バレンタイン・パニック!篇
九発目『チョコ0個ディスコ』
「バレンタインチ◯コですよ! バレンタインチ◯コ!」
「意味もなく伏せ字を多用するなよ……」
いつもの調子で喧しく騒ぐラビを適当にあしらいつつ、僕たち二人は朝陽に照らされたアスファルトの道を歩いていた。
季節の流れとは早いもので、気がつけばあっという間に2月も半ばである。そして今日は14日……つまりバレンタインデーだ。
言うまでもなく学生たちにとっては重大なイベントの一つであり、心なしか道行く女子生徒たちはいつもより華やかに、そして男子生徒たちはいつになくそわそわしているように見える。より具体的には、女子たちが持って来ている小さな手提げ袋の存在が気になって仕方ないのだ。
全く、呑気にチョコを送り合うなんて、日本の学生は本当にお気楽なものだ。そもそもこの日は聖ウァレンティヌスの殉職に由来した記念日であって、宗教に関心を持たない大半の日本人にとっては本来無縁であるはずなのだが。これでは製菓業者の思う壺である。
それにどうせ期待したところで、きっと今年も母親からしかチョコは貰えないだろう。だから僕は一切の期待を持たないと決めていた。
……別に、白恋から貰えるとかちっとも思ってないんだからな。
「というか、前回までたしか1月の話でしたよね。なんで回をまたいだ途端にバレンタインなんです?」
「時期ネタがどうしてもやりたかったんだろう。察してやれ」
正門をくぐり、そのまま校舎へと向かう。
案の定というべきか、玄関内は野郎どもが放つ
靴箱を開けるときに必ずワンテンポをおく男。
何もなかったにも関わらず、一旦閉じてもう一度開け……を繰り返す男。
ちょっと女子に挨拶されただけなのに「えっ! なに!?」と声を裏返す男。
落ち着きがなく不自然に周囲の様子を伺い出す男。
そして何も起こらないことを薄々悟り始める男。
しかし『俺たちの
様々な人種が存在したが、そのどれもが極めて異質である。この空間を支配しているものは、まさしく狂気に他ならないのだ。
「辰兵衛さぁん! 此処なんか怖いです……!」
「気にするな。ただ今日はちょっとだけ、友情という言葉が消える日だってだけだ。僕はいつも通り過ごすけど」
言いつつも革靴を脱いで、自分の靴箱の前へと立つ。
そう、平常心だ。
ワンテンポなんておかず、いつも通りにすんなりと開けてしまうんだ。
決して期待などするな。
どうせ何も入っていないことは明白なのだから。
あくまで何気なく開けるのだ。
いつも通りに……いや待て、少し緊張するな。
まずい、必要以上に指先へと力が入ってしまっている。
これではまるで僕が期待しているみたいじゃないか。
落ち着け……僕は決して、断じて期待などしていないぞ。
下駄箱如き、無心で開けることが可能なはずだ。
よし、三つ数えたら開けるとしよう。
三になったら躊躇なく開け放つのだ。
いくぞ。いち、にの、さん……ッ!
「あれっ、何か包みが入ってますね。よかったじゃないですか、辰兵衛さん!」
「なん……だと……」
ゆっくりと開かれた無機質な靴箱。
中には綺麗に揃えられた僕の上履き。
そしてその上に、小洒落たラッピングの施された小さな箱が添えられていた。
♂ ♀ ♂
「おはよー立梨くん、ラビ……って、シェェェェェェェェェェェッ!!?」
白恋は教室に入ってくるなり、開口一番に昭和のギャグ漫画みたいなポーズを取りながら絶叫した。彼女の視線の先にあるのは、僕の机の上に置かれた例のブツだ。
「朝っぱらからさっそく一つ目をゲッチュするとは、立梨くんも隅に置けませんなぁーっ!」
「あ、ああ……僕もこういうのは初めてなんで驚いてる……」
意中の相手である白恋にそう言われるのは正直複雑なところではあったが、困惑しているのは本当である。
「それで相手は誰なの? もしかしてダンテくん!?」
「なんで男から貰った前提なんだ……!? それにダンテはまだ来てないぞ」
どちらかというと、まだ教室に辿り着けていないといったほうが適切だろうか。
ダンテはその類い稀なルックスと誠実な人柄から、異性たちの間では冗談みたいにモテる。長身で外国人のハーフともなればそれだけでもモテそうではあるのだが、彼の場合はそれを全く鼻にかけないのが却って好印象となっているのだ。
普段滅多に人を褒めることがない僕ですら、ダンテの性格は素直に好きだと言うことができるくらいだ。
そんな彼のことである。きっと教室に向かうまでの間、大勢の女子生徒からの足止めを食らっているに違いない。普段のダンテであれば、今頃は既に自分の席へと到着しているはずであるからだ。
「そっかぁ、ダンテくんじゃないなら誰なんだろ……?」
「わたしも気になりますよ、辰兵衛さん! 勿体振らずに中を覗いて、贈り主を確認してみましょうよぉ!」
「わ、わかったよ。じゃあ、開けるぞ……」
高鳴る心臓の鼓動をどうにか抑えつつ、箱を覆ったピンク色のリボンを解く。
次いで箱の蓋を取ると、そこには手作りらしきブロック状の生チョコと、ハート型のシールで閉じられた小さな手紙が内包されていた。
手紙を手に取り、そこに丸みのあるアルファベットで記されていた名前を読む。
「“narumi♡”……ナルミさん? 知らない人だ……」
「うそっ、あの
「……さっきからそのリアクション好きだな」
「いやはや、“さん”だけ知っててもにわか止まりかなと思って、昨日“くん”の方をイッキ見してて……そんなことよりも鳴海先輩の手作りだよ! 立梨くん!」
「多分会ったことすらないんだが……、白恋はこの人のこと知ってるのか?」
「知ってるもなにも、うちの学校のアイドル的存在と言ってもいいマドンナだよ!」
自分は図書委員の所属なので、それ以外の先輩とは面識が殆どない。さらに言えば委員の先輩とも特に深い交流があるわけでもないし、少なくともその中に鳴海という名前の生徒はいなかったはずだ。
だが白恋の言い分だと、どうやら校内で知らない者などいない……むしろ知っていない僕のほうがおかしいくらいの人物らしい。
「2年A組の鳴海先輩。いかにも女の子っぽい可愛らしい容姿と分け隔てない中性的な性格から、男子からは“天使”、女子からは“王子サマ”と呼ばれている先輩だよ! これは私調べだけど、おそらくこの学校では一番綺麗な人なんじゃないかなぁ……」
「そんなに有名なのか……文化祭のミスコンとかに出てたっけか?」
「ううん、ミスコンには出場してないよ」
「……?」
何となく歯切れが悪い白恋の言葉に引っかかりを覚える。
全校生徒からこれだけ賞賛を浴びているにも関わらず、校内一の美少女を決めるミス・コンテストに出ていないというのはどういうことだろうか。
「というよりも、出れないんだよ。ミスコンは女子生徒しか参加できない決まりがあるからねー」
「ま、待て白恋。鳴海先輩……という人は、誰もが認める美少女のはずだろう? 参加できないなんてことがあるはず……」
「はえ? あっ、そういうことか! でも仕方ないよねー、私も初見だと超絶お姫様じゃんって思っちゃったもん〜」
僕を差し置いてひとり合点がいっている様子の白恋。
何やら嫌な予感がする。そう思った僕は、咄嗟に手紙の中を読んだ。
「鳴海先輩は、誰もが美少女と認める男の娘だよ♪」
綴られた文章の末尾。
そこには漢字でハッキリ、
「……って、もしかしてコレ、“ナル×タテ”っていう新境地の開拓じゃない!? その発想はなかった……けど、やっぱりホモじゃないか……! ふっふふふふ……シェェェェェェェェェェェッ!!」
「っ! 大変です、辰兵衛さん! 弥生がチョコを食べたわけでもないのに鼻血を吹き出して倒れましたぁ〜っ!?」
色んな意味で、衝撃的なバレンタインデーが幕を開けた。
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