第24話『水平石3』

「橋が閉鎖される?」


 翌朝、階下から戻ったクライフからそう聞かされたタリムは「やられたな」と膝を打つ。橋が封鎖されたということは、出るも入るも叶わなくなるということだ。封鎖を担当するのは、要所水平石の警備を任される武人たちだろう。


「馬は休めてあります。準備も整っていますが――」

「クライフ、どう見る?」

「仕掛けてくるとは思いましたが、封鎖まで目論むとは思いませんでした。道中道すがらではなく、この水平石で仕掛けてくるための布石でしょう」

「強行に街を出ようとすれば揉める。さて、どうしたものかな」

「誘いをかけるほかありません。動け、探せとあちらが誘うなら、その間合いの手前まで迫り、相手に次の手を打たせた隙を狙うのが定石かと」

「あちらもそう思うだろうな」

「そのとおりです」


 出たとこ勝負ではないかと苦笑する殿下に、剣士は「備わったものが反応するまま対応します」と、こちらも苦笑いだ。死への恐怖は薄い。


「ともあれ、何が原因でこうなったのか。昨夜のことも含め情報を集めてきます」

「どこへ赴くつもりだ?」

「こういうときは、腕っ節の強い奴らが集まるところと、商売人が集まるところを攻めます。――まずは」


 クライフは少し考えると豪猪の顔を思い浮かべる。


「商隊護衛の傭兵が集まってそうな、昼から飲める大きめの酒場でクダでも巻いてきますよ」

「呑むのか?」

「呑みませんよ。ただ、愚痴のふたつやみっつは零しそうな不満顔になる練習くらいはしておきます」

「お前あまり表情変わらないものなあ」

「面白味のない奴とはよく言われます」


 そこで会話を切り上げ、剣士は落葉を確かめるよう腰に指し直し、腰の後ろには短刀を備え、懐に軽く金員を追加しながらタリムに目礼し部屋を後にする。二階の中程の部屋だ。角部屋は狐白と夕闇、クライフとタリムの部屋を挟んだ隣が豪猪とその息子ハルトの部屋だ。

 軽く気配を探るが、豪猪はもうすでに出たあとだろう。彼がいないときは角部屋にハルトがお邪魔して守られることになる。おそらくタリムもすぐにそちらに移動するだろう。それだけ大きい角部屋をとりなおしたのだ。

 階下に降りると宿の主人に挨拶をし、滞在が延びそうなことを伝える。するとすぐに察したように「出られないらしいね」と商売っ気にあふれた相槌を打ってきたので、商隊護衛の傭兵が集まりそうな場所を聞いてみると、すぐに教えてもらえた。やはり南北の平石に偏っているらしい。

 バードルに往くもの、シャールに向かうもの。

 さてどちらに狙いをつけるかと軽く考え、シャールに向かうもの立ちが集う方へと向かう。形だけとはいえ戦時中の国境付近に向かう者たちの集まりでもあるし、クライフたちの向かう先でもある。誘いをかけるならこちらだろう。


「柄の悪いのがいっぱいいるから気をつけなよ」

「幸か不幸か、案外慣れてます」


 主人にそういって片手あげて縦横に走る目抜き通りに出ると、南へと歩き出す。川面に浮かぶ五つの平石はそれぞれ十分も歩けば端から端だった。南端の平石に渡る橋にさしかかると、ふと足を止める。

 衛兵らしき者が五人立っている。封鎖しているわけではなさそうだが目を光らせており、すぐ側には仮小屋が建てられており、中に交代要員がいるのが伺える。つまり、四六時中の立哨が命ぜられたのは言うを待たない。

 クライフはふむと訝しみながらも石橋に上がる。ゆったりとした川の流れだが、巡回する衛兵はしきりにその下を見ている様子だった。

 ――川面? いや、川底に何かあるのか?

 顔に出さず渡りきると、果たして対岸にも同じような立哨と仮小屋を認める。


「やっぱり出られないのかい?」

「賊が捕まるまでの辛抱だ」


 と、立哨する衛兵に訪ねるクライフだが、返ってきた答えはひどく単純なものだった。バードル武門の者でない故、詳しく問うのは叶わない。いまのクライフは素性不確かな、シャールから流れてきた傭兵崩れにしか見えないのだ。

 ――賊か。

 果たしてそれが番外であるかはわからない。しかし、そう考えて動かざるを得ない。さて、どの程度の情報が聞き出せるやら。そう思いつつ、主人から聞いたあたりの街区へと足を向ける。どの街も人の居心地から作られるのだとしたら、気配というか匂いというものは似通うのだろうか。すぐにそこだとわかる一画に出る。

 街並みだけではない。そこに行き交う人間もまた、変わる。客層といえば客層なのだろうが、腰に武器を差すものが増えてきた。クライフのなりも自然、溶け込む。


「居心地がいいと感じるのは、やはりそうなんだろうか」


 安心といってもいいのだろう。

 それでも聞き耳を立てるように歩くと、すぐに興味深い情報が聞こえてくる。

 曰く、金品を奪う人殺しが潜伏している。

 曰く、生皮を剥がれた死体。

 曰く、生皮を剥がれた息のある犠牲者。

 曰く、死んだ人間が歩いているのを見た。

 軽く回っただけでも聞こえてくる情報は多い。外へ出るための橋の閉鎖に関する情報こそ少ないものの、思い当たることはある。推測の域を出ることはないが、情報がためのために、まずは腰を落ち着けるかと通りを引き返すように値踏みに走る。

 客の呼び込みはない。夜になれば別なのだろうが、傭兵たちにも常連の店があるのだろう。さてどこに入るかと思案していると、懐かしい香りに気がつく。


「これは――」


 ガランでよく食べていた塩焼き魚の香りだ。港町のものとは違いこのあたりは川魚だろうが、脂と皮の焦げる香りは興味を引く。朝食がてら赴くのもいいだろうかと、鼻を頼りに店を探すと、果たして通りの半ばにそれはあった。


「珠龍亭――か」


 看板の文字を読みながら、クライフは木戸をくぐる。


「いらっしゃ――い」

「準備中でしたか?」

「いや、大丈夫よ。ちょうどみんな出払ったところでね」


 酒場の給仕がクライフの来訪に一瞬目を丸くするが、すぐににんまりとした値踏みの視線に変わる。珠龍亭の給仕、すなわち彼女は赤獅子傭兵団頭目、若き女獅子、アンゼルマ=ヘルマンその人だ。

 噂の『合歓木の剣士』、落葉のクライフがひょっこり自陣に現れたのでさしもの彼女も一瞬肝を冷やしたという案配だった。

 これはこれはとまじまじとクライフを見るが、噂に違わぬ面構え。副長とマルクが語るだけのことはある。すぐに本人とわかった。


「カウンターでいいかしら?」

「ええ」


 と、カウンターに座るクライフだが、彼女の素性については何も知らない。が、一瞬だが右目の奥に馴染み深い温かみが灯ったような気がして、給仕娘の一挙手一投足をそれとなく伺う。そのきっかけがなければ気づけなかっただろう、彼女の手の物々しさに目を留めるに至る。

 水仕事の荒れではない、武器を振るう者の――そんな手の面構えだ。

 この店、当たりか否か。くだを巻こうにも、聞き出す傭兵がいないときた。

 どう転ぶかわからないが、覚悟は決めた。


「朝がまだなんだ。いい香りにつられて入ったけど、ご相伴にあずかれたらなと」

「高いわよ? ふふふ――あとは、お酒飲むの?」

「いや、それは呑みませんが。かわりに、甘めの奴をたのみます」

「はいよ~」


 アンゼルマは厨房に注文を通すと、焼き物のコップと飲み物を満たした壺を彼の前に置く。これがこの国の流儀なのだと知るクライフは、手酌でまずは一口喉を潤す。甘い果実の香りが広がるが濃厚すぎない味わいで、彼の好みによく合うものだった。

 銘柄を覚えておこうかと剣士は思ったが、一息つく頃合いを見計らってアンゼルマがカウンターの向こう側に腰を落ち着けると頬杖つきながら話し相手を求めてくる。


「ヒマしてるの?」

「橋桁の衛兵に街から出るなと言われて、予定がなくなったよ。いつまで足止めだか」

「ああ、それでこっちまで来たのね」

「こっちまで?」

「南を定宿にしてるのは、たいてい商隊の護衛稼業のやつらだし。あなた、ひとりなのかなって。それにその格好、シャールの傭兵崩れ……っぽいけど、なんかちょっと慣れてなさそうだしさ」

「さすがよく見てる」


 苦笑するクライフだが、アンゼルマは「赤獅子の奴らが出払っててよかった」と胸をなで下ろした。赤獅子の連中は水平石の要請で、件の賊を追っている最中だった。少しこの傭兵を試してみたくなったのだ。


「美味しい?」


 アンゼルマの問いは唐突だったが、手酌するクライフは「好みですね」と返す。


「そこに盛ってある果物なんだけど、赤ぁくなるとそういう甘みが出るの。でも、緑のままだと酸味が強いのよ。でも、焼き魚にかけるとすごくいい薬味になるの」

「なるほど?」


 クライフは先を促す。彼女の誘いだと看破したからだ。


「私も朝食だし、あなたもご飯が食べたい。――ここにひとつ小ぶりの実がありまして、一匹に半分くらいが適度な案配なんだけど」


 と、彼女は立ち上がり、腕を伸ばしつまんだそれを肩の高さで止める。ちょうど下には空のボウルが置かれる。


「半分こしましょう。この高さから、卓のボウルに落とすから、落ちてる間にふたつに斬るの。どう? 腕試し。このあたりの傭兵はみんなやってるし。バードル出身者は武器をこんなことに使うなんてしないでしょうが、やってみない? 綺麗にできたら食事代は無料、聞きたい情報も可能な限り教えてあげる」

「抜き打ちでですか?」


 即答だった。

 彼は落葉を遊びで使うことに躊躇わなかった。これは少し意外だった。


「ええ、そうね。ふたつに切れたらあなたの勝ち。当たってすっ飛んでいったら負け。ちゃんとボウルに入れるのよ?」

「承知つかまつった」


 滑らかな立ち上がりかただった。自然に浮き上がるかのように佇立すると、二歩ほど彼は下がり、両手を下げて脱力する。果実ではない。アンゼルマの首が間合いの立ち位置だった。

 ――こいつ。

 試すのがわかっていたからこその仕返し。彼女は胴震いしそうになる。


「じゃあ、いくわよ?」

「――」


 かすかにクライフが頷いた瞬間、ギリギリまで緩めていた指をそっと脱力する。

 緑の果実が重力に引かれたと思った瞬間――。


「あ」


 それは彼女の手のすぐ下でクライフの左手で受け止められていた。

 剣士は腰の短刀を抜き、さくりと綺麗に半分にすると、果実をボウルに優しく置く。


「剣には錆止めの油が引いてあるので。こっちの短刀は水気を拭い、日常使いにしてますから食べ物も汚れません」

「…………」


 確かに、落ちる前にふたつにされた。綺麗に。

 しかも、受け止めたのは意識の外を狙った落下からすぐの場所だった。


「なるほど?」


 戦士の顔でアンゼルマはひとつ頷く。


「だめかな?」

「いいわ。食べながら話しましょう」


 恐る恐るな剣士に呆れ、一本取られた彼女は素直に認めることにした。

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