第16話 邯鄲walking
「あのー、ナシメ。神座移しは、今日から数えて三日の後、でよろしいですよね?」
「トヨ様、そのとおりでございます。……いかがなさいましたか」
「はあ、大きなまつりごとですので……あのですね! あの!」
「トヨ様、良いんですよ。心を安らかに。少し違えても、焦らぬように」ナシメはゆっくりと話す。
「ナシメ」
「厳かさを損なわぬことが要になりましょう。安らかに、そして厳めしく。終わりまでそれを保てばよろしいでしょう。少し違えても良いのですよ」
「はは、違えることなど……無い、です。ただナシメにそう言ってもらえて、心が安らぎます」
ナシメはよくわかっている。人に何を伝えればどうなるか。私がまつりにあたって、どんな心地でいるか。まじないの連なりが絶たれていることは、つゆも知らないだろう。けれども、私の心を汲んで言葉をかけてくれる。私にできることはナシメに《完璧》に応えること。
目を瞑って、ひとつひとつ。覚えの悪いところを思い出したら、覚えているところを確かめる。時を忘れて語りを頭の中で、整える。
ふと眼を開く。いつもと変わらない
今は全てに名があり、物事が分けられて見える。
私は、何故――――何故ここに篭められて、いるのだろうか。
テルセが火を灯しに来た。夕方だ。祝詞はまだ《完璧》ではないと思う。
「テルセや。テルセは歩き方を忘れたこと、ありますか?」
「ふぁ! トヨ様。……歩き方、ですか?」
「そう、歩き方」
「歩き方は忘れたことはないですけれど、毎日の仕事で、並びでするべきことを忘れてしまって、飛ばしてしまうことがあります。井戸から水を汲んでからかまどに火を付けて床を掃いて
「チョウセイに習った〈
「ええと……」
「あ、ごめんなさい。華やかな都に行った子供が、都で流行る歩き方を真似ようとしたのだけれどついにできず、かえって自らの歩き方をも忘れてしまった。そんな物語」
「あ! 思い出した。……ました。歩き方が解らなくなるなんて愚かしいと思っていたのですが、私も仕事を忘れるから……」
「私だって忘れるから心を安らげるのですよ、テルセ」
「ふぁ! トヨ様も?」
「そうですよ。ですから頭の中を、心を落ち着けて整えて、再び思い起こして……。テルセも、仕事が忙しいのでしょうけれど、落ち着いて取り組んで下さいね」
テルセは畏まって去って行った。半ば自らに言い聞かせるように語ったものだ。あとでテルセを使ってしまったと思って、悔やんで心を悪くした。
《邯鄲の歩み》で出てきた、歩き方を忘れた子供はどうなったのだろうか。
歩かないと暮らせない。なんとか自らで考えて、ぎこちなくもそれなりに歩いていったのではないだろうか。
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