六発目『ヤオイアングラー』

「あっ、立梨たてなしくーん!」


 下駄箱の前で上履きへと履き替えていたその時、真横から飴玉を転がした甘ったるい声が聞こえてきた。振り向くと、セーラー服の少女がこちらに手を振りながら駆けてくるのが見える。


「おはよっ。ふふ、L◯NEでは話してたけど、何だか久しぶりだねぇ」

「あ、ああ……おはよう」


 何やら嬉しそうに笑うその女子生徒を見て、僕はつい気恥ずかしさでそっぽを向いてしまった。多分、顔も少し赤くなっているかもしれない。


 彼女の名前は白恋しらこい弥生やよい。僕とは中学校以来の知り合いで、今は高校のクラスメイトとして共に図書委員をしている。

 シルクのように繊細な銀色のショートボブは煌びやかで美しく、額には民族衣装っぽい柄のヘアバンドを着けている。昼下がりの図書室で古本を読んでいるのが似合いそうな、そんなお淑やかな雰囲気を漂わせる少女だった。

 ……ちなみに、彼女の銀髪は染色したわけではなくあくまで地毛である。この世界には緑髪やピンク髪などやたらカラフルな髪色の人間がごまんと居るので、そこはいちいちツッコまないでいただけるとありがたい。


「白恋。その、1週間も休んですまなかった。借りはちゃんと返すよ」

「いいよぉ、こっちは借りだなんて全然思ってないし! 立梨くんはそういうの気にし過ぎだよー」


 横並びで教室へと向かいながら、他愛もない会話が続く。白恋の振ってくる話題を落ち着いて対処していく僕だったが、内心は全然穏やかではいられなかった。

 仕方ないだろう。僕は彼女に、中学の頃からずっと片想いを続けているのだから。


 彼女を最初に意識しはじめたのは、放課後の図書室で話しかけられたことがきっかけだ。当時も図書委員を務めていた彼女は、図書室の常連だった僕のことが気になっていたらしい。

 それからは志望校が同じだったこともあり会話の機会が増え、気がつけば僕は彼女のことを想うようになっていた。


「──ねえ、聞いてるの? 立梨くん」


 こちらの顔を不思議そうに覗き込んでくる白恋を前にして、僕の意識はすぐさま現実へと引き戻される。心臓が張り裂けるかと思った。廊下の窓から差し込む朝日に照らされる彼女は、まるで白銀の天使そのものである。


「す、すまん。ちょっとボーッとしてた。で、何の話だっけ?」

「もうっ、テニ◯リの再放送の話をしてたんだよー」

「アレか、懐かしいなぁ……」

「だよねだよね! 懐かしいよねぇ!」


 どうやら白恋は小説に限らず、アニメや漫画など物語であれば媒体を問わず好きらしい。そういったサブカル方面の知識にはやや疎い僕ではあるが、某少年誌で連載されていたテニス漫画くらいなら流石に知っている。白恋もそれを察してくれているのか、僕の知識レベルに合わせて話題を振っているようだ。


「いやぁ、昔に夢小説を書いてたのを思い出すよねぇー」

「しょ、小説……? まあ、白恋の読書量なら凄いのが書けそうだな」

「ウンウン、スッゴいやつだよぉー」


 『ふふふん♪』と白恋が笑う。彼女が何を言っているのか少しばかりよくわからない部分もあったが、まあ本人は満足している様子なので良しとしよう。


「美技に酔っちゃうよねぇ……っと」


 そうしている間にも、僕と白恋は自分達の教室前に到着していた。白恋が僕の前へと出て、横開きのドアを開ける。一瞬、ふわっと甘く澄んだ香りが鼻腔をつつき、僕は少しだけ動揺してしまった。


 手を伸ばせば、届きそうなほどの距離。

 こんなにも距離は近いのに、この想いが届くことはない。

 脈などないのだということは、とっくにわかっていた。


「あっ、ダンテくん! おはよー!」


 白恋はドアを潜ると、既に教室内にいたある人物に元気よく挨拶をする。

 僕も続いて教室に入ると、早朝であるにもかかわらずクラスメイトが一人登校していた。


 学ランに身を包むその人物は、浅黒い肌を持つ長身の男子生徒。

 日本人離れした顔付きは彫りが深く、男の僕から見ても“モデル顔負けの美形”だ。オールバックの長い黒髪を後ろで一つに結び、その風貌はまるで異国の王子様のようだった。

 このクラスメイトの名は中田なかだダンテ。日本人と外国人の両親を持つハーフであり、いわゆる帰国子女である。


「ハァイ、ヤヨイ。ソレにタツベエも」


 ややカタコトっぽいダンテからの挨拶が飛んでくる。彼が日本へと帰国してきたのはほんの数ヶ月前の出来事であり、そのためやや日本語が不自由であった。これでもかなり上達した方で、難しい言葉やスラング等はともかく、日常会話くらいならこなすことが出来る。


「おはよう、ダンテ。今朝は早いんだな」

「ふふふん♪ 実はね、私が呼んだんだぁ!」


 白恋が嬉しそうにダンテの肩をポンと叩く。心なしか、教室に入ってからの彼女はどこか活き活きとしているようにみえた。


「そうなんデース。ワタシ、ヤヨイのお手伝いに来ましたでゴザマース。ハァイ」

「マジか……。ごめんな、ダンテは図書委員じゃないのに」

「イエイエ。いつもワタシ、ヤヨイやタツベエのお世話にナッテルネ。だからワタシも“お世話返し”がシタァイ」

「そこは“恩返し”が正しいぞ」

「オーウ、コレは失敬。ヤッパリタツベエは優しいネー。大好きヨー」


 このように、ダンテが間違った日本語を使った時には必ず指摘するよう彼自身から頼まれている。何事も真摯に受け止める彼の素直さは、僕も少なからず好感を持っていた。


「ふふっ、とりあえず座ろっか」


 白恋がそう促し、僕とダンテ含む三人はそれぞれ自分の席へと向かう。奇跡的なことに、僕たち三人の座席の位置関係はたった一席分の近さだった。より具体的には、僕が窓際の一番後ろの席で、目の前にはダンテ、右斜めには白恋が座っている。

 三人で椅子と机を持ち寄り、繋げて作業スペースを確保する。


「さてさて、朝のホームルームまでに出来るところまで片付けちゃおっか!」


 そう切り出した白恋が、机の上にA3くらいの大きさのプリントをドンッと置いた。


「じゃーん、読書新聞! 今月はB組わたしたちの番だってさ」


 読書新聞。全校生徒に向けて本のあらすじや感想などを紹介するという、小学校や中学校などではよくある配布物のことだ。

 うちの高校でも習慣化されており、図書委員がクラス毎に月一で交代しながら作成を担当することになっている。


「高校生にもなって読書新聞だからなぁ……。配られても誰も読んでないよな、コレ」

「まあまあ、立梨くん。若者の活字離れという重大な社会問題に対して、学校や教育委員会はこういう形で答えを出すことしかできなかったんだよ」

「社会問題とか絡んでたのか、コレ……!?」

「◯ーレがN◯RVへの返答として量産型を送り込んだようなものだね!」

「それはだいぶ遠いんじゃないか……?」


 そんなこんなで僕と白恋とダンテの三人は、雑談を交えつつ読書新聞の作成を開始することにした。各項目を分担しつつ、効率的に作業を進めていく。


 途中、ふと気になって僕は白恋のほうを盗み見た。やはりと言うべきか、彼女は真面目に手を動かしているダンテを見て満面の笑みを浮かべている。

 先ほど僕が『脈なし』と言った理由が、まさにこれである。

 白恋は初めから、に興味などないのだ。


「……? ヤヨイ、何故さっきからワタシのほうをチラチラ見てくるのデス?」


 流石のダンテも先ほどから白恋の視線が気になっていたらしい。

 訊ねられた白恋は両腕で頬杖をつくと、まるで子供に絵本を読み聞かせするように語り出す。


「ふふふ♪ それはもちろん、ダンテくんがまるでおとぎ話の王子様みたいにカッコいいからだよぉ」

「ワタシが、オジ様……?」

「オジさんじゃなくて王子様ね! おじ様も大好きだけどぉ……」




「それでねっ。ダンテくんが王子様なら、立梨くんは王子に忠誠を誓う若き騎士ナイトなの!」

「オージ……ナイト……? どーいうコト……?」


 白恋の言っている日本語ことばが殆ど理解できていないのか、ダンテがこちらにヘルプを求めてくる。大丈夫、日本人の僕も全然追いつけてないから。

 段々と妙なテンションになってきた白恋は、ブレーキを踏むことも忘れてどんどんヒートアップしていく。


「それでねそれでねっ、王子の部屋に招かれた騎士たてなしくんが『いけません、私と王子とでは身分にあまりにも違いが……!』って言うの! そしたら王子ダンテくんが『馬ッ鹿、そんなの気にするんじゃねえよ。オレに全てを委ねろ……』って耳元で囁くの! それで騎士たてなしくんは言われるがままに身も心も許して、甘い愛に溶けあっちゃって……ああっ! ヤックデカルチャぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」


 バサッ! と、まるで天井を仰ぐように白恋が両手を広げて勢いよく立ち上がった。その表情は、まるでこの上ない幸福を味わっているかのようにうっとりしている。


「お……落ち着け、白恋。とりあえず座ろう、なっ?」

「はぁ……はぁ……、ふぅ……ありがと、立梨くん」


 相変わらず余韻に浸っている白恋は、椅子に座ってもまだ頬を緩ませていた。その両眼は、僕とダンテの二人を捉えている。


「ところで、二人はどこまで進展したの? もちろんキスくらいはもうしてるよねっ!」


 『腐腐腐ふふふん♪』と白恋が怪しげに笑う。

 これでわかっただろう。もとより脈なんてはじめからないんだ。


 僕の憧れる白恋弥生やよいという少女は、男性同士の恋愛をこよなく愛する純情な乙女なのだ。

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