君の箱庭

どんごりごろごろ大臣

01女子高生、怪異現象に遇う

深淵を覗くものなら数知れず、されども深淵に足を踏み入れたものはそう多くない。

その中で、存在を認め、自己を保つことが出来たものがどれほどいただろうか。


これは、私が覚えている彼らの物語。


君の箱庭―序章―


私は視界の情報すべてを処理することができなかった。


買い物の途中、近道をする目的で通った公園の真ん中で、私は停止しそうになる思考を精一杯繋ぎ止める。

うねる赤が照り返して私も赤く染める。夕焼けよりももっと赤く、仄暗い。

それは踊るようにして集まり、私をゆっくりと取り囲んでいる。


その光景は現代高校生の表現でうまい具合に表現できるものではなく。

そう、単語だけで表すのならば

燃え盛る火炎。融解。流れ出る赤い液体。

どこにでもありがちな公園という空間のものすべてが赤く染まり、本来の形を失っていた。


それらは意思を持つかのようにうねり、形を変えていく。

空気は動かず、音も何もかもが消えている。


異常だ、けれど何故こうなってしまったのかが分からない。


ただここが普段とかけ離れた異常な場所であり、逃げなければいけないということを私は分かっている。けれども、身体は思うように動かない。


額から垂れた汗は熱いからだけではなく、この場所に対する身体の拒否反応も含まれているのだろう。じっとりと嫌な感触が身体全体を覆っていた。


あの炎に触れたくは無い。触れたら多分私はおかしくなるような気がするのだ。

取り囲まれなすすべも無く立ちすくむ。

脱出する方法もなければ、立ち向かうための道具もない。

そもそもこの出来事が現実とかけ離れている。想定していることならば対処できるがそうでなければこの思考が導き出す答えに従うしかないのだ。

危険だから、逃げるしかないのだと。若しくは、この状況を受け入れ炎にまかれるしかないのだと。

そうして、考えることを放棄しようかと思ったそのとき、強く突風が吹いた。


「……っ!?」


思わず顔を上げ、風の流れていく方向を目にする。

風に当たった赤いそれは、動きを止めた。


「………」


息をつめて動きを止めたそれを見つめる。

すると踊っていたそれらは動きは同じに倍ほどのスピードで私に迫ってきた。

炎が自分に迫ってくるなどの表現はそうそうできない。なぜなら本来の火というものは動かずにそこで燃えているか、ガソリンなどの液体により延焼するかなのだから。それは、踊るかのように、生きているかのように気味悪く迫ってきたのだ。


「……っ、…い、……」


声にならない悲鳴が口から漏れる。いっそここで叫んでしまえたら楽になれただろうか。

しかしそこを十分に考えるほど私に余裕などない。ただ得体のしれないものへの恐怖があれと同じように思考をさらい、囲い込んでいるのだから。


5mほど離れていたはずのそれらが眼前に迫り、思わず目を閉じようとすると、視界の端に何かが映った。

また風が吹く。

今度は切るように、なぎ払ったような風が頬をきった。


「大丈夫ですか?」


何処かで聞きなれたような声を聞き目を開けると、取り囲んでいた奴らの一部が消失していた。

そしてそれらがいたであろう場所に、知り合いの青年が立っている。


「小七君…?」

「間一髪ってとこでしたね」


普段細められている彼の目が見開かれて至極真面目な顔をしていた。いつも細めているため、柔和な印象があったのだが今はそう感じない。

彼は私の手をとると自分側へと引きよせる。

その間に眼前に迫っていたあれの一部が彼の腕に触れ、衣服を溶かしていた。焦げ臭い匂いがわずかに漂う。

あれはやはり火だったのか。


「…触って大丈夫なんですか?」

「ええ。”俺は”大丈夫です」


そういいながら私を後ろのほうへかばい、小七君はそのまま後退しながら後方へ声を掛ける。


「ご主人、あとはお願いします」


声を掛けられたほうへ目をやる。遥か視界の上に服が揺れている人物がいた。正確には風をまとった人が居た。

先ほどの発生元はこの人らしい。長い上着が周囲に発生している風によってばさばさとはためいている。


私はその人も知っていた。思わず声を掛けそうになったところで小七君に止められる。

見開かれた目が何も言わずに大人しくしていてくれと訴えていた。


「へぇ。結界に人が入り込んだのか、これが人を取り込んだのかわからないね」


そう呟くと同時に、彼の周りの風がいっせいに“あれ”に向かっていった。

風はそれを取り囲むと、渦をつくる。

何を感じたのか、渦の中で形容しがたい赤いそれが伸び縮みするが風に阻まれ外へ出ることはかなわない。耳障りな気味悪い音があたりにこだまする。聞き続けていると頭がおかしくなりそうで耳を塞いだ。


やがてあれは、風にまかれ、縦に押し潰されるようにして小さくなっていき、気がついた時には風の消失と共に地面に焦げ痕のようなものだけを残してそれは消えていた。

何も言わずにその焦げ痕を見つめてから、ゆっくりと風をまとっていた人を確認する。

私より高いところに座っている彼の身長もまた、細長く。後ろで一つに括った紙の束が風で揺れていた。

春先らしくベージュの千鳥柄のズボンを指摘するとおしゃれを気取るのだろうが、上に羽織った黒のトンビコートが異様なインパクトを与えている。


「葉月ちゃん、怪我はないかい?」


人を気遣う言葉とは裏腹な気怠そうな言い様とその胡散臭い格好は間違えようが無かった。


「志久間さんのせいなんですか。これ」

「ううん。それは違うな……っせっと」


掛け声をかけてから志久間さんは公園のなかで最も高い遊具―ジャングルジム―の上から飛び降りた。

さっきは気にならなかったが、成人男性がその一番上に立っていたというのは奇妙ではないだろうか。

子どもの模範であるべき大人という面でも、普通の人という面でもだ。


「これは僕が君を助けたんだ。ほら、感謝感謝」


小七君の背中に隠れていた私にゆっくりと歩み寄ってから、私の目線と同じ高さでかがみながら志久間さんはそう答えた。

それから私の震えている足を見てゆっくりと両手をかざす。

すると不思議なことに震えは収まった。むしろ足の力が抜け、地面にへたり込む。

それを見て志久間さんは愉快そうにくつくつと笑った。


「怖かったね。よく立っていたものだと思ったよ」

「なんなんですか!」


立ち上がれずに叫び返す。小七君に窘められた志久間さんは肩をすくめた。


「ごめんね。でももう嫌な感じしないだろう?ここはぜひ僕にお礼を言ってほしい所なんだけど」

「嫌な感じはしません。……でもどうしてこうなったかも分からないんですから、説明をお願いします。志久間さん、魔法使いなんでしょう?」


そう問いかけると、興味深そうに私の瞳を覗き込んでから、嬉しそうに志久間さんは言った。


「そうさ。君は知らなかったと思受けれど僕は魔法使い。でも今はもう知っちゃった。つまりこの現象に遭った君に説明する義務を僕は持っている。…小七、帰ろう。結界はもう解いたから」

「はい。ご主人」


いつもどおりの公園に戻っていた。時間帯もさっきと変わらない、橙色をした夕焼け。

さっきの仄暗い赤とは違う、日常の景色に戻っていてふっと、肩の力が抜けた。


「大丈夫ですか?」


伸ばされた小七の手を借りて立ち上がる。膝の汚れを払ってから志久間さんのほうを見ると、彼は鳥のように首を傾げた。


「僕のお店に寄って行けるでしょう?」

「……はい。でもその前に家に電話します。家族が心配するので」



「あら、いらっしゃい。葉月ちゃんと……?」


公園から歩いて数分の場所にある喫茶店に入ると、カウンターの中の女性が私に声をかけてから、後ろにいる志久間さんと小七の姿に首を傾げた。

彼女の名前は清代さん。この喫茶店Mezの実質的な経営者である。喫茶店が出来てから数年、共同経営者の志久間さんは仕事をほぼしていないにもかかわらず経営が成り立っているのは清代さんの働きによるものだ。よく働き、愛想もいい。怠け者、不審者を絵にかいたような志久間さんと対照的な存在といえると思う。正直何年も続けられたものではないと思うのだけど、どうなんだろう。


「こんにちは、清代さん。といっても夕方になってるんですけど」

「こんにちは。お休みの日にこの時間に来るのは珍しいわね。どうしたの?」


カウンターを出てから、椅子を引いてくれたのでその場所に座る。カウンター越しに焙煎したコーヒー豆の良い匂いが漂っており、隅のほうに淹れたてと思われるコーヒーポットがあった。丁度お客がはけたから休憩しようとしていたのかもしれない。


「現場に遭遇したから、保護してつれてきた。コーヒーちょうだい」


羽織っていたコートを丸めて脇に抱えていた志久間さんが椅子一つ分のスペースを空けて隣に座り足をくんでいる。


「急に人がいなくなったのはあなたがやったからなのね。あ、小七はいいから一回下がって着替えてきて。服は…そんなんじゃもう着られないから捨てましょう。それよりも現場に遭遇って葉月ちゃんが?なんともないの?」

「私は、なんともないと、思ったので家に帰ろうとしたんですけど…」


横目で伺うように志久間さんを見ると、こちらを見ずにコーヒーに砂糖を振りかけていた。それから一口すすり、こちらの視線に気づいたのかカップをソーサーの上に戻す。


「体がなんともなかったことについては、僕もそう思うよ。じゃあなんでってことだけど。あの現象に遭った以上、僕は君に説明しなければいけないことがあるんだ。そして、これから君は注意しなければならないことがある」

「たぶん志久間が説明したいみたい」

「なるほど」


何を言っているのかわからないんですけど、と聞き返す前に清代さんのフォローが入った。目の前に志久間さんと同じようにコーヒーが並べられる。私はとりあえずミルクと砂糖を一つ入れた。


「まず、さっき見たものを僕らは異形と呼んでいる。人間でなく、対話が不可能な存在。異常な形で存在しているもの。あれは炎ではあったけれど、動き方は明らかに普通の炎とは異なっていただろう?」


踊るような動き。もし炎自身に意志があったとしたら、生きているものであったとしたら可能かもしれないけれど、それは現実にはあり得ないことだ。


「君たちの目から見れば魔法の一種のように見えるかもしれない。若しくは自然現象とかね。でも、魔法になり得ないもの、自然現象ではないものを異形というんだ」

「魔法になり得ないものってなんですか?」

「簡単に言うとね……その扱う人の制御を外れたものだ。車でいうとブレーキもハンドルもきかない状態みたいな。異形の起こる理由はいろいろあるけど、特徴としてある形態をとることが多い。葉月ちゃんは、クトゥルー神話って知ってる?」

「TRPGの一種ですよね?動画サイトでみることがあります」


クトゥルー、またはクトゥルフと呼ばれる名称で知られるテーブルゲームの一種だと聞いたことがある。探索者が神話生物と出会う話という程度でしか知らないけれど。


「異形は大体その神話の現象と似たようなことが起こるんだ。といってもさっき君が見たボヤみたいな自然現象の延長みたいなものとかがほとんどだけど」

「それを志久間さんたちはやっつけている、っていうことですか?」

「そうそう。有り体に言えば駆除だね。感覚的にはゴキブリみたいなものさ。あれが定期的にこの町のどこかに発生するから、僕達が他の人たちに被害が及ばないようにしているんだ」


志久間さんは詩を詠むように言った。


異能は異能を呼び寄せる。

本人にその自覚が無くても、あっても異能はどこからか現れる。

彼らはただそこに存在している。欲をいえばこの世の中に現れる機会を望んでいる。

だからこそ自分と同じか近いものを持っている何かに寄ってくる。


「私にもわかるように説明してください」

「ふむ。葉月ちゃんに分かりやすくね……。

君は異形に出会ってしまった。本来僕らはそうならないように予知した時点で結界を張る。君はそれを何故かすり抜けてしまった。そして、襲われたんだ。

一般の人は異形には気づかない。あれは少しずれたところに存在し、干渉してくるからね。だが君は気づいてしまった。そのことに異形も気づいたから君を取り込もうとしたんだね。僕の結界をすり抜けた挙句異形を視認するとは普通なら考えられないんだけど、やられたからには仕方ない」

「なにがですか?」

「君はこれ以降あれ、若しくはあれをけしかけたやつにおびえなければならないんだ」

「あれをけしかけてきたやつがいるんですか?」

「そう。異形は人間と分類できない何か、とざっくばらんにしか説明できないけど、大本は誰かが生み出したものだ。それを僕らは異能者と呼んでいる」


私が出会ったものが異形。異能者と呼ばれる人がそれを生み出したと志久間さんは言った。志久間さんが魔法使いで、異形を退治しているということはその異能者と呼ばれる人も魔法使いなのだろうか。


「志久間さんが分かってるってことは魔法使いなんですか?」

「そこはまだよくわかっていないんだ。僕たちは異形を予測して、対処する程度のことしか今できていないからね」

「私が身を守る方法は?」

「僕と清代でお守りと緊急時の連絡先を渡すくらいかな」

「………」


異形は人と少しずれた場所にいるらしい。そして意図的に人を襲う時は人と同じ場所に移動し危害を加えるそうだ。志久間さんたちは人を襲おうとしている気配を察知して、こちらの世界に来る前に結界を張って駆除をしようとしたらしい。その時に私が、そちらのずれた世界に入り込んだそうなのだ。

こちらの世界で異形とであったらならまだしも、ずれた世界のほうへ私が入ってしまったことで、また私がずれた世界へ入り込む可能性があること。その時にまた異形に出会った場合同じように襲われる可能性があるそうなのだ。


「まぁ、幽霊みたいに取りつかれたわけではないから、そんな重くならないで。第一普通の人が異形に出会うことなんてそうそうないんだから…ただ、君みたいにずれた世界に入り込める人間の場合はどうなるのかは、ちょっとわからないんだよね」


志久間さんの言い方の雑さにうなだれると、気を使った清代さんがコーヒーのお代わりはいらないかたずねてくれた。私はごちそうさまですとだけ伝える。


「葉月ちゃん。ごめんね、何もできなくて…なるべくでいいから学校帰りにここに来てください。それならこちらも何かあった時に助ける事も出来ますし、教えることができますから」

「ちょっとだけ寄るくらいならできると思います…けど」

「ご家族ではなく……ユウキ君ですか?」

「はい」


ここで注釈をいれると、ユウキという同居人が家に住んでいる。同い年の高校生の男の子だ。経緯は面倒だから省くけれど、昔からの付き合いであることや、両親が忙しくて帰ってこないことが多いからとにかく私に干渉してくる。お母さんかってな位に。

そして私がMezでこうやって寄り道していることを快く思っていないようで、帰ってくるとごはんが遅くなるとかなんで俺が1時間も先に家についてるんだやら色々……最近になって特に厳しくなっているように思う。


「彼が信じてくれるかは分からないですね」


志久間さんはいたって真面目な顔で言った。ユウキはリアリストだ。今日みたいなことを話したら信じてくれるように思えない。…が、もしもの場合を残したいようでぼかした言い方をした。だから私はそれを否定する。


「ユウキは、魔法とかは信じないと思います。私だって、実際に見ないと信じられなかったもの」

「そうよね…ユウキ君だから信じてもらえると安心なのだけど、だからと言って魔法を彼の前で実演することは難しいのよ」

「そうですよね…」

「私たちの魔法は日常生活で使用しようとしてできるものではなくて、結界を張ってその上で使わないと危ないのよ。それこそ異形が現れたときとか」


志久間さんと清代さん、どちらも魔法を扱えるそうなのだが、異形が現れた時にしか使わないらしい。

区域を限定して、その中で行使することもどこかで許可が必要らしくて言うなら面倒らしい。ユウキにその魔法について説明しても、見せたとしても信用してもらえるか怪しい現状では私も交渉する気はない。


その後挨拶もそこそこに私は喫茶店をでて、速足で帰路についた。


「ただいまー」

「おかえりなさい。買ってきてくれた?」

「……うん」


玄関から台所に向けて声をかけると、ユウキの声が返ってきた。

食事のにおいがまだしないから、下ごしらえをしているのだろう。言われた買い物をそのまま手渡す。

買ってきたものを確認する奴の節くれだった指先を眺めながら、さっき遇った出来事を思い出す。

時間としては帰りに志久間さんに会って少し長めの会話をしたくらいなのだけど、体験した内容がハードだ。私の頭も胃もたれしそうな程の。

…頭って胃もたれしないけどね。頭が重いっていう表現が妥当だろうか。


「ねぇ、ユウキ」

「どした?」

「ユウキは、その、魔法とかって信じる?」

「……Mezさんのとこに行ってきたのか。それを言われたのだって俺たちが小学生くらいの頃だったし。昔から不思議な人たちとは思うけど、魔法については冗談だろ?」

「だよね」


予想していた返事に私は安心したような、すこし残念なような気分になる。

ここで何を期待していたのかと聞かれるとうまく答えられないけど。


「そんなの信じる歳でもなし、どうした?」

「うーん。なんとなく、かな。ごはん手伝うよ」


ユウキの質問を遮りながら、台所の隅にかけてあったエプロンを手に取った。

それからとってつけたように笑うと、とても胡散臭いものを見るような目で見られる。


「……そりゃどうも」

「そんな変な顔で見ないでよ。私だって料理くらいできるって。そりゃあんたよりは手際よくないけど」

「葉月は雑だし適当にやるから効率とかを考えないだろ。そーゆーとこだ」

「はいはいはーいっと」


とりあえずここで宣言しよう。

無理無理。ユウキさんには言えませんよ、これは。信じてもらえないって。


心の中で途方に暮れながら、私は夕飯づくりに取り掛かった。


清代さんは静かに紅茶を淹れていた。

あたりに香気が漂う。これはお店を閉めた後の分だ。

ご主人はけだるそうにテーブルに頬杖をついている。

床の掃き掃除をしながら俺こと小七は2人の様子を伺っていた。


紅茶が注がれる。それをカウンターの中の彼女が飲む。

カウンター越しにそれを受け取った彼もまた同じように飲んだ。


葉月さんは子供のころからこの喫茶店Mezに遊びに来てくれた女の子だ。ここに来て5年しない俺よりもずっと2人との付き合いは長い。ご主人はともかく優しい性格の清代さんの事だ。葉月さんを心配しているのだろう。そして、志久間さんに怒っているのか、困惑しているのか、なんと切り出してよいか悩んでいる様子だ。


沈黙は俺が掃き掃除を終えて所在なさげに立ち尽くそうとしている時まで続いた。


「……本当に、あなたの術の中に入り込んできたの?」

どう話しかければいいだろうか、という表情で清代さんは切り出した。

「うーん。そのはずなんだよ。でも手を抜いた覚えはないんだ」


そうだろ?と聞かれてええ、はい。と俺は頷き返した。

一般区画からの閉鎖、および現実世界の存在の保護。ご主人の術式はいつもと変わらず、抜け目なく張り巡らされていた。


「あー…でもジャングルジムか滑り台かで悩んだんだよねー」


椅子に座ったままぐるりと彼は回る。

そこが重要なのだろうかと思っていると、回っていたご主人の足に小さい足の蹴りが入った。


「そこが重要?キサマの術のどこかに抜け目でもあったんじゃない?」


そう言うのはメイド服を着たリルカちゃんだ。さっき葉月ちゃんが来たときは倉庫整理をしていたが、戻ってきたらしい。

いつから話を聞いていたのだろう?


「相変わらずリルカは手厳しいなぁ。もっと笑って、おおらかに。あ痛、やめて、ちょっと」

「今ちょっと聞いてましたけど!私の大事な友達の!葉月が!巻き込まれたそうじゃないですか!ちょっとありえない。キサマのせいですよ」


普段からややツリ目気味の目をさらに怒らせてご主人の服の裾を引っ張っている。対するご主人は椅子からずり落とされないように必死につかまっていた。

リルカちゃんと葉月ちゃんはこのお店でもよく話していた。リルカちゃんにとっては数少ない同年代の友達という意識なのだろう。そんな一般人の葉月ちゃんを巻き込んだことにかなり憤っている。

とりあえず彼女を引っぺがしご主人を助けなければ。野良猫に襲われた顔になる。


「どうどう、どう。リルカちゃん落ち着いて」


わきの下から掬いあげる形で引き離すと、抵抗する気はないのかそのまま俺に引きずられていく。しかめっ面ではあるが本気で暴れるつもりはないらしい。


「………むー」

「リルカ。怒りたい気持ちもわかるけど、起こってしまったことは仕方ないわ……あんまりこう言いたくないけどね」


清代さんが諭すように言うと、とりあえずうなづいた。


「シータちゃんがそういうなら、わかった。でも、これからどうするの?」


それには俺も同意だ。リルカちゃんの姿勢を正してから俺もそちらに視線を移す。


「あの時ほとんど身を守る方法がない、と言ってしまいましたが、何か手はありますよね?」

「まぁね」

「僕としては、ハカセに連絡を取って報告、相談?がルーチンかと思いますけど」

「手順としてはそうだけど、もしかしたらあの子かぎつけてるかもしれないわ」


ああ怖い。と言って清代さんは肩をそびやかした。


「ハカセさんですか。………」

「ハカセ来るの?」


ええ、来ますね。と言いながらリルカちゃんの低い位置にある頭を撫でる。

ご主人はハカセという単語を聞いても表情は変えず、ただめんどくさそうにテーブルの上に頭を乗せた。


「葉月ちゃん。どうにかしてあげなきゃね」


それだけ言うと、清代さんはまた一口紅茶を飲んだ。

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