、かえってそれが心を圧すとも思われる。頭の中で祝詞を思い起こすのは、あえて控えることにした。次に言葉を思い起こすのは、まつりの、その時。

 社にゆっくりと入ると、多くの大人が御簾の向こうにすでに控えて座っているのがわかった。身体の大きな大人たちが、所狭しと社に満ちている。圧される。恐ろしさを覚える。だが、ここまで心が張り詰めると、逆さまにどうとなれという心持にもなってくる。

 決まった身体の動かし方で、神棚の前に片膝をついて座る。榊を振りかざす。火を付ける。こうしたまつりの中での決まりきった動きも、全て改めて思い直して覚えたものだ。文字を知る前には、何も考えずにできたのに。

 祝詞をあげる。諸人もろびとに聴こえるか聴こえないかの声で唱える。次に何を唱えるか。ひとつひとつ、思い起こしながら。覚えの悪いところに差しかかる。幾度も唱え直して覚えたところ。少しだけ言葉が緩やかになる。覚えの良いところは心が軽くなり、流れるように言葉が出る。

 長い。長い祝詞だ。

 いつの間にか、胸のあたりが汗ばんでいる。腋やこめかみのあたりにも、汗が流れる。それでも、手先は冷たい。

 諸人の中から咳払いや、何かごそごそと動きがある。そのたびに、私が何か過ちを犯したのではないかと肝が冷える。

 榊のヌサを振りかざす。鈴を鳴らす。ミテグラを捧げる。そしてまた祝詞。ひとつひとつ。


 立ち上がり、ゆっくりとタマナイに歩み寄る。木の容れ物のなかに、依り代がある。妖しげに捻じれた木が入っており、幾重にも注連縄が施されている。遠目には、これが何か解らないだろう。これを触れることができるのは、巫女だけなのだ。つまり私しか触れられない。そんなことねーじゃろって思ーが。これは、いつの世に、だれが締めたものなのだろうか。古いことだけはわかる。《文字》のことを考えそうになる。

 ゆっくりと依り代を持つ。大人たちは蠢くようなどよめきを放つ。振り返る。人の数の多さに驚く。社の外に侍る者も見える。知っている者もあるし、文身からして全く知らぬやつがらもある。クニが大きくなってきたから、遠くのクニからも大人が訪れているのだ。


 私は、何故――――ここでこんなことを……しているのだろうか。


 新たな社に歩みを進める。厳かに歩く。木の香りが麗しい、新たな社。同じ作り。こちらにも大人たちが犇めいている。先程と同じ人たちなのか、よく解らない。依り代をタマナイに納める。また祝詞。


 終わった。諸人には解らぬよう、大きく息を吐く。心が昂っている。右の手で、左の肩口に触れる。服が汗で湿っている。

 輿に乗る。思わず輿の縁にもたれて、だらしなく足を投げ出してしまう。あまり汗をかきにくい脛までも露のように湿っている。身体を長い間同じ形に保っていたから、足が痛む。足の指を動かすけれど、いつものように動かない。眼を瞑って、足をさする。


 懐かしき斎の宮に還る。慣れた婢が着替えをもたらし、袖を通させる。服は新たになったが、身体がいまだべたべたする。しばらく動かず、何も考えずにたたずんでいた。

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