02偉そうな監視者と女子高生

「初めまして。日和田、葉月さんですね。私は長谷川と申します」


 そう言って対面に座った彼女はこちらににこりと笑いかけた。春の、今日みたいな曇り空に映えそうなグレーのセーターの上にジャケットを羽織っている。服装を全体的に見ると半分仕事、半分私事といった様子だ。年は20代半ばだろうか。地毛にしては明るい茶色のセミロングの髪を、きれいに後ろに一つに結んでいる。

ちなみにこの場所は例の喫茶店Mezです。彼女もまた、この場所の常連らしいが、通う時間帯が違うのかあったことはない。差し出された名刺を確認すると、彼女の肩書と長谷川と苗字だけが記されていた。名前の記載はない。


「……魔術師協会異形対策部、ですか?」


 と、私は彼女にあいさつをすることもなく最初にこう言ったのです。

皆さんこんにちは。本日はお日柄もよく、素晴らしい日でゴザイマスネ。挨拶は人づきあいの基本っていうよね。でもそんな事すら抜けちゃったわ。

 けどそんな私の心情を察してか、長谷川さんは目を見ながらゆっくりと話してくれる。こういった対応に馴れているのだろうか。


「何も知らない人が見れば驚くわよね?わかるわ。けど日和田さん、あなたが異形と関わった可能性があって、危害が及ぶ可能性があるとしたら説明せざるを得ないの。それは私の義務であって、その事実を私に報告するのが彼らの義務なのよ」


そう言うと長谷川さんはカウンター越しに紅茶を淹れていた清代を見た。

今日も変わらず穏やかに麗しい清代さんは、こちらの視線に気づいたのかニコリと笑い返してくれたので、少し正気に戻れた。今日は髪の毛を三つ編みにして頭の後ろでまとめてある。マーガレットっていうんだっけ?流暢に仕事の説明をしている長谷川さんとそう年は変わらないと思うのだけれど、余裕があるように見える。大人の余裕?

カウンター席にはリルカちゃんが座っていて足をぶらつかせながら、紅茶が淹れおわるのを所在なさげに待っている。今日も変わらずロングスカートのメイド服だ。小さい子がボリュームのある服を着るとかわいく見えるなぁ。


「義務。ですか?」

「そう。清代および志久間はこの町においての異能者の発見、および発生した異形の駆除をしているということは聞いたわね?その活動状況を観察、協会への報告をしているのが私なの。彼らの上司というよりは、監視者のほうが説明としてはわかりやすいかもしれないわ」


 テラスのほうから小七君が戻ってくる。庭の掃除をしていたようで、まくった袖を戻してから私たちに会釈した。会釈仕返して、スタッフルームへ消えていく背中を見送る。

 異形という言葉はこの前の一件の時に志久間さんが説明してくれた。


えっと。

“人間でなく、対話が不可能な存在。異常な形で存在しているもの”だ。

“それを生み出した誰か”が異能者。


「異形は、魔法ではないと志久間さんは言っていました。それを駆除するというのは、その、信じられなかったんですけど目撃をしたのでわかります」

「魔法ではないわね。原理としては魔法に近いのだけど、操れないものは自然現象や災害に近い。異能者だって魔法使いじゃなくて超能力者だって協会の上の人はおっしゃっているわよ……あら、ありがとう」


 リルカちゃんが紅茶を持ってきてくれた。ついでに焼き菓子も添えてある。

 今日この店に入ってきてからリルカちゃんとは一言もしゃべっていない。いつもならお店に来たときや、こうした瞬間に多少なりとも言葉を交わすのに。

 一礼し、ちらりをこちらを見てからすぐにカウンター脇へと戻っていった。

嫌われたとかそんな問題ではないのはわかっている。なぜならずっとこちらを窺っているような空気を感じるからだ。

 リルカちゃんの雇い主の上司だから大人しくしているのだろうか。それか、清代さんか志久間さんに静かにしてろと言われたか。

 確かに、素でリルカちゃんが喋り出したら何を言い出すかわからないし。


「日和田さんに先に言っておくけれど、あなたの事も協会に報告させてもらっているわ。“魔術師が不十分に結界を張ったために一般人が巻き込まれた。損傷がないことを確認し、厳重に注意、経過観察とする”」

「はい……」

「志久間については厳重に注意しておいたわ。あなたについてはそうね。経過観察と報告したのよ」

「あの、質問良いですか?」

「どうぞ」

「根本的なところからなんですが、私みたいな一般人が魔術を見たわけじゃないですか。其の場合記憶が消されたりはしないんですか?」

「ふむ……なるほどね。日和田さん、ちょうどおジャ魔女とか見ていたのかしら」

「それもありますし、昭和の魔女っ子の話だと人間に魔法を使っているのを見たらいけないって言うじゃありませんか。」

「ええ、そうね。一般人なら記憶処理をするのが妥当なのだけど」


長谷川さんはティーカップの中に砂糖を一つ落とし込んだ。液体の中で固体が融解し崩れていく。

 あれ、でも待って。記憶処理しないんですかと私は聞いたけれど、それも変じゃない?だってそれならこの前Mezに来た段階で志久間さんなり、この人なりが来て記憶処理の…なんだろう。魔法だか魔術を使って記憶を消すはずなんだ。

 清代さんは静かにカウンターの中で本を読んでいるし、リルカちゃんは静かにこちらへ注意を払ってる。長谷川さんは砂糖を溶かすためにティースプーンをくるくるとまわしている。


「砂糖はいれない派なの?」

「ええと…気分によります」


 へぇ、と言って長谷川さんは出来上がった液体を嚥下した。私も視線を下の紅茶に移す。

 この空気の中で落ち着いて紅茶なんて飲めなかった。小さくため息を落とす。


「『“気を付けてね”、“何かあったら言うようにね”と言っておきました』と協会には報告したのよ」

「……?」


 うつむいた状態で彼女の口元にだけ視線を向けると、わずかに弧を描いていた。

 あれ、こんな笑い方を彼女はしていただろうか。


「清代、この子に“何かあったら”の確率はどのくらいあるのかしら」

「この先1か月後に何かある可能性は高いですよ」


 清代さんはこちらを見ながら笑顔でとんでもないことを言い放った。う、うん。また遭うかもしれないって言われてからお守りみたいなものは持ってるけど、あの時は確実に来るとは言ってなかったじゃない?


「嘘ぉ」

「ここの駆除担当の清代が言うんだから本当の事よ。そんな一般人の記憶を消したところでまたここに戻ってきちゃうのがオチなわけ。だから今こうして詳細を話してね、逆にどういう状況か説明しているの。お分かり?あなたは確かに一般人なんだけど、一般人じゃないわけ」

「……嘘でしょぉ?」


 飾りっけもないそのままの気持ちを出すと、長谷川さんは軽く噴き出して笑った。…それからすぐに元の意味深な笑みに戻る。

 あれ、今の素笑いですか?


「あの日志久間が説明したのも、私がここで説明したのもそういうこと。そうじゃなかったら何も言わずに記憶を抹消してるわ。尤も、あなたが遭遇したのもこれから遭遇する可能性が高いということも清代と志久間の予測なだけだから大きな声じゃ言えないんだけどね」


 もう一度カップの中身をあおる様に飲み、静かにソーサーに戻す。

 大きな声じゃ言えないっていうことは、予測については言ってないのかな。その辺聞いてもこの長谷川さんの様子だとはぐらかされそうだ。


「予測の確証が得られるまでは、少なくともあなたは私たちの保護下に入ることになると思う」

「保護?」

「保護って言ってもね、いつも通りMezに来てもらったり、んん、名刺に書いてあるけど家に遊びに来てもらっても構わないわ。それ以外でも何か怖い事や変なことがあったら私たちに相談や知らせてほしいの。もしかしたら異形かもしれないこともあるし。私たちは異形に早く対処できる、あなたは危険から身を守ってもらえる。イーブンでしょう?」


 確かにこの前は小七君が守ってくれた。あれに自分で対処しろというのは無理だ。

 だったら…あーっと。もし、もしまた同じような場面に出会ったときにまた助けてもらえたら安心する。もしももう一回遭遇するのだとしたらね。


「答えを一応聞かせてもらってもいいかしら」

「……わかりました。…とはいっても、全然わかんない事ばっかですけど」

「それで十分。全然わかんないほうがいいのよ」


 私の精一杯の感想に対して、長谷川さんはまたにっこりと笑った。

 

「長谷川は信用ならないのよ」


 と、クッキーを齧りながらリルカちゃんは言った。

 長谷川さんが帰った後に冷めた紅茶を飲んでいると、何も言わず隣に座ってきた彼女の顔は不満をあらわにしている。


「その点あたしたちは信用できるでしょ?」

「ははは…うん、そうかも」

「でしょでしょ?どんどん遊びに来ていいから、お話ししに来ていいからね!」


 リルカちゃん、それはサボりたいだけじゃないのかな。

 清代さんは今度は苦笑いしながら私たちを眺めている。長谷川さんが使ったティーカップ一式はきれいに磨かれて棚の中だ。


「リルカちゃんとは関係なしにですね。いつも通り帰り道にでも寄っていただければ助かります。やっぱり葉月ちゃんの元気な顔をみると安心しますから」

「清代さん…」


 信頼って大事だよね。おんなじことを長谷川さんと清代さんから言われたとしても受ける印象が全く違うもの。長谷川さんと仲良くしたいかというとそこはまた別の話だ。特に仲良くしたいとかは思ってない。

 第一何を考えているか全くわからない人だ。あれは笑顔を顔に貼り付けてるんじゃないかってくらい。


「長谷川は怖いですか?」

「あはは。怖いというか、得体が知れないですね。魔術協会の…異形対策部ってなんじゃそりゃあって思いますよ」

「あの人も葉月ちゃんには気を遣ってるんですが、どうもうまくいかないですねぇ」

「うっそだぁ。あの何考えてるかわかんない顔なんていっつもじゃん」


 ばりばり。とクッキーがリルカちゃんの口の中へ消えていく。口の中はパサパサにならないのだろうか。


「ねぇ、葉月は結局ユウキに言ったの?」

「…………言えると思う?」

「にゃはは。言えないよねー」


 やっぱりという顔でリルカちゃんは笑った。やっぱり口の中がパサついたようで持参した水を口に含んでいる。


「言ってどうにかなるわけでもないですし、信じてもらえるわけでもないので難しいところですね。葉月ちゃんには皆情報を伝えてますけど、家族の人に伝えるかは…」


 葉月ちゃんに任せます、ということか。すまなそうな顔でこちらを見る清代さんに私は思わず苦笑した。

 もし今後何事もなく事態が過ぎ去るかもしれないじゃない。その可能性のほうが信じられるなら、言わないほうがいいに決まってる。下手に話して頭の病気を疑われたりしたときが怖い。熱でもあるのかと言われても嫌だ。


「ですね。…まぁ、言えるときに言うと思います。じゃあ私も家に帰りますね」


 正直今日得た情報を消化しないとうまい事言葉が出ないような状況だ。家に帰ろう。

 

「はい。じゃあまた来てくださいね」

「またねー」


 と手を振る2人に見送られて私は家路についた。


 志久間は眠っていた。そして起きて店内に戻ってきた頃には長谷川も葉月も居なかった。

 普通のお客をしり目に見ながらカウンターに入って清代に声をかける。


「交代しよう。お疲れ」

「まったく、くたびれましたよ」


 心の底からそう思っていないと出ない表情で清代はそう言ってカウンターの陰に隠れた。

 隠れた先には小型の冷蔵庫があり、冷えた麦茶と作り置きのサンドイッチなどの軽食が入っている。察するに緊張した空気のせいで空腹だったのだろう。仮眠をとるといってすぐに出てくるつもりだったのだがそれなりに時間が経過していたらしい。


「リルカは?」

「葉月ちゃんを見送った後にお出かけしました。もう少しすれば戻るでしょう……ハカセって、人見知りする人なんですねぇ。見てるこっちが疲れました」

「今に始まったことじゃない。僕は葉月ちゃんじゃなくてハカセのほうが心配だったくらいだ」


 清代は冷蔵庫を漁ると朝作ったらしいサンドイッチを端から齧る。じっと見ているのもおかしいだろうから、僕はカウンターに座り注文がないかを待つ。

 長谷川。は偽名だ。彼女の家の魔術師は本名を知られることを嫌っている。だから僕らは愛称を含めて彼女をハカセと読んでいる。あの人は僕たちの直属の上司、監察係。協会の首輪の付いた犬。…とはいっても従順かというとその点は謎だ。

 ハカセに葉月ちゃんの事を伝えたあと、記憶を抹消する必要がないと最終判断したのは彼女だ。それは葉月ちゃんの保護という側面ももちろんあるけれど、彼女の特異性にハカセは注目した。これは清代と僕の推測だけど、協会には葉月ちゃんの特異性について強調せずに報告したのではないかと考えている。

 なんでって、協会から深く追及されてもめんどくさいし、もしかしたら自分の魔術の研究に役立つんじゃないかって思っているからだ。自分じゃ言わないけどね。


『ほんと、あの面の皮引っぺがしてやりたいなー。その下の顔がどうなってるのか気になりません?ご主人』


 嗜虐性のある顔でそういったリルカの丸い目を思い出す。

 その問いに是と答えはしなかったが、ちょっと興味はあるなぁとだけ考えた。でもそんな引っぺがせそうな人物が今のところ現れていないから実現することはないだろう。

 葉月ちゃんの保護について話すと言っていたから、きっと話したんだろうけどあの子が心配だ。帰ってきたらリルカからも様子を聞かなければいけない。


「…あ、はい。伺いますー」


 すみませんと声を掛けられたので、清代に一度目くばせしてから注文を取りに行った。



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