第25話『豪猪と鈍色と 1』
豪猪が向かったのは北の平石だった。
水気の多い空気の中にふと香る木工の気配に、やはり工芸の街なのだという印象を新たにする。北の端には西岸への大きな橋が架けられているが、衛士が数人詰めた小屋と立哨の姿にフムと腕を組む。
「職務中、相済まぬ」
一声かけて豪猪は衛士に声をかける。
「外へは行けぬと伺ったが、何があったのか――」
「賊だ」
彼らの返答は至極事務的なものだった。が、それがかえって有り難かった。豪猪は浪人である身分を伝え、護衛の仕事に差し障りが出るとやや謙りながら食い下がると、衛士もバードルの士分には邪険にできぬのか、衛士のひとりが「殺人者だ。男も女も、皮を剥いで殺す残虐な者だ。被害も多く、一晩に四人に上る」と耳打ちしてくる。相棒の衛士はひとつ沈痛に頷き返す。これ以上は無理ということだろう。
「怪しげなものがいたら、知らせるに留めるとしよう」
余計なことはしないと彼らを安心させ、豪猪は「なるほど、皮を剥ぐ悪鬼か」と眉根を寄せる。情報が欲しいが、正攻法では無理だろう。
さてどうするかと思案したとき、ざぶんと水音がしたと思いきや、川っぺりに手をかけて上半身裸の巨漢が水辺から這い上がってきた。衛士たちが目を向けるもとがめる様子はなく、二言三言言葉を交わすとお互い肩をすくめるようにしてなにやら報告を重ねている様子だった。
巨漢――一見するとシャールの人間のようにも見える。即ち、傭兵崩れか傭兵そのものだろう。
「衛士とシャールの傭兵が何を……?」
一瞬訝しむが、興味の方が先に立った。
ここしばらく、彼にとってのシャールとは剣を交えたクライフの印象が強い。なればこの外国人である巨漢からも何か得られるのではないかという期待が表に立つ。
出方を観ようと巨漢が小屋に入ったあとも物陰から窺っていたが、思いの外早く出てくる。着替えただけのようだ。たんに上着を着込んだように見えるが、端々の堅さから着込みの鎧が仕込まれている様子だ。
やはり傭兵の類いか。
豪猪はその巨漢が禿げた頭をピシャリと叩きながら腕を組み、あちらも思案顔になった頃合いを見計らい物陰から姿を現した。
物陰から窺っていたものが姿を現すという視界の端の気配に、傭兵稼業のものは無意識に警戒する。対象の隠形が上手ければ上手いほど、知覚していなかったものが現れるから気がつきやすくなる。
豪猪は、意図的に行い、ふと視線を向けてくる巨漢に目礼すると、暫時その視線に訴える。控えめな申し出だが、巨漢は視線だけで衛士を確認すると、かるく顎を平石外周に沿う遊歩道へと向けて歩き出す。――ついてこい、という意思表示だ。
「ありがたい」
武門の倣いとして、やや距離を離したままついて行くこと暫く。巨漢は花壇をベンチ代わりに腰掛けると、ちらりとついてきている豪猪に一瞥をくれると、かりかりと禿げ頭を掻きながら「小腹が空いた」と呟く。
安い賄賂と思いつつ、豪猪は露天で果実をふたつ買うと、一個を巨漢に手渡しながら彼の右隣に座る。
「お武家さまのしきたりってヤツかい? 別に右だろうと左だろうとぶん殴るには困らねえだろうに」
「倣いでな、こればかりは」
果物にかじりつく巨漢の言葉に豪猪はひとつ頭を下げる。
「――おっと、本名は名乗らなくていいぜ」
と、巨漢のほうから豪猪にひとつ釘が刺さる。体面を慮る風土を考慮した物言いに、なるほど慣れた御仁だと苦笑する。
「外国人がしきたりに通じてると、やっぱり多くの武人はそんな顔をするなあ」
「気を悪くしないでいただきたい。むしろ気を遣わせているのではないかと肩身が狭くなる思いだ。――私は浪人、名は伏せて護衛業を営んでいた。通り名は『豪猪』」
「ほほッ」
巨漢は破顔した。その快活な笑みに、豪猪が目を丸くするほどだ。
「なるほど、あの豪猪か。音に聞く傭兵じゃないか」
「お耳汚しを」
なるほど、名を知られてても仕方がない。彼の今までの生き方ならそれは有り難いものであるはずだったが、今となっては心の重荷でしかない。
「聞きたいのはどんなことだい? って、決まってるか」
「――賊とは」
「番外のことだろうな」
「お主」
豪猪は息を飲んだ。ともすれば腰の物に手をかけるも止むなしの不意打ちだった。しかし、巨漢の――鈍色のマルクの大らかな気配がそれをさせなかった。気と拍子の妙だろう。豪猪はこの巨漢の評価を改めねばと内心思う。
「いいぜ、隠し事はなしだ。ん、ちょっと違うな。隠したりはしないというか、どこまで話すかだな。うちの内情は伏せて、あらかた話してやる」
「よいのか」
「よいよい。よいですよ」
もう一口かじりつきながらマルクはひょうげて笑う。
番外、漆黒の魔獣が滅ぼした郷に、密偵がいたこと。その者も殺されたこと。道すがら滅ぼされた村のこと。そしてその手口。そのあとは、水平石の街にもたらされた災い――皮を剥ぐ殺人鬼。
「赤獅子傭兵団。音に聞こえし獅子王子の第一の剣か」
「職にあぶれたら口利いてやるぜ?」
この様子だと、大公の一件も露呈してるとみるべきだろう。豪猪は「こいつは敵わん」と諸手を挙げた。
「私が声をかけるのを誘ったのか?」と豪猪。
「いや、偶然だ。俺は俺で団長から自由にさせてもらってるからな」
「自由に?」
「赤獅子に水平石から遊撃的な調査依頼が来てな。国が国だから非公式。商人づての仕事なんだが、今回の犯人捜しを手伝ってる。まあ同じヤツを追ってたらどこかで交わるだろうと休日返上でお手伝いときたもんでな」
ところで、とマルクは豪猪の額の怪我を指し、「そいつは漆傑衆に?」――やられたのか? という問い。豪猪は「いいや」と短く答える。
「まだ大公に雇われていたときの傷だ」
「――あぁん?」
てことはとマルクがまじまじと覗き込んでくる。確かな刀傷だった。
「相打ちでござった」
「落葉か」
その銘を呟かれ、豪猪も「ほう」と息を呑む。短いやりとりの中で、把握された情報は多い。
「俺は引き分けだったぜ」
「武門の倣いで?」
「いや、ただのケンカ」
快活に笑う。
「そうか、クライフと一緒か」
「あの御仁には息子の命を助けられた。俺はもはや、武士としては戦えん」
クライフとだけではない。今はただいちにんの剣士として信条のみで執るのみだ。倣いから外れたからこそ、自分も武門から見れば番外、外道の類いであろうという思いは確かにある。
「なおのこと、来るなら歓迎だぜ? それともなにか? あんたも近衛希望か」
「近衛?」
「ん、そっちは聞いてないか。おいおいクライフから聞くといい。――そうさな、お前さんにはそっちのが性に合ってるかもしれんなあ」
「――。それはそれとして、調査、同行してもよろしいか」
「ああ、いいぜ。ここで恩を売るのもいいだろう」
「私にではあるまい?」
豪猪も笑う。
「ふたりにだよ」
マルクも笑うと立ち上がる。
「行方知れずの人数に比べ、死体の数が少ないんだ」
「――河に捨てたと?」
話を区切ったマルクの言葉に豪猪は察する。先ほどは川面や川底の調査をしていたのだろう。そこかしこに赤獅子の猛者が駆り出され、こうやって地道な作業をしていると見るべきか。
「ある程度は見つけさせ、ある程度は探せば見つかるように隠す。そして本当に見つけられたくないものは見つからないようにする」
「埋める――ではないな」
ああ、とマルクは小声で首肯する。
「喰うのさ」
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