第一章 初年目

第2話 銅鏡の文字

 私が住んでいる斎の宮には、神祈りの備えの他に、まわりのクニからの貢物みつぎものが納められる。巫女の住むところから離れた別ところに、宝物を納める倉がある。多くの貢物はそちらに保たれているようだ。というのも私はそれを見たことがない。私に血の連なる、おじ様の誰かがこれを掌っているのだろう。

 私のめられた宮には、まじないにかかわる品が多く置かれる。私はもう外に出歩くことはできない。宮のくるわの、狭い囲いの中に捕らわれている。巫女の浄らかさを保つためだそうだ。……ぶっちゃけて言えば、私を女王にたてまつり表に出さずに篭めておくことで、まつりごとが容易たやすくなるのだろう。おじ様方にとってはね。

 外で遊べなくなっても、宮におかれる貢物をいじったりしていればいい。あとは、占いを違わぬようにするだけ。

 鏡は特に美しい。遠くカラクニのあるじの住まうところより来た鏡もあれば、大きなカラクニの、その海の傍で造られた鏡もある。そして我がクニでそれらを真似て造った鏡だってある。私はどれがどれだが……詳しくわからない。けれど、どれも造りがっていて、もてあそんで楽しい心地になる。

 鏡には語り伝えられるだけで今では見られなくなった生き物や、ある種の草木のつたなどがかたち取られている。その他に、カラクニの人が用いるあやがある。縦と横と斜めと点。真っすぐな線と曲がった線からなるかたち。これらの紋には一つ一つ現す事柄がある。そして、それぞれ音を持っている。ナシメなどの大人はこれの紋が持つ事柄と音とを、いくらかわかるらしい。

 まじないをする台の傍らに、バラバラと整わないまま置かれている鏡がある。その一つを手に取る。


 《景初三年》と書かれている。


 「景」「初」「三」「年」。


 アキマがやって来たときにこれについて問うてみた。

「アキマアキマ、アキマはこの綾について知ってんの?」

「あー、《文字》ね。近ごろカラクニから来た人にちょっと習ーとる」

「紋には、それぞれ表す事柄と音が揃ってあるそーだが」

「うん。みぎりから二つ目の綾、これは数が3個あるという事柄を表す。棒が3本あるというカタチが、文様の意味を表してる。「サン」と言う。次の《年》は、天地の時の流れの意味。日が長くなって短くなって、寒くなって暑くなってを繰り返すと、人や獣や草木が伸びて老いてしてやがて死ぬろー。これを表す。「ネン」って音を出す」

「他のは?」

「知らんねー、だけれど《三》と《年》は、わかるよ。寒くなって暑くなってを三度みたび繰り返すってこと」

「はぁーそしたらこっちの鏡のさ《四年》って言うのは、やっぱし時の流れの幅を表しとるてことかね?」

「ほーだぬ」

 アキマは親指のほかの、全ての手指を立てる。四つ、ということ。

「ほー、アキマ詳しいぬ!」

「トヨは知りたがりだね。……次に来たときはもっと学んでくるよ」


 私は、大人タイジンの男どもは、近ごろ《文字》の仕組みを学ぶことをすでに知っていた。大人として、人の上に立ちまつりごとをするために、《文字》の仕組みを知っておくことは要になる。だから私は、恐らくアキマもこれを習っているだろうと思った。

 おのずから媚びるような声になってしまった。行ないを省みるためのいとまは、ここではたくさんある。ありすぎるほどある。次はもっと上手く振る舞えるよう、いくたびもいくたびも頭の中で話の中身を思い描いた。何かこの《文字》というあやが、アキマとの話の種になれば良いと思っていた。

 《女たち》のまじないの言葉を紡ぎながら物思いにふけっていると、いつの間にか火を灯すころあいに到ったようだ。近ごろ侍り始めた端女はしためがやってきて、手筈てはず通りに火を灯す。歳は同じくらいだが、顔と振る舞いと文身とを見て、我が一族ともがらではないことを見取る。我が族に圧されて勢いを失った族の娘なのだろう。

「これや、名を申せ」

「ふぁ!」

「名を申せ」

「ふぁ! あ、テルセと申します……」

 このクニではあまり聴かない響きだ。

「どこの生まれじゃ?」

「ふぁー! あ、父の爺のころからイトのクニより参りました」

「そうか。なれば我がクニの生まれか」

「はい! はい! しかし父に付いて色々なクニを廻っておりました」

「大人に向けて話す言葉はまだ慣れぬか?」

「はい、慣れませぬ。……申し訳ありません」

 ここで私がアキマと話すような、多くの人が使う話し方をこのテルセにしたならば、たしかにテルセは心安がるかも知れない。しかし、巫女のおごそかさを損なう恐れがあるから、オホヤケの言葉で語らねばならない。どこかで耳聡みみざとい他の端女が、テルセと私とがワタクシの言葉で親しく話しているのを聴いたとしよう。巫女に馴れ馴れしくしたテルセに厳しい罰が下るかも知れない。だから私は、もう……同じ年頃の女の子とだって仲良くはなれない。斎の宮に入って月の満ち欠けを七つ経ていた。

 テルセが去る。ここからは長い。表向きには、夜の祈りを行なう時だ。これはすぐに終わる。まーぶっちゃけ、誰が見ているわけではないから、やらなくても良い。やっても良いし、まぁ、やった方が良いか。今日はやることにしよう。

 あとの時間は勤めがない。私は宮にめられてほとんど外に出られない。昔から、篭められた巫女が病になったり、身体を動かせない為に足腰が萎えることがあったと、女たちから伝えられてきた。閉じ込められ気がふれることもあるという。宮に閉じ込められて、身をもってその恐ろしさを思う。

 どうしたら良いのか。それは、身体を動かすことだ。

「しゅ! しゅ!」

 まっすぐに立ち、膝を曲げて腰を落とす。これを百五十度繰り返す。次に壁際に立ち、かかとを上げる。百五十度。それが終わると、重めの土器カワラケを手で持ち、上げ下げを繰り返す。これも百五十度。にわかに誰かが来ても、これならば祈りの姿に見えなくは、ない。次に青銅カラカネで造られた小さな祀りの品を手に持って、そして手を伸ばしてぐるぐる回す。百五十度。そして寝そべり右の手を左の肩。逆の手を逆の肩に。膝を立てて、腹の力を使って起き上がる。百五十度。

 幼いころ、つわものたちが鎧を脱ぎ休んでいるところを見たことがある。皆、身体のおこりが逞しく、見とれてしまった。あの時の興りを想い出す。体には色々な肉がある。これを一つ一つあらためるように、鍛える。体を鍛えると心地よい。

 これらを終えたあとは、宮のなかを歩く。同じところをぐるぐると歩く。体を慣らす。走れればいいのだけれどバタバタと音を出してしまい「あの巫女は何をやっているのだ?」と端女から思われてしまうだろう。

 身体が疲れて眠くなる。汗が引いて身体が冷え始める。着替えて臥所ふしどに行く。ふすまにもぐりこむ。

 女たちから教わったまじないや物語の言葉たちが、大水のようにがあふれ出てくる。

 語りは連なりだ。私は《女たち》から伝えられたまじないの言葉や昔からの物語を全てそらんじることができる。語りは連なりだから、一つの言葉が出てくると、あとは終わりまでくっ付いて出てくる。止まらないのだ。夢を見ている時も、いつも必ず女たちの声が流れ続ける。《女たち》の声とともに目覚め、自らの心でそれを継いで続ける。常に頭の中に、語りが流れている。

 身体を動かすと、あるひと時だけ、声が聞こえなくなる。それとアキマとの話をもっぱらにして我を忘れた時、少しだけ、声が聞こえなくなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る