第9話 学而

 三日に一度の大婆による言継ときつぎの他に、私は二日に一度、《文字》を習うことになった。

 私に《文字》を教えるのは、チョウセイという男だ。彼の男は、ヒミコおばさまが亡くなる少し前にカラクニからやって来た者だ。

 ヒミコおばさまはそのころクナのクニと争っていて、カラクニにたすけを求めたところ、チョウセイがやって来た。それに、我がクニの正しさを示す黄色い旗や、色々な宝物も持ってきた。こういう物が、他の国におどしとなるのだ。うーん、旗や宝物で、人の心を奮い立たせたり、あるいは敵のクニの人の心を挫いたりできるんだろうか? わからない。ナシメは「それなりに効き目があるのです」があるというけれど。

 チョウセイと言うのは、カラクニから来たから文身いれずみをしていない。それで我がクニの人より太っている。そして肌の色が白い。他のカラクニから来た人も見たことがある。みんなチョウセイみたいに太っているわけではないし、みんなチョウセイみたいに色が白いわけではない。歩き方も変わっていて、一目でチョウセイだとわかる。カラクニの服を着ているし、わざわざ我がクニの者に頼んで、カラクニの服に似たものを作らせている。でも着方はだらしがなく、襟や裾は乱れている。いつもせわしなく動き回り、暑そうにしている。しかし、汗をかいているのをみたことがない。

「姫様、姫様! チョウセイめが参りましたぞ。《文字》を学びたいとのことで! 可愛らしい若君に相応しいお振舞い。チョウセイめが扶けとなりましょうわはははははははははははは!!!!」

 早口で語りたてて、チョウセイは私を見遣る。まずは顔から、胸元、腰から尻のあたり、そして足もとまで、ささっと目を這わせる。うん、この人はこういう人。

「さてさて姫様! 文を学ぶ際の心構えをまずは学びましょう」手を合わせながら、チョウセイがまた語る。

「心構えがいるのですか?」

「はい。どうして《文字》を学ぶのか。それは良いまつりごとをするためです」

「男たちが学んでいるみつぎや大きなほりを作る際に読む文字も、良きまつりごとをするために学ぶ一つです。他にも、多くの人の心を掴むよう良きまつりごとをするための考え方。これを知るために、《文字》を学ぶのです」

「それは私にとって役に立ちそうですね」

「倭のクニもかなり大きくなりましたからね。これからさらに多くの人が、姫様をお慕い申し上げるような、そんな振る舞いや考え方をさらに行なうことが求められましょう。姫様はとっても可愛らしゅうございますから、私はまぁ今のままでも良いんじゃないかとも思いますがね! でも……でもですよ! そこで《文字》も読めれば、より麗しい巫女になれましょう。うん、そちらのほうがより良いですな。年若い巫女が姫様でまつりごとするなんて……とにかくグッときますな! カラクニには久しくない」

「……」

「それでは、やっていきましょう。まず選んだ《テキスト》は……」

「テキスト?」アキマに習ったカラクニの音にない音だ。

「ふひひ、カラクニの外のクニの言葉が出てしまいましたなー済みません。カラクニは大きなクニですが、それと同じくらい大きくて昔からある、西に歩いて十年くらいかかる遠いところにあるクニの言葉だそうです。カラクニに物をひさぎに来た者がありまして、彼らの言葉を聴いたことがあるのです」

「何そのクニすごい」

「世の中は私たちが思うよりずっと広く、いろいろなクニがあり、いろいろな人がいるようです。今から学ぶことがらも、倭のクニの考え方に馴染まないものがあるかもしれません。心を広く持って学んでくださいね」

「わかりました」

「それで、まず選んだ《テキスト》、これは文字の連なりのことです。『孝経』というものです。これね」

 チョウセイは竹を綴ったものを持ちだしてきた。

「本当は『論語』や『礼記』という書から始めたかったのですが、今手持ちの《テキスト》はこれしかないのです。イトのクニの一大卒に頼めば、カラクニから取り寄せることができるでしょう。それまではこの『孝経』を読みましょう。短くてすっきりしているし、もしや初めて学ぶのによろしいかも知れません。それに《書》がどんなありさまであるか、わかりやすく掴めるでしょうし」

「これが《書》……」

「そうですよ。一冊しかなかったのですが、倭のクニの竹で作って、文字を写しました。だから二冊。姫様は、まず《文字》の読みを学んで、そのこころを掴むところから始めましょう。ナシメには許しを得ています。一冊は差し上げますよ」

「わー、良いのですか! やった!」

「ふひひ可愛い」

「え?」

「さて開いて下さい。ちなみに、これを《竹簡》と言います。みぎりから、上から下へと読んでいきますよ」

「はい!」


 チョウセイは我がクニの言葉とはなんだか重みや音が異なる言葉を連ねる。

「仲尼居曾子侍。子曰先王有至徳要道以順天下」

「うむむ」

「うむむ! これ難しいですね。倭のクニの人に教えるには、カラクニの音だけでは いけませんね。意が伝わらない。じっくりいきましょう。でも音は覚えておいた方がいい。ともに読んで下さい」

「はい! 仲尼居曾子侍。子曰先王有至徳要道以順天下?」

「姫様、一度で覚えてしまったのですか!」

「あやまっていませんか?」

「よろしいですよ。さすがヒミコ様を継いだ巫女様ですね。覚えがよろしい。カラクニの言葉にしかなく、倭のクニにない音があります。それは考えなくて良いことにしましょう。カラクニにも姫様のごとく、耳に触れたものをすぐに覚えてしまう人がおりますが、かなり少なくなりました。ではもう一度。仲尼居曾子侍。子曰先王有至徳要道以順天下」

「仲尼居曾子侍。子曰先王有至徳要道以順天下」

 チョウセイが文字を示しながら言う。「文字と一緒に覚えて下さいね」

「それでは次に意を示しましょう。仲尼さんという人がいて、近くに曾子さんという人が侍っている。この書は、二人が話しながら進んでいきます。私たちみたいにね」

「仲尼さんと曾子さんですね」

「仲尼というのが、とてもすごい人です。めちゃくちゃすごい人。いろんな呼ばれ方します。孔子とか。曾子は、仲尼から教えを学んでいるのですね」

「なるほど。彼らは昔の人なのですか?」

「おおよそ七百有余年前」

「ふぁ! そんな、解るのですか!」

「そうですよ姫様。文字に残れば、これができる。言葉で伝える物語ではこうはいかないでしょう」

「はい。面白いですね。続きを」

「ふひひひひh、子というのが仲尼です。すごい人。子がのたまうには、昔の優れた人は、《徳》の大いなる道をもって、天下をおさめていたんですね。天下をしたがえた、と読んでも良いかもしれません。カラクニの言葉と、倭の言葉は、並びが違うことがあります。

 チョウセイは文字をなぞりながら、言葉の並びの仕組みを示そうとする。

「至徳が、有る。天下を、おさめる。戻って読みますよ。私にとっては戻るわけではないのですが、倭のクニの人にとっては戻るように思えるでしょう」

「なるほど」

「それで《徳》というのが、肝になりますよ。このあと、《徳》がどんなものか、詳しく語られます。《至》というのは……こう、ぐっと」

 チョウセイは両手をひらき、身体のまえで重ねる。そしてひだりの手はそのままで、みぎりの手をグッと高く引き離す。

「グッと、《徳》が高まって、あるところまで至ることを言っています。つまり、昔の優れたクニの主は、高い《徳》で、まつりごとをして人を順めていたのです。姫様も可愛くて《徳》もあると、それはもう堪りませんな」

「続きを」

「民用和睦、上下無怨、汝知之乎」

「民用和睦、上下無怨、汝知之乎」

「はい、民用和睦、上下無怨、汝知之乎。民は仲良くなり、位の高い者と低い者との間に怨みはなくなる。曾子、あなたはこれを知っていますか? こんな意でしょうかねえ。民が仲良く、位の上下に怨みがないことは良いことですよね。倭のクニでもそうでしょう。さて、姫様。その仕組みを知っていますか? どうすればそうなるでしょう?」

「ぜひ知りたいです」

「ひひひ、七百有余年前に生きた曾子とともに、じっくり学んでいきましょうね」

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