第10話 同行三人
秋。山の木々の色が変わる。幼いころから暮らしていると、山のどのあたりの木から色が変わり始めるかわかるようになる。また、木々の葉の色がどのくらい変わるかで、どの時にまつりを行なうべきか、あわせて学び、覚えている。
チョウセイから《書》を学び始めてしばらくして、ナシメが斎の宮にやってきて、占いのあとに静かにこう言ってきた。
「トヨ様、チョウセイからの学びはいかがですか? ……おかしなことを言われていませんか?」
「あー」
「危ないことになったらすぐに止めますから、その時はこのナシメに申してください」
「チョウセイはかなり変わっていますけれど、教えに誤りはないと思いますよ。まつりごとをする際に要になる考え方を、《書》から解りやすく説いてくれています」
「そうですか。おかしなことを吹き込まれるのではないかと懼れています。またチョウセイはあくまでもカラクニの者。あまり心を開かぬように」
「はい、わかりました」こういうときは良い子にして話を聞いておけばよい。
「トヨ様しっかりと考えて下さいよ。一人で
「チョウセイは私に見えるときは剣などを除いて、仮宮まで来ているのですよね?」
「そうですが、大人の男です。……それで、見張りの者を付けようと思うのです。テルセと言う
「テルセ!」
「学びの際に、彼の者を侍らせます」
「よろしいです。年が近いので私も心安く思います。でも年若の女が二人では、同じことなのでは?」
「テルセは……彼の者から何も聞いていないのですか?」
「巫女と話することがらは限られているのですよ! ナシメがそうしたのではないですか?」
「そうですか。とにかく、テルセを侍らせれば、チョウセイはおかしなことをせぬでしょう」
私は、チョウセイが私を密かに殺そうとしたとして(そんなことをする人じゃないと思うけれど)テルセが来たところでどうにもならないと思うのだけれど、大人の考えたことだからからあまり口を挟むのも良くないと思う。ナシメには考えがあるのだろう。
灯火を付けるときのほかに、テルセに会える。明るい時に会えるのだ。
次の文読みのとき、チョウセイのほかにテルセがやって来た。テルセは私たちが座るところから、少し離れた
チョウセイの動きがいつもと比べてさらに忙しない。
「ははは、今日からはテルセの君もいるのですか。テルセの君も共に学びますか?」
「……」
テルセは黙って、湿った目でチョウセイを見据える。
「っはー、堪りませんな! 堪りませんな!」
うーん。この人は、こういう人。
「さて姫様。『孝経』をおおよそ読み終えました。さすが姫様、覚えがよろしい。さて。『孝経』は、まとめるとどのようなことが書かれていましたか?」
「ええと、親や爺など、血の連なる上の者どもをしっかりと敬うこと。それと同じように、位の高い人を敬う。位の高い人は、いろいろな人に心を配る。とにかく温かな心をもって、人と
「よろしい。じゃ、今日は次の《書》に参りましょう。これです。ででん!」
チョウセイが持ちだしたのはいくらかの《竹簡》。
「これは『説苑』という書です。全ては揃っていないのですが、よく知られたところが倭のクニにも《書》としてやってきています。ま、読む人なんてほとんどいないのですがね。『説苑』は全てを読むにはあまりに量が多いので、よく知られてところから学んでいきましょう。短いお話の連なりなので、どこから読んでも構いません。
そのうち、カラクニから『論語』と『尚書』が届きます。それまではこの『説苑』。この書はカラクニにかつていたたくさんの王様のお話が載っています。姫様はセミとか蟷螂とか、雀とか、虫や鳥はお好きですか?」
「嫌いではありませんよ」
「それではそうした物語から始めましょう」
チョウセイはいくつかある竹簡から、一つを選びだして示す。
「これは〈不顧後患〉という物語です。意は、〈後の患いを顧みない〉といったものでしょうか」
「ちょっと待って下さい、書には《徳》とか《考》とか、目に見えない心の有り方を示す他もあるのですか? セミとかが出てきたところで〈後の患いを顧みない〉と、どう関わるのです」
「それは読んでのお楽しみです。もしや虫がお嫌いで、そういう書を読むのすらも嫌でしたか。それならば違うものを」
「虫は嫌ではありませんから、その物語を読みましょう。あ、テルセ。これで構いませんね」
テルセはまさか声が掛かるとは思わなかったらしく、驚いたように小さく肯んずる声を出す。チョウセイも、私がテルセに声をかけるとは思わなかったようだ。しばらく眼を、仮宮のどこかもわからない淡いに泳がせてから、仮宮の外の縁の
「テルセの君も、物語のところなら話がわかるでしょう。1冊しか本がありませんから、ひひ、額を合わせて三人で。こちらに来てともに学びませんか?」
ドン、と何かを床に突き付ける音を聴いた。テルセは虫が嫌いなためか、威すように拒む姿を見せたようだ。こちらからはテルセの身に隠れて見えていなかったが、テルセは剣を携えていた。チョウセイに示すように身体の前に持ち替える。テルセの身柄にあった、短めの剣を両の手で支えている。柄は飾り気がなく、知らない彩が彫り込まれている。テルセの故郷であるイトのクニの柄なのだろう。
「ははは、テルセの君はそこに居るのでよろしいようで。ですが一冊しかないのは変わりません。姫様ともに読みますよ」
「はあ、よろしいですけれど、テルセや……あるいはナシメに怒られぬような近さでやりましょう。それと早めに写して二冊に増やせばいいのでは。今日は一冊で致し方ありませんが。テルセ、今日はこのようにしようと思います。よろしいですね」
そう言って、また目くばせする。テルセは、今度はしかと頷いた。
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