十発目『ニセゲイ!』

 2年A組・鳴海なるみ恭馬きょうまは、どうやら学校中の誰もが絶世の美少女と認めるほどの生徒らしい。

 そんな彼女……もとい彼が、どういうわけか接点の全くない僕へとチョコを贈ってきた。


「“伝えたいことがあります。昼休み、誰もいない体育館裏でお逢いしましょう”ってこれ、どう見ても本命チョコじゃないですか! やりましたね、辰兵衛さんっ!」

「オイコラバニート。何勝手に読んでやがる」


 すぐさま手を伸ばし、ラビの持っている手紙を取り返そうとする。しかし、彼女はひらりを身をかわすと、妙に熱のこもった弁舌を始め出した。


「これで辰兵衛さんがあんなに可愛い鳴海先輩と付き合うことになれば、やがて一糸まとわぬ先輩を前にして辰兵衛さんの勃てなしさんがムスコ100%になること間違いなし! そうすればわたしの目的も無事に達成するということ!」

「い◯ご100%みたいに言うな!? しかもお前はほぼ何もしてねえじゃねえか……! あとちょっと待て、相手は女子じゃなくて男子だぞ……? 悪いが僕にソッチの気はないんだが……!?」

「愛に男や女なんて関係ありません! いやむしろ、性別の壁を乗り越えたものこそ本当の愛だとさえ言えるでしょう! さあ、常識を打ち壊すのですっ!」

「なんかさっきからお前、白恋が乗り移ってないか……!?」


 というか何で不純異性交遊をする前提なんだ。

 高校生ならもっと清く健全なお付き合いが望ましいだろうに。


「兎にも角にもです! この機を逃す手はありません! もちろんお昼休みに先輩と逢うんですよねっ!?」

「いや……でもなぁ……」


 正直なところ、僕は鳴海先輩の呼びかけに応じようか決めかねていた。

 実は男だという点を差し引いても、相手は校内随一の美貌を持つと謳われるほどの人物だ。そんな彼が何の面識もない──さらに言えば、秀でた特徴もない至って平凡な僕に突然チョコを贈ってくるなど、あまりにも出来過ぎていると思うのだ。

 スパムメールの内容が胡散臭いように、これを鵜呑みにしてしまうのは何となく危険な気がする。考えたくはないが、僕を晒し者にするための罠という可能性もある。


「私からもお願い。行ってあげて、立梨くん」


 地面に突っ伏していたはずの白恋が、最後の力を振り絞って起き上がった。

 彼女の周りには、決して少なくない量の血だまりが形成されている。

 ……いや、はやく鼻血を止めろよ。


「無理に喋ろうとしないで、弥生! 今すぐ救急車を呼んで……!」

「いや、保健室で何とかなる怪我だから。そんなんに国民の血税使わんでいいから」

「いいのよ、ラビ……。ねえ、立梨くん。私ね、立梨くんに叶えて欲しい夢があるの……。私の夢を、あなたに……託す……わ……ぐふっ」


 白恋が唐突にバランスを崩し、前方に倒れかかった。僕はとっさに彼女の体を受け止めると、白恋はそっと背中に手を回してきた。赤く熱く濡れた彼女の細い指先が、僕の背筋をゆっくりとなぞる。


「あとは頼んだよ、立梨……くん……」

「白恋……っ!?」

「(多分)校内初の……」


 白恋がわずかに口元を綻ばせる。その表情は、安らぎに満ちていた。


「BLカプ成立の悲願……を……」


「や、やよいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」


 ラビが悲痛な叫び声をあげた。

 名を呼ばれた腕の中の少女は、とても幸せそうに笑ったまま動かない。


「なんだ、この茶番は……」


 それと白恋。

 僕が悩んでいた最大の理由は、既に好きな人がいるからなんだ。

 彼女の幸せの為には、やはり僕が男の人と付き合うこと以外に方法はないのだろうか。

 そう思うと、ノーマルな僕としてはなんとも居た堪れない気持ちになった。


♂ ♂ ♂


 4限目の授業を終えた後、僕はすぐに指定された場所へと足を急がせた。

 昼休みに入ってすぐの時間、大半の生徒は教室で持参した弁当を食べるか、学生食堂に行って昼食をとる。そのため、食堂とは校舎を挟んで反対側に位置する体育館近くには当然ながら人気がほとんど無く、ましてや体育館の裏に人が来ることなど滅多にないだろう。密かに逢うには確かに絶好の場所かもしれない。


 僕が駆けつけると、そこには一人の生徒がぽつりと立っていた。

 木の下で木漏れ日を浴びるその人物は男子生徒用のズボンを履き、更にワイシャツの上に学校指定の黒いセーターを羽織っている。だが身長は平均的な男子生徒のそれを遥かに下回っており、顔もセーターの袖に隠れた指先もちんまりとしていた。

 焦げ茶色の髪は腰のあたりまで伸ばしており、風になびいて甘い香りを運ぶ。


「あっ、立梨君! こっちどすえー!」

「きょ、京都弁……?」


 まるで愛くるしさを凝縮したような無垢な天使が、こちらに気付いて手を振っていた。

 間違いない、彼が噂に聞く鳴海恭馬先輩だ。


「初めましいや、ウチは2年A組ん鳴海とええます。今日は急に呼び出どしたりしいや、堪忍どっせ?」


 ぶっちゃけ京都弁で何を言ってるのかはアバウトにしかわからなかったが、少し舌ったらずな甘い声音で放たれる方言に、不覚にも聞き惚れてしまいそうになった。

 辛うじて思考を保ちつつ、一先ずは後輩としてきちんと挨拶を返す。


「いえ、こちらこそ先輩にチョコを貰ってしまって、本当に嬉しかったです」

「そないに気ぃ使わなくてもええよお。それにウチんことは、先輩やなく名前で呼んでおくれやす」

「わかりまし……えっ?」

「とりあえず、立ち話も何やからそこに座ろっか」


 そうして僕は鳴海先輩に誘導されるがままに、コンクリートの階段に腰掛けた。

 隣には、鳴海先輩が体を密着させて座っている。というか、少しだけこちらに寄りかかっている気がする。変に意識すると汗が吹き出てしまいそうだ。


「それで、鳴海先輩」

きょうちゃん」

「きょ、恭ちゃん……先輩。その、僕に大事な話があるというのは……?」

「あはは、意外と恥ずかしがり屋はんなんやねー。二人っきりなんやからそげなこと気にせんでもいいのにぃ」


 鳴海先輩に揶揄われ、つい顔が赤くなってしまう。どうやら“天使”の異名は伊達ではなかったようだ。

 この可愛らしさを目の前にすると、本当は男だということをつい忘れてしまいそうになる。彼との会話は、それだけ不思議な感覚が伴うものだった。


「よ、用がないなら帰りますけど……!」

「わかったわかった、そう怒らんといてや! ほな、本題に入ろっか」


 言うと、鳴海先輩は顔をこちらの眼前にまで近づけてくる。上目遣いで注がれる熱視線が、まるで瞬きすることすらも許さぬようだった。


「あんたんことが好きやってん。ウチと付き合ってくれへん?」


 今までドラマでしか聞いたことがないようなセリフを、この時僕は初めて言われていた。

 それも、初対面だけどとびきり美人な先輩に。


「な……なんで僕なんですか……? 先輩は凄いモテる人だって聞いてますし、何より先輩と僕は、面識すら全くなかったじゃないですか……!」

「でもウチはずっと見ておったよ? 立梨君の真面目で直向きなところ。ぶっちゃけ、一目惚れやったわ」

「……っ!」


 思い出話を言い聞かせるように軽快な口調だったが、先輩の目は本気だった。

 これほどまでの好意を文字通り告白されるのは、僕にとって生まれて初めての体験だった。

 それだけではない。この先の人生、僕をこのように好いてくれる相手が、果たして現れるだろうか。


 少なくともそんな自信など僕にはなかった。

 なのでこの告白は、もしかしたら僕にとって人生最大のチャンスなのかもしれない。

 愛を知らない僕が、愛を得るための最初で最後のチャンス。


──愛に男や女なんて関係ありません! いやむしろ、性別の壁を乗り越えたものこそ本当の愛だとさえ言えるでしょう! さあ、常識を打ち壊すのですっ!


 愛において、性別など些細な問題であるとラビは言った。もしかしたら、本当にその通りなのかもしれない。

 今目の前にいる鳴海先輩は、眩し過ぎるほどに魅力的な人間だ。性別の壁など、気にもならないほどに。


 だからこそ、僕は……。




「ごめんなさい、先輩。僕には他に好きな人がいるんです。なので、付き合うことはできません」


 愛を手にする千載一遇のチャンスを、自ら棒に振った。


 確かに鳴海先輩の好意を受け止めれば、僕はきっと愛というものが何なのかを知ることができるだろう。

 それでも僕が恋をしているのは、白恋弥生という少女ただ一人なのだ。

 先輩が男だろうと女だろうと関係ない。

 白恋を諦めることを、僕は諦めたくなかった。


「そっか、なら仕方へんね」


 てっきり泣かれるか怒られるかと思い込んでいたが、意外にも鳴海先輩は潔く玉砕を受け容れてくれた。僕なりに覚悟を決めて言い放った言葉だったので、拍子抜けを通り越して罪悪感すら覚えてしまう。


「すみません、先輩。でも、嬉しかったのは本当です」

「立梨君が謝ることじゃおまへんって。はぁーっ、ウチも言いたいこと言えてスッキリしたわ」


 表面上こそ平静っぽく振る舞う鳴海先輩だったが、見るからに空元気だろう。

 当然だ。僕は報われるかもわからない自分の恋路のためだけに、先輩の恋心を踏みにじってしまったのだから。


「……じゃあ、これで失礼します。鳴海先輩」

「うん。ほな、今日はおおきにねー」


 それ以上かける言葉が見つからず、僕は一言だけ先輩に別れを告げると、踵を返してその場から去ってゆく。

 先輩を振るという決断は、僕なりに後悔しないよう考えた末に選んだものだ。

 しかし。


──本当にこれでよかったのだろうか。


 教室へと戻る道中、そのような疑念が頭から付いて離れなかった。

 鳴海先輩は僕に対して赤裸々に告白してくれた。

 きっと先輩も、今日この日に至るまで多くの悩みや葛藤があったに違いない。ましてや同性への告白だ。相当の勇気が必要だったはずだろう。


 もし、僕と先輩が逆の立場なら、果たして告白できていただろうか。

 おそらくそれは無理である。なにせ自分は、異性の白恋にすら未だに気持ちを伝えられていないのだから。


「凄いんだな、鳴海先輩って……」


 気付けば、素直に感心してしまっている自分がいた。

 容姿のことを言っているのではない。先輩がもつ高潔なまでの男らしさに魅かれてしまったのだ。

 決して自分の答えが間違っていたと思うわけではないが、それでもどうにかして彼の勇気を讃えたい。このような形で終わらせてしまうのは、先輩があまりにも可哀想だ。


 今すぐ先輩のところに戻ろう。せめて、感動したことくらいは伝えなきゃ。

 何より僕は、人生の先輩という意味で彼に惚れてしまったのだから。




 途中まで登っていた階段をすぐに駆け降り、校則も気にせずに廊下をひた走る。相当焦っていたのか、不思議と息切れは気にならなかった。

 やがて先ほどの体育館裏がだんだんと迫ってくる。幸運なことに、鳴海先輩と思わしき人影はまだそこに残っていた。


「鳴海先輩ッ! 僕は……」










「……っド畜生があああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 刹那、鈍い衝撃音が轟くと共に、木が大きく揺れる。

 まるで悪魔のように物凄い形相となった鳴海先輩が、力任せに渾身の回し蹴りを木の幹へと食らわせていた。

 こちらに気付いていないのか、彼の怒号にも似た独り言は尚も続く。


「あんの立梨とかいうネクラ童貞野郎……! せっかくオレが恥を忍んで告白したのに無下にしやがった! なぁにが『他に好きな人がいるからぁ』だ、ハナからテメーなんかに興味ないっつの!! ったくよぉ、アイツが宇佐美さんとやけに仲がいいから付け込んでやろうって算段だったのに、いきなりズッコケちまったじゃねえかッ!! どうしてくれんだよ、ええっ!!?」


 『オラオラオラァッ!』とでも言わんばかりの蹴りのラッシュが、何の罪もない木へと叩き込まれていく。彼が傍で見ていた僕の存在に気づいたのは、それからしばらく経った後だった。


「な、鳴海先輩……」

「……もう、おいやしたんならはよう言うてくれればええんに……♡」

「色々ともう遅いです。先輩」

「ダヨネー……」


 美少女というベールを解き、もはやおとことなった鳴海先輩がそこにはいた。

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