第13話『対決。ひとり十五秒 3』

 豪猪の息子ハルトは、 満月を見上げながら父の帰りを待っていた。

 長屋でもなければ、知り合いの家でもない。父の知り合いと名乗る身なりのよい男に連れられ、まだ乗ることを許されぬ馬に相乗りで乗せてもらい祠の街へとやってきたのだ。

 ただ、今夜は蔵の中だ。

 見上げる月は格子越しの割れたものであったし、「心細いだろう」と常に控えていた父の友人という男たちの姿もない。

 水と、菓子と、弁当が経文机の上に並べられており、「自由に探検していなさい」といわれた土蔵の中は広いが出口はなく、唯一の扉には重固い錠が落とされていたが、これにはまだ少年は気がついていない。


ぼん、大人しくしておるか」


 土蔵の向こうから声がかけられると、ハルトはすぐにその声の主が父の友人のひとりであると思い至った。この屋敷に来てから、「明日は祠に遊びに行こう」と何かと気を遣ってくれている人だった。


「豪猪どのが帰るまで大人しくしておれよ。なあに、すぐに寝られる場所が用意できぬのでそこなだけだ。菓子でもつまみ、月を眺めておるとよい」

「はい、わかりました。ありがとうございます」


 ハルトは壁越しの見えぬ相手に対しても居住まいを正し、声の方向に頭を下げる。素直な子ゆえに、土蔵の鍵も蔵故にかけられているものと思うだろう。少年は自分がこの夜閉じ込められていることをつゆほども思ってはいなかった。


「じきに戻ろう。ゆっくりとしておるがいい」


 男は――漆黒の装束に身を包んだ男の名は。夕闇に首を撥ねられたの上役である。


「しかし、佳い月よ。――弐、参の字」

「ここに」


 土蔵から離れる壱に、弐と参が背の影に付き従うかのように現われる。


「四の字たちは戻らぬか」

「未だ」


 祠には伍の字が、そして遠間からそれを見るの四の字を配置していたのだ。事の顛末は何があろうとも即座に持ち帰ってくるはずである。

 見上げると月は傾き、決闘には適した時刻に差し掛かっているのが見て取れた。


「ふむ。側用人もおらぬ故、かような邸宅は広すぎる。おぬしら、大公はいかがしておる」

「如何様にも動けるよう、馬を用意し、自室にて吉報を待っております」

「左様か」


 壱はフムと唸ると、「事成ったのならば殿下のご遺体を隠し奉るにあたり、あの坊には程よく焼け死んでもらわねばならぬ」と、部下に遺体の偽装案を持ちかける。体の大きさこそ違うが、頭――首ともなれば早々見分けはつかない。


「首尾よく豪猪が戻ったのならば、息子共々あの世に送れ。やられたのなら証拠を消すために蔵に火を放て」

「ここは捨てるのですか?」

「どのみち放棄する手はずであった……らしい。主家に弓引く心苦しさがあると見える。弓の祠には顔向けできぬであろうよ」


 部下は「お言葉通りに」と控え、姿を隠す。

 壱はそこでスンと鼻を鳴らすと、「大公?」と誰何をする。


「ここだ」


 はたして、月夜の庭園、流水流れ込むみごとな池作りのそばで、彼は月影を眺めている。その姿に壱は、見上げる月ではなく水月を愛でる彼の心境を慮る。


「お顔を晒しては成りませぬ」

「よい。壱の字、あれはいくつだったかな」

「いつつと聞いております」


 ハルトの年齢を聞き、大公の眉間にしわが寄る。


「可哀想にのう


 だが、その一言だけだった。

 主家筋のタリムが死ぬことすら当然と思う男に、浪人の息子の価値を問うことはできない。壱の字も、どうやら多分にそちら側の感性を持ちあわせている。彼の部下もそうだろう。


「待ち遠しい喃」


 大公が水月に目を落としながら呟く。


「火龍国に密使を送れば、どんな顔をするやらな」


 もとより、シャールは気に入らぬ。国璽とこの一件のアドバンテージがあれば火龍国との国交にも光が見えよう。大公はその手の光明を見ていたが、部下はそう簡単にはいかぬだろうと思っている。

 北を僅かに魔獣魔物の侵攻路とされたくらいで揺るぐ国と、比べものにならぬ魔の奔流をいなしている火龍国が対等に国交を樹立できるかどうかまでは、わからないのだ。当たりをつけるところから主導しなければならぬゆえ、それは過酷な道行きとなるだろう。

 だが、「シャールに頭を下げるよりもずんとマシ」なのだ。


「――大公」


 壱がそんな物思いに耽る主人に声をかける。

 彼の耳は捉えていた。


「四の字が戻ったようです」

「四の字のみか」


 主は彼の呟き、その意味を十全に感じ取っていた。

 それは失敗を意味している納得であった。


「大公」


 即座に姿を現し控える四の字は、簡潔に「豪猪相打ち。伍の字は夕闇と狐白により首を刎ねられ申した」と、再度控え直す。

 タリム=ハウトは無事ということだ。


「しょせんは水月の夢か」


 大公は土蔵の鍵を池に投げ捨てる。月影が砕け散り、波紋は荒く墨を混ぜるように広がる。


「準備せい。狐白までもが出張ってきておるのならば、首を遺すわけにはいかぬ。館の要所を爆破し、火を放て」

「御意」


 狐白に対し生首を遺すということは、脳を読まれることを意味する。彼は狐白が恐ろしい魔女であることを熟知するひとりであった。

 伍の字の脳は存分に読まれると思った方がいいだろう。

 落ち着いてはいられなかった。


「水路に水が満ちるまでしばし時間がございます。今のうちに館をお離れください」


 参の字が馬を曳いてくると、大公は覆面をし、即座に騎乗するや「任す」と言い残し、裏門から疾駆けで闇夜を抜けていく。迅速な馬使いは、やはり古い武門の者の腕が見て取れる。


「おかしら」


 参の字が壱の字おかしらに聞く。


「あの小僧は――」

「そうだな」


 考えるまでもなかった。


「生焼けでは組合の魔女めに読まれよう。首だけは落とし、持ち帰らねばいかんな」


 そして、回収できぬ場所か、ゆっくり破壊できる場所で打ち潰し燃やすしかあるまい。


「土蔵の鍵は、池の底か」


 決して深くはないが、探していればすぐに火の手に巻かれてしまう。人が集まれば、何もできぬまま逃げるしかない。思う以上に時間はなかった。


「弐の字、参の字、四の字」

「は」

「土蔵より火の手を広げる。これより向かい、首を落とし、弐の字が抱えて処分しろ。儂らは油を広げ包囲しよう」

「は」

「蔵だけは火が回らぬようにしてあるのが徒になったな。まあよい、焼け死ぬより首を刎ねてやるのが慈悲というものよ」


 壱は部下を伴い裏手へと駆ける。

 すでにチラリと見える館の障子灯りが、大きく揺れるように広がっているのが見える。これで失火の証拠は残った。あとは――。


「む」


 四人の間者は気がついた。

 大公が出て行った裏門から、疾風のように駆け寄ってくるひとつの光りを。

 黒き鎧を鳴らし銀光跳ね返す刀刃を立てするすると走り寄る剣士の姿を。


「貴様、殿下の」


 四人は疾走を弱め、彼らの前に滑り寄ってきたクライフの姿に瞠目する。「相打ちしたはず」と叫んだのは四の字だろうか。


 瞬間、ドンと肺腑を揺るがす轟音が裏手を赤く染め上げる。


「何事」


 驚いたのは四人も同じだろう。

 火の手が上がらぬはずの土蔵から爆発。館の仕掛けは手を加えられていたのだ。これは彼らも知らぬことだった。あのまま首を刎ねに行っていたら、手勢に犠牲者も出ただろうと予想できる。

 確実に証拠と目撃者たる少年を殺すという大公の思惑だった。

 しかし、彼らに不平不満の類いは生まれない。

 間者とはそういうものだからだ。


「どけ、貴様には関係ないこと」


 壱の字含め、四人は剣を抜きながら手を払う。クライフには関係のない内々のことに過ぎぬと彼らは思っていたのだ。

 しかしクライフは剣を構え直しながら首を振る。


「そうもいかん」

「そうか」


 今の爆発は火の手を熾すもの。囚われの少年に息があればまだ助けられる。しかし、そう時間はないだろう。

 保って、一分。


「お相手仕る」


 ひとりでも逃せば少年の命はなく、時間がかかればまた焼け死ぬのみ。

 相手は四人。

 ひとり、十五秒。

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