三発目『逃げるは恥だし役立たず』

【前回までのうらすじ】

 平凡な高校生・立梨たてなし辰兵衛たつべえの家に突如として押しかけてきたバニーガール姿の少女・ラビ。

 彼女は自分が22世紀の未来からやってきたセクサロイドだと名乗り、辰兵衛の遺伝子情報を持ち帰らなければ、人類は滅んでしまうというのだった。


♀ ♂ ♀


「人類が絶滅だなんて……どういう意味だよ、それ……」

「言葉通りの意味ですよ。22世紀の未来観測機は、“ある因子”がなければ人類がこのまま滅んでしまうことを予期してしまったのです」

「その、ある因子っていうのは……」

「はい。“立梨たてなし因子”です」


 自分の苗字が入った固有名詞を聞いて、僕は思わず戦慄を覚える。


「ごめん、全然わからない。大体、僕は平々凡々な普通の男子高校生だぞ? 天才的な偉人とかならともかく、僕の遺伝子如きでそんな未来が覆せるとは到底思えない……」

「それがそうでもないんです。時の因果性というとは、あまりにも複雑かつ単純なものなんですよ。何気ないコイントスが、大きく歴史を変えてしまうことだってあるんです」


 『そして』と、ラビはこちらに詰め寄ってくると、大げさに僕の手を両手で握ってくる。彼女のどこまでも真摯な眼差しが、僕の視線と交差した。


「入念な調査を重ねた結果、あなたの遺伝子情報一つで未来を変えられるかもしれない……ということが判明したのです」

「それが、お前のミッション……」

「はい。これは言うなれば、人類の生死せいしをかけた最重要ミッションなのです」


 それが、ラビの使命。

 性交渉用アンドロイド──セクサロイドとして人為的な生を受けた彼女の、与えられた存在意義であった。


「えへへ……ちょっと空気が重苦しくなっちゃいましたね。これは失敬」


 そう言ってラビは笑ってみせる。彼女の笑顔はどこか力無く、覇気がないように感じられた。

 無理もない。彼女はそれだけ重いものを背負っているのだ。アンドロイドとはいえ『人類の生死』など、ひと一人が背負えるほどの大きさじゃない。


「さて、話も済んだ事ですし。今は何もかもスッキリしっぽり全部忘れちゃいましょう!」


 今度こそ明るい笑顔を取り戻し、ラビはおもむろに服を脱ぎ始めようとする。たわわに実った胸を覆う布がはだけ、奥に隠されていたものが露わに──。


「ちょっ、まままま待て……! 幾ら何でも急過ぎるだろ! そういうのはもっと段階を踏んでから……!」

「あれ、もしかして辰兵衛さんも初めてですか? 安心してください。わたしも新品しょじょ故に経験はありませんが、リードできるだけの知識はあらかじめインストールしておりますので!」

「そういうことを言ってるんじゃない! あとなにその斬新なルビ振り初めて見た! ……って、ストップ! 勝手に進めようとするな!」


 こうしている間にも、ラビの手は既に僕の下腹部にまで伸びていた。チャックを降ろされ、凄まじい速度で脈を打つ第二の心臓が露わとなってしまう。突如として股間を覆うが差し込んで来たりもしたが、いちいち突っ込んでいる場合ではない。


「ふふっ。カラダは正直ですね」

「み、見るなぁ……!」

「あっ、隠さなくたって大丈夫ですよ! それに辰兵衛さんの、凄く……ご立……」

「言うな、はしたない!」


 自分を求めてくるラビの魔の手を振りほどいて、壁際まで後退る。しかし、彼女の淫靡な誘惑は止まることを知らない。


「私とて未来の最新技術を惜しみなく使われたセクサロイドの端くれですし、こう見えても優れものなんですよぉ。ほら、このように掌からローションを発射することもできますし、前戯をする必要もありません!」

「そんなアイ◯ンマンのリパルサーみたいなの出されても! 未来の技術も案外ショボいな!?」

「もう、あんまり焦らさないでくださいよぉ……」


 業を煮やしたように、あるいは僕をどこか遠い世界に導くかのように、ラビは部屋床のカーペットに座り込む。肉付きの良い彼女の両脚が広げられ、これまで太ももに隠されていた部分が姿を現した。露わになった漆黒の布には、淫猥な染みができてしまっている。

 ともすればカエルのようにだらしなくも見えるその姿勢は、かえって煩悩を強く刺激した。脳髄から溢れ出した甘い毒が、全身をゆっくりと着実に支配してゆく。


 駄目だ。

 こんなのは駄目だ。


「お願いです。お願いだから……」


 こんな形で、僕の純潔を失いたくはない。


「はやく来て……辰兵衛さぁん……♡」


 何より僕には、好きな人がいるのに……!










 今思えば、それは僕らしくない決断だったと思う。


 『未来を変えるために性交渉が必要だ』というラビの主張はあくまでも合理的で、多少の胡散臭さはあるものの筋が通っているものだ。


 ここで行為に及んでしまうのは決して劣情ではない。むしろ、未来を救う為の英雄的な行いとして讃えられるものでさえあるだろう。

 しかし、突然の事態に困惑しきっていた僕は、あろうことか自分の情に流されてしまったのだ。



 『性交渉はもっと清く尊くあるべきもの』という童貞を拗らせたような幻想から、不覚にも目を背くことが出来なかったのだ。




「う、うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「ちょっ、辰兵衛さん!?」


 ズボンのチャックが開けっ放しになっているのも忘れて、僕はその場から逃げ去ろうとした。

 予期せぬ事態に、ラビも呆然と座り尽くしていることだろう。それでも僕は、決して振り返ることなく自室のドアへと走った。

 その時だった。


「えっ」

「あっ」


 先ほどラビが掌から放ったローションが、床で水たまりとなっていたのだ。そんなこともすっかりと忘却の彼方だった僕は、正月のバラエティ特番の如く、勢いよく足を踏み入れてしまう。

 世界が一気にスローモーションへと変わっていく。相当なスピードで池に突っ込んでしまったのか、バランスを崩した僕の体は盛大に宙を舞った。秒針が時を刻むのと同時に、眼前に迫るフローリングとの距離がどんどん狭まってゆく。

 このままでは、仰向けの状態のまま床と激突してしまう。そして、こんな状況だというのにも関わらず──あるいはこんな状況だからか──下半身にそびえ立つ息子は依然として元気だった。


(これは、やば──)


 刹那、と共に、僕の意識はそこで途切れる。



 この日、この時、としての立梨たてなし辰兵衛たつべえは死んだ。

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