第8話 テキスト
《楼閣》から下のものどもを眺めやる。手前の
私が生まれる少し前、これはヒミコおばさまのまつりごとがまだ行なわれていたころ、カラクニの新しい布が我がクニにもたらされた。
草を
《文字》も同じで、一つ一つを覚えるということは、筋を草から取り出しただけに過ぎない。この筋を紡いで糸にして、そしてゆくゆくは布にして着物や袋にする。《文字》を編み、《意味》を持つ長さにする。これを《文章》という。《文章》をいくつも連ねて文章を縫ってひとまとまりにしたものを《文学》という。
アキマとの学びは楽しいものだったけれど、物足りなさを感じていた。世のなかの全てのものに名があり、それにそれぞれ文字があてられていることはわかってきた。だが私は、その向こう側を知ってしまった。頭の中に流れる物語と同じように、文字で縒われ紡がれ績まれ編まれ縫われる物語があるのだ。
その日、いつもどおりにナシメが来た。話しかける。
「ナシメ、世の
「その通りでございます。
「その、……ナシメ。あ、あの、私も《文字》を習うと言うのは難しいのでしょうか。私もそうしたものを知りたいのです」
「トヨ様は税を数える役ではありません」
「そうですが、カラクニの仕組みを知っておきたいのです。田も機織りも、クニを形作る主なる仕組みです。こうした仕組みにクニが支えられています。我が国はカラクニからの援けを得てここまでの大きさになりました」
ナシメは読みがたい面持ちになる。答えが返ってこないということは、私の訴えを肯んずるわけではないのだろう。
手が冷たくなってきた。汗もかいているようだ。互いが黙っていることに堪えがたくなり、心の思うままを言ってしまう。
「……ええと、正しく申しますと、斎の宮に入ってから時を持てあましているのです。占いやまじないや物語は全て覚えてしまっていて。……それで《文字》でも学ぶいとまがあればよいな、と。……あ、あのですね、必ず占いを怠るようなことはしませんから。もしそうなったら、そうなったらですよ、すぐに私から《文字》を取り上げて下さいな! だから……」
ナシメは苦笑いしたような顔を、ほんの少しの間だけ見せた。昔、ナシメは私とともに他のクニを旅した時ことがあった。その時、にわかに寂しくなってしまって、私が帰りたいと我が儘を言ってしまったことがある。幾度も、父や母に会いたくなり、ナシメに我が儘を言った。そのたびに、ナシメの眉がキュッと垂れさがる。笑ったような、困ったような顔。
これを見ることができて、私は忘れていた昔のことをふと思い出す。ナシメがそんな顔をしたときは、私の我が儘を、なんだかんだ聴き入れてくれるのだ。国に帰ることは叶わなかったけれど、ナシメは甘い美味しい食べ物をくれたり、草で笛を作っておどけて見せたり、私を和ませてくれて。
しばらく、お互いに言葉が出なかった。でもすでに、なんとなく願いがかなう心地がする。あのナシメの困ったような眉を見られたから。
ナシメが言う。
「わかりました。チョウセイに話をしてみましょう。ですがトヨ様、《文字》を覚えるのは極めて難しいことがらです。巫女として、すぐに諦めてしまうことがあれば、チョウセイにも示しがつきません。また噂好きの者どもにも、すぐに悪い話が伝わるでしょう。やるからには、厳かさを損なわぬよう」
「わかりました。わー良かった! 私、物語を覚えるのは上手くできますから! 努めてみます! わー、わー」
ナシメはまたあの眉毛になる。
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