第12話 可与言而不与之言失人

 冬から春にかけて、私はチョウセイから『論語』を教わった。カラクニの帯方郡の宮から取り寄せたものだという。そのあと、同じく帯方郡から取り寄せた『尚書』を学んだ。

 《竹簡》をどっさりともって、チョウセイは仮宮にやってくる。バラバラとあちらこちらに《竹簡》を散らかしながら、二人で《読書》を進める。

 『論語』は、これまでも幾度か《書》に現れた仲尼という人の言葉や振る舞いを書き残したものだ。この仲尼という人は、生きている間はとても苦しい日々が続いたという。《弟子》が若くして死んだり、幾年も故郷に帰れなかったり。それでも、美しい言葉や振る舞いを、《弟子》たちは書き残した。それで後の世のためしになった。死んだあとでも、文字があることではっきりと語り継がれるのだ。常世で仲尼はさぞ心安からんだろうと思う。

 『尚書』。これがまた面白い。昔の王や《帝》の振る舞いを述べた《書》だ。ここにくると、前に学んだものと似たような物語が出てくる。堯や舜といった、カラクニのはじまりを作った《帝》たちの物語。同じ人やクニが出てくる。覚えがより良くなる。

 このころ、チョウセイとの文読みは新たなやり方に変わっていた。あらかじめ《書》を私が読んでおいて、中身をチョウセイに説くのだ。その後に、音を二人で読んで確かめる。中身については正しく読めなかったところや、さらに補うべきことがあったら、チョウセイが付け加える。「姫様が可愛くて《書》にも秀でているからこのようなやり方ができるのですよ!」とチョウセイは鼻息荒く語る。テルセが剣の存在をチョウセイに仄めかすことは度々だった。

 またチョウセイは私に『爾雅』という《書》を渡してくれた。これはカラクニの《文字》を調べる際に使う《書》なのだそうだ。よく考えられたものだ! これを持っておけば、解らない《文字》が出てきた時に、調べて、わかることがある。たとえば《返》と《還》と《復》はどれも「かえる」「もとにもどってくる」とかいうこころになる。《造》《作》《為》は「つくる」だとか「なす」になる。《文字》を同じ仲間でまとめた《書》なわけだ。

 こうした学びがあるおかげで、私は一人で《書》を読み進めることができるようになった。


 冬のある日、雪が降る日暮れのあとアキマが忍んで来た。私は《書》が面白くてずっと読んでいた。

「トヨ、きたよ」

「アキマか、寒いね」

「寒いねー。また《書》を読んでるの」

「そーだよ。『論語』の「衛霊公編」ってとこ、アキマも読もーよ」

「やめとくよ、難しいし」

「そう?」

 それで黙って《書》を読み進める。《竹簡》が触れるわずかな音と、雪が高殿から落ちる音や、解けて水になって落ちる音が聴こえる。アキマに、読んだ《書》について思ったことを語るのが近ごろのならいになっている。

「アキマ、舜っていう昔カラクニを上手に治めた人はさ、ただへりくだって慎ましやかにしてうやうやしくしていてただけだって書いてあるんだ。でもそんなんでクニを治められるのかね? できねーんじゃねーかって思ーよ」

「そーだぬ。トヨも、ヒミコおばさまが死んだあとの争いを見ただろ。何もしなければ相手に殺されてしまう。慎ましやかにしていたら生きていけないんじゃー」

「うちらは《仁》や《礼》や《智》が足らないんじゃろーか?」

「そんなん解らんよ。《書》には夢ばかり書いてあるんじゃないの? 叶わないことばかり。嘘ばかり」

「そんなことないと思うが!」

「そうかね。もう帰るわ」

「早いね」

「うん。本読むの妨げになろうし」

 音もなくアキマが辞す。アキマが密かにやってくる数は、やがて少なくなっていった。

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