第23話『水平石2』
骨の痩せこけた風体であっても、身なりこそ正しければ気に留めるものはない。バードル武門の服に腰に長剣を佩いていれば、懐具合によらず誰しも彼を武家とみる。それがバードルだった。
人相書きも出回っていないうえに、彼の素性を知るものはことごとく死んでいる。食い詰めた武家がひょっこりと現れるのはよくあることだった。
東側から入った彼は、夕刻の水平石の街をまず北に歩き、北の端から南へ下るようゆっくりと練り歩く。街のひとつひとつの道を頭に入れるように、しかし視線をさまよわせることなく、ただただ練り歩く。
「人の匂いだ。生活の匂いだ」
長らく感じなかった他人の幸福だった。
このあいだの村はそれを味わう前に空腹を満たし儀式を済ませたのだ。
家族はいいものだ、だからこそたくさん捧げなければならない。
彼の目的はタリム=ハウトの命だ。喰うのもいい。そして護衛は好きにする。
しかし彼らの目的は違う。
狐白が嘯いていた、人が人として強くなる道、そして人が別のものになり強さを手に入れる道。そのどちらでもない、道を外れた純粋な外道として成り果てるのが彼らの目的だった。
骨を含む、蜘蛛、そして妻と息子も、総ては人の道から外れること。故に番外。彼らは導師の実験を引き受けた先代の郷主によって魔道を施された。バードル権力者に向けて腕利きを養成し提供する裏の貌を持つ、その更に裏の貌を持っていた。初めは骨。次にその父である蜘蛛。彼の妻と息子はその世代を重ねる道具として。
「総ては奏者のために」
歌を聞かされたものは、聞くに値するものは、その可能性を埋め込まれる。郷主が引き継いだものとは、その『聞くに値するもの』を作り出すことだった。
歌というものが何かは知らない。それは他の流れからのものだったからだ。歌というものではなかったが、確かにあれは歌だった。はずだ。
番外の壱と名付けられ、郷の教示に従い修練を積み、しかし、ある日突然――本当に外れた。奏者の声が聞こえたのだ。
そして、同時に家族の総てが外れた。
そして、郷の人間を喰った。遣い手たちがまるで相手にならなかった。その際に当時の郷主も喰った。弱かったが、その息子に取り押さえられた。四人は首に燐灰石の枷を着けられ、かくれ郷に送られた。喰った者らの遺体は忌み物として郷を隔てる洞窟に捨て置かれた。
それから早数十年。
骨は骨のまま、蜘蛛は蜘蛛のまま、番外の参と肆である妻と息子も妻と息子のまま。数十年、そのまま。外れていたのだ、道から。
人外外道、彼らの目的はひとつ。この果てに向かい奏者に仕えること。
「女王の剣士」
かつて片目の剣士と対峙したのは蜘蛛のみだった。が、その後を継いだ物がタリムの護衛にいる。果たしてどれほどのものか。
だが導師の指示は絶対だ。
まずはタリム。
次に護衛――女王の剣士。落葉の剣士。かの導師の側近、あちら側へと立った魔女セイリスをも斬り伏せる先代女王の力が宿りし魔剣、落葉の遣い手。
「あの者を倒せば、俺もあっち側に立てるのだろうか」
これは試金石だ。
導師に試されてる実感はある。だからこそ蜘蛛も自分も自由になっていこう過度に人を喰ったのだ。
今は番外。道から外れたが、人から外れるにはまだひとつ、かかる。
「人の生活の臭いだ。……気に食わぬ」
それを心地良さげに思う気持ちある限り、自分は人外にはなり得ない。この匂いを消すには、人が焼けるあの臭いしかない。
だから焼くし、そして喰う。
喰わぬときがあるとすれば――。
「お武家さんよ」
骨を呼び止める声。
路地を練り歩くようにしていた彼は、ようやく頃合いが整ったかと、ひとつ頷く。背中からかけられた声はひとつ、気配はふたつ。ふと顔を上げるまでもなく、前にひとつ。前後を挟まれている。
「何用か」
問うだけ無駄と骨は知っているが、真意はそこにはない。問う間に周囲を伺っている。水平石の町割りは、どの平石も似たようなものだった。繁華街と住居街とそのどちらともつかない街区のみっつが組み合わさっている。治安の悪いところは、どこも似たり寄ったりのものだった。
「賊の類いか」
細くひ弱そうな骨の外見と、武門の姿。金を持っているなら容易く奪えるだろうと踏んだ小悪党。それが三人。彼らは落ち着いている骨を伺うようにヘラヘラと笑っていたが、背後のふたりの首がにやけたまま捻じ折れると、空気は一変する。
背後を見ずに振り抜いた拳が顎から強かに首を打ったのを確認できたかどうか。
ふたりが倒れたとき、すでに骨は目前の男の間合いに入り込んでいた。
短刀を懐に入れたまま抜く暇もなく、その男は骨に見下ろされ、値踏みされる。
「着られそうだな」
いったい何のことを言っているのかわからなかったが、恐喝することも忘れてしまうほどの怖気に震え、名もなき小悪党は正面に立つ骨が肩に手を回したと思った瞬間、命を保ったまま脳を殺された。後頭部に放った親指の打撃が存分に浸透したと確かめると、意識のないその男を暗がりへと運び、死んだふたりは少し離れた川にうち捨てる。
――果たして。
脳を殺された男は復活した。
その足で立ち、体を確かめながらもひとつ頷く。
「
骨は男から剥いだ肉と皮を着ている。文字通り、骨と内臓を除き、男の肉と皮を着たかたちだ。「着られそうだ」という言葉の真意を知るものは、もはやいない。路地の奥でやがて息絶えるであろう生皮を剥がれた男は、武家の衣服を身にまとっている。奪い、入れ替わったのだ。
「やはり脳を壊し生きたまま剥いだ皮は、なじみが違う。死んだ皮でもなく、もがき苦しんだ皮でもなく、脳を壊して剥いだものがいちばん良質だ。馴染む。血のにおいも、少ない。うむ。やがて訪れる死の匂い。素晴らしい」
彼は何事もなかったかのように、水平石の街を歩く。
これがのちに新月の夜まで街を恐怖に落とし込む『水平石の姿奪い』という殺人鬼が生まれた瞬間であることを、まだ誰も知らない。
おかしな様子だと気がついたときには、すでに夕刻にさしかかり炊事の香りが漂う頃合いだった。豪猪とクライフは厩で用事を済ませたあとに部屋に顔を出すと、はたして思案顔のタリムが窓辺で憂鬱そうに腕を組み唸っている。
「街が浮ついている気がする」
「殿下、もしや番外が動いているのでは」
呟くタリムに豪猪が促すと、クライフも「あり得る話だ。――剣は身に帯びていよう」と、落葉の鞘をもういちど腰に差し直す。夕闇はハルトの包帯を替えながらつまらなさそうな顔をしている。
「すみません、お手数をおかけいたします」
その顔を自分のせいだと感じたハルトは思わずそういって身を小さくする。武門の男子が足手まといになって婦女子の世話を受けていると考えれば肩身が狭くなるのもバードルの倣いと考えるなら仕方がない。
気にするなとは気軽にいえるが、要は我慢しろというに等しい。
「ふん」
夕闇はそんなハルトの背中に平手をくれてやると、終わりだとばかりに立ち上がる。
「番外とやらが何人いるかわからないけど、斬ればいいんでしょう? 簡単な話じゃない。生け捕りにする方が難しい敵なんでしょうし」
「カハ。さてどの順番で来るかだが……。おおよそ、目覚めた順だろうて」
番外の情報は少ない。
シャール側であるワタリたちならともかく、バードル側の狐白には窺い知れないことも多いが、予想はつく。
「目覚めた順?」
クライフが問うと視線を合わせた豪猪もひとつ首肯し、狐白に目を向ける。タリムの護衛たる責任を負うのはクライフと豪猪。夕闇の立ち位置は曖昧であったが、まずは敵には回らないものとしてみている構えだ。要するに、期待はすれども当てにはできない戦力なのだろう。
「どのように外したのかわからぬが、おおよそ一体……ひとりずつ心と体を作り変えられる。精神も肉体も淀むように膿み腐るのだ。上手くいったら次は踏襲した後に手を変え品を変える。あとの者のほうが狡猾でできがよいと考えるのが妥当だ。相性はあるだろうが、概ねそんなところだろう」
「つまり、古い順に当ててくると」
ウムと唸りクライフは腕を組む。
「人知を超えた力を持つと予想はできる。しかし、斬れば死ぬのならまだ戦いようはあるさ。……豪猪、どう動く?」
「宿にて迎え撃つのが上策だろうが、こちらから動く必要もあるだろう。狙いは殿下の首と――国璽。おそらくそこは揺るぐまい」
剣士ふたりはタリムを伺うと、少年は「今さら気遣うでない。何も変わってはおらん」と眉根を寄せている。そこが懸念ではないようすだった。
「漆傑衆とやらを生み出す郷の話は知らんが、忍び間者の得意なものはいくつかある。屋敷で戦った者たちはあくまで斬った張ったでクライフに後れを取ったにすぎん。彼奴らの真骨頂は忍ぶことだ。文字通り、潜伏し耐えることに他ならない」
「父上」
そこでハルトが豪猪におずおずと声をかける。手当てをした背中の火傷はまだ痛むのだろう。上を羽織るときに眉をしかめている。
「私は足手まといなのではないでしょうか」
「気にしておるのか」
豪猪は息子の頭を撫でると、この男でもこう笑うのかと思うほど爽やかに破顔した。
「なあに、この父が守る」
「私よりも息子を守れよ、豪猪」
タリムは彼が息子よりも自分を守りかねぬと思い、そう釘を刺す。しかしそれに応えたのは意外なことに夕闇だった。
「この一件、私はここで動かないことにするわ。国璽がどこかに行ったら困るし、この子の心配ばかりして親父が不覚を取っても困りものだからね」
「――小僧の護衛は任せろと言っておるのだよ、こやつは」
「外を歩くのが面倒なだけよ」
なるほど、と狐白もそれ以上は攻め入らない。
「さて。決まったようなものだな。豪猪、あなたはどう動く?」
「北から回ろう。なあに、こういうのも傭兵護衛の鉄則、相手の気になり動く。……しかし、忍びとやらの思考ばかりは見当もつかぬな。武人のそれとは異なるのだろうな」
ならばと、クライフが落葉の鞘に左手を添えポンと叩く。北側は任せてくれという符丁。
「情報収集か。こういうときはシズカとアカネが恋しくなる」
「
「ああ、姫殿下の近衛で、おそらく郷の出の者たちに近しい技術の担い手だ」
――近衛か。
タリムはじめ、夕闇と豪猪は含むように頷く。狐白はいつもの眠そうな顔で、大人の話をおとなしく聞いているハルトの頭を撫でている。
「いいのか? 出るにしてもふたり揃ってここを開けるとなれば、手薄になるぞ?」
狐白の言葉に夕闇はムッとするが、クライフは「いや」とタリムに目を向けて頷き、続ける。
「かの者らが導師の手の者ならば、必ずその行動には奏者の影がちらつきます。単純に殿下の首を狙うなら街中であれ道中であれ隙あらば襲いくるでしょう。しかし、それは薄いと考えます」
「儀式か」
豪猪の呟きにクライフは首肯する。
「魔女セイリスにもいえますが、ただ動くことはしません。必ず、私たちには一件無意味で、しかし彼らに意味のある何かを重ねているはずでしょう」
「慧眼」
狐白はひとつそういうと、ベッドにごろんと横になる。抱えたハルトも一緒だ。
「さてさて、水平石か。狭いようで広い街だが、武人がどこまで忍びに迫れるか高みの見物を決め込もうかの」
結局、手出しはせぬといったようなものであった。
「で、あろうか」
豪猪は苦笑する。
「いずれにせよ、火の粉は払う。業火であろうと切り拓くさ」
右目が疼く。
その瞳は夜景のそこかしこに漂う妖気を看たのか、脳の奥に走る光に眉を顰める。
ああ、いるな。
クライフが確信を持って覚悟したとき、微かな血の香りと生暖かい風が頬を撫でる。窓の格子を閉じ、ひとつ瞑目する。
まぶたの裏にはまだ、敵意とは違う怖気の揺らぎが残っている。
戦うべき相手の異様さに、今更ながらに身震いするのであった。
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