第12話『対決。ひとり十五秒 2』

 視界が歪み震えたと思った瞬間には、意識が闇に飲まれていた。

 自分の人生がここでおわるやも、いや、死そのものを覚悟はしていたはずだった。命を奪う者として、命を奪われる覚悟なくしては命を奪うことを覚悟した者とは戦えない。果たし合いとはそのようなものと思っていた。


「――覚悟」


 確かに、そうだったはずだ。

 初めに殺した傭兵のことはよく覚えている。カーライル傭兵団のひとりで、撃ち込みを躱しながら頸動脈を刎ね飛ばしたのだ。そのときの手応えを、手の中に感じた異質な、それでいて慣れた感触を血潮の熱さと共に思い出す。


「よく動けたものだ。さすがは落葉を継いだだけはある」

「このときはまだ、騎士見習いの持つ長剣だった」


 誰かの声に、クライフは応える。


「次は室内戦か? 一対多、心臓は早鐘、喉は緊張でからから、ただただ使命感で殺人か」

「主命で剣を振るう。相手は名うての傭兵、体は動いたよ」

「殺人しただけでも、いくつに上るか。平和な国でこれはまた」

「街を抜けたあと、逃走戦線に於いてはもっと斬った。自分から仕掛けたこともある。三人四人、乱戦、迎撃――」


 素直な吐露だった。

 殺人の重みに心が押しつぶされそうになって、自覚なしに倒れたこともある。そしてそれを乗り越えられたのは、護る者がいたからだ。護らねばならない者たちがいたからに他ならない。

 強い心を持つ女性たちだったが、刀刃の前には無力な女性たちだった。

 自分が戦わねば殺される他はない者たちだった。

 彼女らの名は、なんといっただろうか――。


「そこまで思い出さずともよい。……さあ、次だ」

「ああ。龍鱗山脈を越えるときに、騎士団の……騎士……」

「なるほど、ここで落葉を受け継いだか。で、何人も斬った? いや、これは――」


 記憶の中で、誰かはクライフに問うた。


「これは。その二代目ではあるまいか」

「赤龍と青龍。俺が斬ったのは、その兄の方だ」

「よもや、南に逃れていたとはな」


 気になる話なのだろうが、今は次を思い出すのが先だった。

 温かい何かを抱きながら身を投げた記憶がよぎると、さすがに彼と記憶を共にする何者かも一瞬身構えるような気配。


「城に乗り込み、カーライルを討ち取り、その後……」

「なるほど、国を追われたか。難儀なことよの。あの男の弟子になんぞなるからだバーカめ。……で、なるほど」


 シャールの、ガランの風を感じた。

 懐かしい。

 すでに、懐かしさを感じるその風景。

 そこからは、駆け足の記憶。

 ネズミを斬った。牛を斬った。そして、魔女を斬った。

 幾度も魔女へ刀刃を叩き込んだ記憶のたびに、もうひとりの心が揺れる。


「あとは、仕事……か」

「魔獣と魔物、戦い方は斬り覚えるしかなかった」

「で、この記憶は?」

「それは」


 ごく、間近な記憶。

 歌。

 そして少女の記憶。

 ああ、これは『歌の暗殺者』だと彼女は気がついた。

 そこに、落葉。

 まさかと思った瞬間、「やめて!」との声。

 そして体を走る重い衝撃。

 ああ、この剣士は無垢な少女を殺したのだ。本質は関係ない。あくまでもこの剣士はそう信じていたのだ。

 それを戦場の倣いと飲み込んで。

 それを剣者の倣いと信じ込んで。


「殺したくなかった」


 その呟きに、傍観者は、狐白は、歳古いイキモノは「もうよい」と首を振る。

 護りたかった者を斬った。

 それは容赦なく斬割した剣者としての性質と、それを支えるべき彼自身の心のバランスが整っていれば問題はなかったはずだ。

 斬りたくない者を殺した。

 それは生来の強さを携えたクライフの性質と、それを否定せぬ剣士としての強さが十全に備わっていればいけなかったはずだ。


「もう、戦いたくはない。殺したくない。しかし、それがなければ俺に生きる価値もない。戦いからは逃げられない。……導師との戦いは逃れられない。もはや自分の都合で剣は捨てられない。戦わねば、もう誰も救えない。剣で救えるものはあまりにも少なすぎる」


 かつて、それでも剣でなければ救えない者を救うために剣を執っていることを認めた者がいた。

 だが、それがなんだというのだろうか。

 クライフは、その記憶を豪猪との戦いに向ける。


「死んでも構わぬと挑むのと、死のうと自棄になり挑むのとでは、太刀筋は変わるものだな」


 自嘲するクライフ。


「あの剣士には悪いことをした。ああ、俺は殺して欲しかったのかもしれない。……いや、死ぬわけにはいかない。俺は――」

「考えるな。もうよい。もうよいのだ」


 その誰かの言葉を聞いたかと思った瞬間、意識は再び闇へと沈む。記憶を共にしていた誰かが去ったのだろう。

 心を丸裸にされた気分だった。

 瞬間、自分がまだ生きているのだと自覚した。

 死んでいない。

 そして、まだ相手も殺してはいない。

 自棄で挑んだ決闘を汚しきらぬために、今一度立ち上がり雌雄を決さねばならない。

 クライフは両目を見開き、跳ね上がるように上体を起こした。


「ほほう、これは意外。心をひっぱたいたとはいえ小僧の方が先とは」


 鈍い痛みは倒れたときのものだろうか。

 クライフは右目を……斬られたはずのそこに痛みがないのを確認し、視界も良好なことに、白い少女をチラリと仰ぎ見る。


「さっきまで一緒にいた者か」

「左様」


 狐白はと笑う。

 醒めたならば、術の中の出来事は夢のように霧散する。クライフは何を見たのか、見せたのかまでは覚えてはいないだろう。

 事実、そうだった。


「豪猪」


 彼はまだ倒れたままだった。

 落葉の刀身が削った頭蓋に手当のあと。そこでようやくクライフは狐白と並ぶ夕闇とタリムに気がついた。

 頭のもやが、はっきりと消え去る。


「殿下」

「果たし合いは水入りだ。夕闇と、組合の狐白とやらが割って入った」

「その首は?」

「ふたりが相打ちになったときに私を狙ってきた大公の刺客だ」

「そうよ、先に水を差したのは大公。私はこの子を救ったのよ?」


 夕闇がフンと肩をすくめる。


「……負けたのか、俺は」

「こちらも目を覚ましたか」


 豪猪は総てを察したように体を起こす。間近で座り込むクライフと顔を合わせて、「俺の負けか」と苦笑する。

 クライフは首を振り、「私は寝た刀刃で殴ったようなもの。致命傷を負ったのはこちらだ」と目を伏せる。


「だが先に起きたのはお主だ」

「手当が為されたらしい。分はそちらにある」


 その後、ふたりは「はは」と笑い、「仮定の話はよそう」という豪猪の言葉に頷き、立ち上がる。両者、しっかりとした立ち姿だった。


「して、どうなった?」


 豪猪は間諜の首に眉をひそめる。

 まあそうだろうなとは予感があった。だが、こうなっては問題がある。

 そこに差し挟んだのは「組合は一歩退こう。タリム=ハウトが益になる限りは」との狐白の言。彼女の風体に豪猪は「ふむ」と納得した様子だった。その立ち居振る舞いと白く赤い気迫に思うところもあるのだろう。


「私たちの勝ちということ」


 納刀するクライフと豪猪に、夕闇は笑いかける。

 お互いに負けと思った両者は、意識を失ったあとの状況に「む」と唸るが、言い返す名分が見当たらない。


「これだから武門のオトコは」


 とは、さすがに夕闇も口には出さない。この時点で話は組合に軍配が上がり、負けた側は黙るほかはない。


「私の負けか。これで仕官の道は潰えた。さりとて――」


 豪猪は間諜の首を一瞥。


「大公の手の者を殺したとあっては戻ることもできぬ」

「やはり仕官が目当てだったか」と狐白。

「そのとおりだ。……しかし、ハルトは」


 豪猪は歯噛みする。

 事の成り行きは複雑だ。


「私が死んでいれば解放されようが、間者は死に私も生きているとなれば息子を人質にしておく理由もあるまいや」

「人質?」


 クライフはふと俯いた顔を上げる。

 豪猪は事の次第を語る。

 彼が望んだ果たし合いがこのような形であれ済んだ今となっては、口封じの可能性は高くなる。



 狐白は豪猪をそう呼び、ついで夕闇に目配せをする。

 豪猪は「ふむ」と彼女を見て先を促す。

 夕闇の肩が再びすくめられる。


「近いわよ」

「近い?」

「大公の別邸。弓の祠は武門の聖域、近くに武家屋敷を持つのは大家の地位を顕すもの。……あるわよ、いいえ、いるわよ。救いに行けばいいじゃない」


 大公の名前を、彼女は呟く。

 それは豪猪が予想していたのと同じ名前だった。それならば、居場所の当たりはつく。

 しかし。


「できぬ」


 豪猪はしっかりと首を振る。


「剣を預けた手前、刃向かうことは武門として許されん」

「バカじゃないの?」


 夕闇は嗤う。


「果たし合いを汚されたじゃない」

「私が倒れたあとだ」


 豪猪は頑として動かぬ。

 タリムも「ううむ」と唸る。

 それに狐白はと頷く。


「大公の邸宅には、そこに転がってる者の上役が四名。腕のよい忍びが息子を監禁している」


 狐白の言葉にぴくりと豪猪は反応する。「四名よめい――」と押し殺した呟きに、タリムは未だ無言の剣士を見遣る。


「手口は簡単。口封じに走るだろう。顔を見た龍谷の息子は殺され、死体も見つけられぬ場所へ遺棄される」

「仮定で物を言うな」という豪猪も、その言の信憑性に歯噛みしている。

「武門としての豪猪、親としての龍谷のアラヤ=オウルファン、さあ、どちらを取る」


 狐白が夕闇の横で静かに問う。


「私は……俺は、動けぬ」


 武門のアラヤ=オウルファンとしての矜持が、一見勝ったように見える。バードルの倣い。武門の倣い。刀を預けた者への忠義には、仁がからむことは許されぬものという、倣い。美徳。

 が、揺れ動くその狭間に答えを出させるわけにはいかないと考えた者がいた。美徳をいいように使うのは、いつだってそれを強いてきた者だといえる者。


「アラヤ=オウルファン」


 クライフが彼の目を見つめる。


「屋敷の場所は分かるか」

「……貴殿」

「殿下」


 剣士の視線に、タリムは即座に頷いた。


「夜は長い。……今宵は好きにするといい」


 剣士は頷いた。

 豪猪の信じられぬという顔に、クライフは口元を引き締め首肯する。


「俺が行こう」

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