第13話 神座移し
「姫様は、まつりごとの要になる《徳》や《仁》そのものよりも、物語に現れる人により魅かれているように見受けられますが」
「そ、そうですか」
「悪いのではないですよ。姫様の心の持ち方で、読む《テキスト》を考えていこうと思っているのです。姫様は《史》がお好みのようですな」
「《史》ですか。確かに物語に出てくる人がどう生きたかを知りたくて、チョウセイに尋ねることが多かったですね」
「そこで今日は『史記』という書物を持ってきました。これはとても、とても、ことさらに凄いですよ」
『史記』は本当に鮮烈だった。まず著者の司馬遷という人物が好ましい。今から二百五十年前くらいの人。カラクニの各地を実際に旅した経験を持つ。それで、伝わる史料をまとめて、大部の書物を著わした。途中、罪を着せられて、その、おちんちん? 袋? とにかく男性の大事なところを切られてしまったらしい! 昔、子供のころ、誤ってアキマの股間を蹴っ飛ばしてしまったことがあった。アキマがしばらく悶絶して蹲っていたのを想い出した。女の私が蹴ったくらいでそうなるんだから、切られるのはとんでもないことだ。そんな困難にも屈せず、膨大な歴史を文字に残した。たくさんのクニが争っていて、秦というクニができて、でも悪い政治があって、項羽と劉邦という英雄が競って。それで結局劉邦が皇帝になって、今のカラクニが形作られて。そのほかの物語も、何もかもが面白い!
(カラクニの文字を読むと、頭の中がキリリと冴える。上の事柄は、私も《熟語》を用いて考えてみた。我がクニの言葉に混ぜてもイケるようだ)
斎の宮に入って、2年目を迎えていた。宮の中には竹簡がうず高く積み上げられている。ナシメに依頼して、網棚を設けてもらうことにした。テルセら端女がこれを設置した。
占いは厳密にせねばならない。私が書を学んでからは尚更だ。間違いなく、まじないの言葉を発し、間違いなく占う。これを厳密に実施することで、ナシメの信頼を獲得し、それでチョウセイから書を学ばせてもらっている。
そして、大婆の言継の儀。正直、覚えたものの繰り返しなのでこちらは退屈だ。
(我がクニのできごとを表す時ですら《熟語》イケるじゃん。「依頼」とか「厳密」とか、キリっとしてて言葉として好ましい。ひひひh)
風に春の兆しが感ぜられるころ、ナシメがいつもよりかなり早い時間にやって来た。
「トヨ様。今年は十二年に一たび行なう《
「はい」
「まつりは一日全てかかる長いものになります。しっかりと備えていただきますよう」
「かしこまりました」
「日取りをお占い下さい」
《神座移し》はとにかく長く重い祭りで、そして極めて煩わしい祭り。
誰も知らない昔に、神が災いを取り除き、また十二年後に同じように災いが起こり、また神が除いたのだと聴く。ということで十二年に一度、神棚を動かして、ふたたび災いが起こらないようにする。
年ごとに、護る生き物が定められている。ネズミだとかウシ? だとか、トラ? だとかウサギだとか。十二の生き物のうち、倭のクニにいない生き物も多い。ウシやトラ、タツ、ヒツジはみたことがない。ウマはイトのクニから貢物としてもたらされたのを見たことがある。大きな四足の生き物だ。チョウセイによれば、カラクニにはこれらの生き物がすべて揃っているのだという。ただし、タツだけは、遠い世に失われたそうだ。仲尼が色々なクニに教えを説いて巡ったころには、まだたくさんいたらしい。
この《神座移し》の日取りを占うために、今日ナシメはやってきた。
まずこの日取りのためのまじないの言葉が長い。大いなる災いが訪れて、十二の生き物の神のいきさつを述べて、災いを取り除くくだりを長々と述べ、それが故に、この年がおまつりの時に当たることを述べて、……で、それで、それを一年のどこで行なうべきか神に問う! なっが! 正しい手続きを踏む必要のある呪文だ。大婆の一人によれば、日取りの占いの呪文は心臓の鼓動でおおよそ五千五百回分くらいかかるらしい。この大婆自身も数えたことがなく、誰か祖先から聴いたのだと言う。誰が数えたんじゃ!
片膝を立てて、祭壇の前にたたずむ。注連縄は真新しい。この前、自分で編んで改めたもの。炭火に
《文字》のことを思ってはならない。脳が《文字》の形や、それが示すもので満たされて、言葉の連なりを断ってしまうからだ。この《頭脳》の切り替えは、夜寝る前に鍛えることがならいになっていた。今では《文字》と語りは、頭の中で整えられてある。
神座移しの儀が近づくころ、チョウセイが文読みをひと時止めるべきではないか、と示してきた。
「姫様ならお解りいただけると思いますが、大いなるまつりの前に、あまり他のことにかまけていると良くないと思うのです」とチョウセイ。
「《文字》で私のまじないの言葉が断たれてしまうことを慮っているのでしょう。
「過ちというものは、常に考えの外側からくるのですよ、姫様」
「私を諌めようと言うのですか!」
「このことはすでにナシメヒコにも伝えてあります。どうか気を鎮めて。《書》は逃げませんよ」
「……」
どうも心がくさくさする。今までだって抜かりなくやって来たではないか、と思う。いまいましい。誤りなくまじないを全うしてきたではないか。大人たちは何ゆえに私の学びを妨げてくるのか。
アキマが夜闇に紛れてやって来たとき、私は一つお願いをすることにした。竹では良くない。まつりの最中に露わになってしまうだろう。もっと目立たない代物がよかった。
「アキマ君、ちょっとここに文字書ける?」
「ふぁ! これは……紙、かね? 初めて見た」
「そう、紙」
「あれか、ヒミコおばさんのか?」
「そう。書ける?」
「いいの?」
「いい」
「……」
「ヒミコばがカラクニから紙で包まれた鏡もらってから、鏡は他のクニにやったりしてたけど、包んでた紙はそのままなんじゃ。誰も紙のことは大事と思ーてない」
「はぁ、解ったけど、それで何を書く?」
「ネズミ、ウシ、トラ、ウサギ、タツ、ヘビ、ウマ、ヒツジ、サル、トリ、イヌ、イノシシ。並びを間違えないよーにな」
「トヨ、それってさ……。神座移しに出てくる生き物の神様じゃろ。まじない、きちんと覚えてないのか?」
「覚えてないわけ無いじゃろがーすったこめ! わしを誰と思ーとるのか!」
「じゃあ何で……」
「《文字》にしておけば並びを一目で確かめられて楽だから」
「そんなことしていいの? まじないの途中で《文字》で確かめるなんて」
アキマがごちゃごちゃ煩いので、私は黙ることにした。アキマは裏の窓から入ってきて、その窓の近くで私と話していた。私はわざと黙って、アキマの傍らの窓を見遣ってしばらくそのままでいた。
「トヨが怒ってるの珍しいというか、久しぶりに見た。どうせ何か大人たちに諌められて思い通りにいかなくて腐ってんじゃろ」
「うるせー早く《文字》を書け」
「トヨって姫だからかたまに我が儘なとこあるよね。《文字》を書けるのは俺のほうだってのに」
そう言いながら、アキマは紙に試し書きする。ふさわしい墨の濃さが竹の時と異なるようで、幾度か試したあと、墨を多く水に溶いてさらさらと書き始める。書き始めるとあとは早かった。
「ばれんようにな」
「うん、しちゅーいんぼーしんしごびしんゆーじゅつがい」
「……俺はあんまり詳しくないんだけれどさ、わかりやすいからって継いでるまじないの言葉を《文字》にして読むのは、我がクニの巫女でもトヨが初めてやるんじゃないだろうかね」
「恐らくそうだろうけれど、それがどうした」
「何かよくないような」
「何で?」
「いや……」
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