A.D.248 ウェザーリポート
小川茂三郎
序章 四年目
第1話 密室の巫女
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木造の楼閣は、木の皮で屋根を葺いてある。
高床式に造られた建造物は何本もの太い柱で支持されている。階段があり、その向こうに密室の楼閣がある。楼閣から望む平地は四方を山で囲まれている。
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山の向こうには、異なる人々の住むクニがある。子供のころ旅をしたことがある。話す言葉も少し異なるし、なにより施す
ともに旅をしたナシメは「文身はクニごとに違いがあります。私たちのものと彼らのもの。他にも、たくさん。正しい文身、なんてものはないのです。遠い国には、文身をしないことが当たり前のところもあるのですよ」と、私の心を読んだような言葉をくれた。
今年はコメがどれだけ穫れるだろうか。占いはきっちりと行なわなくてはならない。コメが獲れない、という占いを出すとしても、なるべく、大人たちはそうならぬよう心懸けなければならない。
種々の言い伝えがある。これはこのクニに三百有余の歳月の間に培われたものだ。《女》の、《女たち》の亡き魂が私の肩に乗りかかる。三百有余の歳月の間、《女たち》が忘れた物語もあるだろうし、誰かがまた思いついたり心付いたものもあるだろう。子や孫への言づてが繰り返される。女たちは語りに語って、間違ったことや正しいことを継ぎ足してきただろう。何が何やら詳しくわかりようもないのだけれど、とにかく伝えてきた。
私はそんな、《女たち》が培ってきた言い伝えやまじないの言葉を継いで、
ナシメが階段を踏みしめ巫女の籠められた宮に近づいてくる。ヒミコおばさまの世から、統べる巫女の言を伝えるのはただ一人の男だけなのだ。
「トヨ様、鉄を作るための
「解りました。卜占を致します。その場でお待ちなさい」
「畏まりました」
片膝をつき、サカキで造られたシデを振り
当たり前だが、いつも通りの割れ方だ。ありふれた鹿骨をいつもの手続きで炙れば、かならずこの通りになる。この間、ナシメにぎりぎり届く声で、今では使われなくなった旧い言葉を呟く。女たちから習った言葉。かつてはこのような言葉で人々は話していたという。それがまことかどうかなど、わかるはずもない。
「出ました。いつもの通り、次に月が
「畏まりました」
「抜かりなきように」
ナシメが去る。ナシメはよくわかっている。ナシメは若いころは遠く海を渡って、カラと呼ばれるとてつもなく大きなクニへ使いとして旅をした。よく仕事を全うし、わがクニに帰って来た。そのあと、まつりごとに深く関わった。ヒミコおばさまの死後あったいざこざでは、千の人が死んだ。ナシメは殺されてもおかしくなかったはずだが、カラクニを旅したということと、おそらく、柔らかで優しい
ナシメはよくわかっている。私がありふれた鹿骨でいつもの通り占うことを知っている。次の半月の夜、たとえ雨でも火入れの祭をやるのがもっとも鉄を作り始めるのには良いことを知っている。だから私がそのように占うこともまた、知っている。占いはきっちりと、正しく行わなくてはならない。だからありふれた鹿骨でいつもの通り炎に中てる。
難しい占いには、その前にナシメに世の中のことを尋ねることがある。田への水入れや田植えの日、コメを獲る日など。これらは《女たち》からの言い伝えの通り、風や夕焼けの色や、鳥や虫の声や、雲の形や雲が山のどこに現れたか、陽が山のどこから登りどこに沈んだかを、をよく見聞きして占わなくてはならない。オタマジャクシが卵から孵る時などは、この齋の宮からは解らないから、こういうところはナシメに聴く。ナシメは良く解っているから、詳しくことを伝える。これで、田のことを占える。女たちからの言づてに基づいて兆しを集め、間違いなく占い、まつりごとをなす。
戦について占う時、ナシメの役割が際立つ。
もっとナシメと昔みたいにありふれたお話がしたいな、と思うことは多い。旅の話やまつりごとの話。きっと面白いだろうに。だがナシメは占いの他に話をしようとしなくなってしまった。互いに読み合って、やり取りがあるだけ。子供のころ、ともに旅したこともあったのに。
陽がカグ山の向こう落ちて、火を灯すために
その炎が、夜の暗さにいよいよ際立ちそうな時になって、外から、コンコンと音がする。
ナシメが来たり、婢が食べものを出し入れする入り口とは異なる方にある窓。
アキマだ。
「トヨ、風邪ひいてないかー?」
「ふぁ! アキマまた来たの? ばれたら殺されんよ」
「うんばれてない。誰も知らないところを、通って来たから。病にはなってない?」
「うんー。入って」
アキマは私と同じ
「ほんとに、ばれたら殺されんよ」巫女は隠されており、ナシメのほか取り次ぎはない。
「そん時はしゃーないさ。トヨ」
「何さ?」
「トヨの顔、美しいなって
「そーんなことを言いんに来たんかね」
「誰にも会えないんだから。寂しいだろうなって思ーて。だから巫女様をからかってやろうと思ーてさ」
「うーん寂しい、かな? どうだろ? よくわかんない。誰かがやらないと……また人が多く死ぬでしょ」
私が巫女になって四度目の田植えが始まっている。どう見つけたのかさっぱり解らないが、アキマは知られざる抜け道を通って会いに来てくれる。初めはかなり驚いた。だがアキマは上手く他の者の目を逃れてここに来る。互いに、危うさに慣れてしまっていた。
アキマはすっかり手足が伸びて肉が付いて、髭も逞しく生えてきた。ちょっと触る。触るだけ。アキマも私も、何をしていいか、良くないか、それなりにもうすでにわかっていた。
アキマは私の手をよく握ってくれる。
「はー巫女なんかやってんかったら、アキマくんの子を産めんだけどなー」
「しゃーねーって。俺の子供、もう少しで産まれんぞ」
「キナちゃんが産む子か?」
「そーじゃ」
「キナちゃん体丈夫じゃから全然上手くいくんじゃ!」
「よく占ってくれ」
「ほい。ことさらにやっといたるわ。アキマくん。あんたの位じゃヨメは四人は貰えるじゃろー」
「ほーだぬ。ま、そのうちだな。オヤジがたが話して決めるんじゃろう」
「はあ、ま、叶わないと思うけれど。私もヨメになりたかったんなって、やっぱ思うわ」
アキマの顔が、炎に揺らめいて沈む。巫女は夫を持たない。ヒミコおばさまもそうだった。そーいうもん。アキマは堪えがたくなったようだ。巫女の宮から去る。「また来る」と言って。
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