四発目『アレ勃ちぬ』

「い、陰茎折症いんけいせっしょう……!?」

「だそうだ」


 僕からの説明を受けるなり、ラビはまるで自分のことのように驚いてみせた。


 二日前、ラビに性交渉を迫られて思わず逃げ出してしまった僕こと立梨辰兵衛は、ローションに足を滑らせて盛大に転んでしまった。その際に陰茎海綿体を包む白膜が裂傷してしまい、陰茎折症──よりかいつまんで言うならば、『ムスコが折れた』状態になってしまったのである。

 発症後、すぐに僕は救急車で病院へと搬送され、緊急の外科手術を施された。そして何とか一命を取り留めた僕は1週間ほど検査入院をすることになり、こうして面会を許可されるくらいには回復した……というわけだ。


「そ、それで……男性機能のほうは大丈夫なんですか……!?」

「どストレートで聞くね」


 そこはもう少しオブラートに包むべきだろう。

 とはいえ、ラビはそもそも僕の遺伝子情報を入手するべく22世紀の未来からやってきたエージェントである。使命を背負っている彼女としては、気になってしまうのも仕方ないだろう。


「……医師曰く、もう少し搬送が遅ければかなり危なかった状態らしい。早急に対応ができたおかげで、何とか大事には至らなかったとのことだ。排泄も問題ない」

「! ということは無事なんですね!?」

「いや、それでも完全に元どおりとまではいかなかったらしい。どうやら僕には、後遺症が残ってしまったみたいなんだ」


 正直なところ、自分でも未だに実感は湧いていない。しかし、現に診断結果は突きつけられてしまっているのだ。その忌々しい四字熟語を、僕は一文字ずつ神妙に紡いだ。


、つまるところEDだ。ともあれこうなってしまった以上、僕のはもう勃つことができないらしい」


 自嘲気味に薄く笑う。このように笑ってみせたのは、ラビの心配を少しでも和らげたいという、僕なりの気遣いだった。

 しかし、気を遣われた当の本人はというと、


「ぼっ、ぼぼぼぼぼぼっきききききふふふふふふふふぜぜぜぜぜぜんんんん……!?!」

「バグった!?」


 メッチャ動揺していた。顔は完全に青ざめており、まるで少女漫画の如く白目を剥いていらっしゃった。


「全っ然、大丈夫じゃないじゃあないですかぁーっ!! インポテンツですよ、インポ野郎ですよ!? この先どうするんですか!!」

「おっと、それ以上男の自信を粉々に打ち砕いてしまうような発言はやめて差し上げろ」


 ラビは血相を変えてこちらの肩を掴み、ブンブンと乱暴に振り回す。こいつはいちいちリアクションが大袈裟というか、アンドロイドという事もあってかパワー調整を間違えている気がする。そのせいで僕は安静にもできないし、何よりうるさい。いっそここでナースコールでも押してしまおうか。


「うう……辰兵衛さんが不能になってしまわれたら、わたしは一生未来に帰れないじゃないですかぁ……」

「やっぱり、ミッションを遂行しないと元の時代には帰れないのか」

「そうなんですよぉ……。ふえ~ん」


 ラビのあからさまな嘘泣きはともかくとして、僕の男性機能が失われたということは、性交渉が出来なくなってしまったということと同意義である。つまり、ラビのミッションは思わぬ形で失敗に終わってしまったのだ。


「そうかそうか、それは残念だったな。まあ、元はと言えば自分でいた種って事でここはひとつ」

「タネすらも蒔けなくなった人に言われたくないですぅー」

「お、お前……」


 言わせておけばこのクソアマ……。どちらかといえばこちらの方が被害者なのだと思うのだが。そりゃ、突然逃げ出してしまった僕の方にも少しは非があったかもしれないけど。それにしてもこの仕打ちはあんまりな気がする。

 というかお前、そこまでショック受けてないだろ。意外とシレッとしてるだろ。


「それで、治る見込みはあるんでしょうか……?」

「いや、それは今のところ判断できないらしい。もしかしたら、一生勃たなくなったままかも…」

「そんな……じゃあ名前通り“てなし”さんに……」


 あんまり上手くないよ?


「というか、なんで辰兵衛さんはそんなに冷静なんですか! 終わりのない賢者タイムみたいになってますよ今! なんか目も虚ろですし……!」

「ああ、まるで全ての煩悩を完全に捨て去ったかのような清々しい気分なんだ。今の僕ならば迷妄に捉われることなく、一切の事象を平等に正しく観ずることができるだろう……」

「なんか悟り開いちゃってるぅ!? 戻ってきてください辰兵衛さぁん!」


 ラビに体を強く揺さぶられ、かろうじて精神と肉体を繋ぎ止めることに成功する。

 彼女も表面上では平静を装っているものの、やはり少なからずショックを受けている様子だった。その一見すると明るい笑顔は、どこか暗い影を感じさせる。

 ラビもきっとそれを悟られぬように元気よく振舞っているのだろうと、僕は薄々ながら勘付いた。


「だ、大丈夫ですよ、きっと! 今はコモ◯ーでも、そのうち大きなボー◯ンダに戻りますよ! タツベ◯さん!」


 ……ちょっと無神経過ぎる気もするが。慰めるにしても、もっと言い方があるだろう。あとできればにも気を配ってくれ。


「っていうか、未来から来たくせにポ◯モンは知ってるんだな」

「もちろんです! この時代に順応するため、文化や流行モノなどあらゆる知識があらかじめインストールされていますので!」


 ああ、だから『てへぺろ☆』なんてひと昔前に流行ったギャグを使ってきたのか。……って、さっそく流行のリサーチ失敗してるじゃねえか。

 ついでにポ◯モンのナンバリングがどこまで続いているかも聞きたいところではあったが、それよりも先にハッキリさせなければいけないことを問い質す。


「それで、お前はこれからどうするんだ。僕が不能になってしまった以上、ミッションは失敗してしまったも同然。この時代に長居していてもあまり意味はないと思うが……」


 あまりにも残酷なことを言っていると自分でも思う。

 僕はラビに、“人類の生死をかけた重大な使命ミッション”の失敗を受け容れろと言っているのだ。それはつまり、恐らく何十何百億人はいるであろう未来の人々を見殺しにするということである。とてもひと一人が背負える責任ではない。

 そして、結果的にとはいえ僕とラビはその責任を背負うハメになってしまったのだ。これからの余生は、きっと罪と後悔の念に苛まれながら歩んでいくこととなるだろう。今の勃起不全という状態も、その代償と思えば不思議と受け容れることができた。




「……きらめません」


 しかし、ラビは決して受け容れることを良しとしなかった。

 その絞り出されたかのような声音は震えていたが、同時に芯の強さを感じさせるものだった。



「あきらめません! わたしは……わたしは……、辰兵衛さんを奮いたせてみせます……っ!!」



 彼女のショッキングピンクをした瞳には、強い意志が宿っていた。それは執念にも似た、命を賭けたものだけが放つことのできる炎の輝きだ。

 まるで過酷な運命を乗り越えて来た歴戦の戦士を彷彿とさせるようなプレッシャーが、僕を圧倒していた。


「……そうか。だけど、今の僕を立ち直せるのに生半可な手は多分通用しないぞ。この通り、根っ子から折れてしまっているからな」

「その点はご安心ください! こう見えてもわたし、勃たせるのは得意中の得意ですので! それこそ前世の古代エジプトでは“前☆戯☆王”と呼ばれていたくらいで」


 見え透いた嘘はともかくとして、気付けば僕の傷心も少しだけ癒えたような気がした。彼女の暑苦しいまでの振る舞いが、奇跡的にも冷め切っていた僕に温度を与えたのだ。

 どうやらこれからの生活は、穏やかじゃない日々が続きそうだ。


 かくして、僕とラビの戦いは、絶望と希望のスタートから始まった。











「ぐへへ、合意が取れたということでさっそくズボンを降ろし……ちょ、辰兵衛さん待って! おもむろにナースコール呼ぼうとしないでぇ!!」


 とりあえず絶対安静にはさせて欲しいものだ。あと病院ではお静かに。

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