第11話『対決。ひとり十五秒 1』
うめき声すらも聞こえぬ中、タリムは自分の呼吸が荒くなっていくのを如実に感じていた。会って数日とはいえ、己が命を救いに駆けつけた傭兵が、いままさに名目上は違えども刺客のひとりと相打ちになったのだ。
「――なんと」
立会人は決着を見届けるのが慣わし。
あの夜、読経を省略しようとした状況とは訳が違う。一族だけではなくふたりの名誉がかかっている。どちらかの意識が戻るまでは、どちらかがどちらかにとどめを刺さぬ限りは安易に動けない。
「ともに頭蓋。なんたる攻防か」
口に出しては見るものの、一瞬の交錯。達者同士の戦いはこういう者が多いと噂では聞いていたが、同じような構え、同じような撃ちがバシンと重なり合った瞬間、頭蓋は削られ、右目は断たれた。
……双方が倒れ、どのくらいの時間が経ったのだろう。
拝殿の影からこの様子をじっと見る者がいた。
大公の雇った間諜のひとりだ。かつて蛇で屠られたジェロムの遺体を処理した者と同じだ。彼は事の成り行きを報告するために控えていたが、事の決着つきしときは状況により為せと命じられていたのだ。
(いまなら程よい)
間諜は闇に潜みやすい濃緑色の装束を微かに揺らし、墨で塗った目元を薄く開く。闇夜に眼球は鈍く浮かび上がるためだ。同じく墨を塗った短刀を引き抜くと、音もなく構え、無防備なタリムの背後へ、スス――と滑りゆく。
間諜の短刀がタリムの首筋に迫った瞬間、刎ねられたのはその間諜の首だった。
鈍い音を立てて跳ね飛んだそれは、ギョっとして振り向くタリムの右にごとりと落ちる。
「こんばんは、殿下」
「貴様、ゆ、夕闇とかいったな」
剣を手に微笑んでいたのは、あの夜、豪猪に一手譲ると申しつけ退いた女だった。名前がすぐに出たのは僥倖だった。タリムにそう呼ばれ、「話が早いわ」と彼女は少年を無視して昏倒するふたりの元へと寄り、屈み込んで様子を伺う。
まずは豪猪。
彼女は豪猪の首筋に己が剣を突きつけてから、「これで決着」と立ち上がる。
「果たし合いに、水を差すのか」
「先に差したのは大公の手の者よ。あっさり首を刎ねたから忘れても仕方がないけれど、そこに転がってる卑怯者はあなたを殺そうとしたのよ? 私を差し置いて」
「む」
確かに、今思えばそうだったのだろう。
今思わなければそう思えぬほど、彼は動転していることに自分自身でようやく気がつくことができた。
そして、ある意味彼女に助けられたのだ。
「クライフを殺すのか」
端的な物言いに、夕闇は剣の血糊を拭きがてら覆面を脱ぎ去り、「いいえ」と納刀しながら目をもう一度タリムの背後へと向ける。
「――?」
不思議に思い、その視線に誘導されるまま振り返ると、白い何かが立っていた。
「なんとまァ、荒削りの男たちよな」
白い髪、白い肌、ツンと長い耳、そして真っ赤な瞳。
狐白であった。
月下になお白く浮かび上がるその太古の血脈に、タリムは知らず一歩後じさっていた。
「ハウトの、主はあとで。まずはそこな小僧を看るとしよう」
「何をするつもりだ」
そこで言い返せたのは、若さというものだろうか。
それでも狐白は血だまりの外から手を伸ばすようにクライフの元に屈み込むと、その傷つき血に沈んだ右目と、彼の両の手にいまだしっかりと執られている落葉の刀身を見遣っている。
「奇しくも、師と同じ右目を失うか」
ころころと笑う。
「剣者の過去を見るなどという無礼の駄賃に、その目は代わりのモノを仕込んでやろう。……夕闇」
「はい」
狐白は控える夕闇に豪猪の治療を命じる。彼女は懐から出したどろりとした赤黒い軟膏を彼の傷に塗り込む。骨まで見えていた部分に、軟膏を糊として千切れ削がれた皮膚を被せると、ほどなく出血は止まる。
手早く包帯を巻くと、「高価な物だぞ」とばかりに彼の頬を叩くが、意識はまだ戻らない。
「何をするつもりだ……。おまえはいったい」
「私は組合の長、狐白と今は呼ばれている古い古いイキモノよ。はて、またぞろ不死のが暗躍してるかと思い、国璽なぞを持たされた
言葉の衝撃にタリムは詰め寄るが、その動きは狐白の目で制される。彼女の腕は指先まで仄白く光り、月光が漏れたかのような輝きはクライフの右目の傷跡をなぞるように降り注ぐ。
「これは、シャール女王の加護か。まったく、相性は昔から悪かったが、今回は我慢せい」
と、そのときばかりは見た目通りの若い表情で文句を言うと、光りはたちどころにクライフの右目を治癒せしめる。流血の名残は残ったままだが、眼窩眼球は縦に入った傷口もろとも損傷の名残なく在る。
「なんと、妖術。狐白といったな、私の護衛に何をした」
「なに、奏者の走狗と成り果てた不肖の娘を滅ぼしてもらうために、ちょっとした贈り物をな。どうせいま無くした
「要領を得ん。貴様、自分さえ分かっていれば他人がどう思っていようと構わぬ
と、これに笑うよう吹き出したのは夕闇だった。「さすがハウトの末弟、よく見てるわ」と肩をふるわせて立ち上がる。
「……。視てもらわねばならぬものをしっかりと見て取れるようにしてやっただけだ。体組織そのものは変わらん。次代女王には済まんが、先に魔術的にツバつけてやったようなもんだ。気にするな」
「貴様、やはり魔女か」
「魔女は……斬ってもらう不肖の娘。私は魔女ではないよ。ただ生まれが違う、そんなイキモノというだけさ。ふふ」
さて、と狐白は呼吸が落ち着いたクライフの額に右手を添える。
「剣士の過去、剣に纏わる記憶。見せてもらおう――」
「やめぬか! ……むっ」
「黙って見ていなさい、すぐに終わる」
タリムを制した夕闇。「次はあなただけどね」と笑いかけると、狐白の意識は緩く飛び、脳裏に様々な記憶が流れ込んでくる。
クライフの、剣に纏わる記憶。
ぞくりと、鳥肌が立った。
まさに一瞬で、狐白は彼の戦いの記憶を見て取ったのだ。
「これは、驚いたな」
立ち上がる。
「想いまでも読み取ってしまった。流れ込んでくるほどの強烈な後悔。――心はその者の最大の聖域、過ぎた真似をしてしまったな」
タリムを安易に殺そうと決意した者とは思えぬ悔恨に表情が歪んでいる。一族商家のためならば殺傷も厭わぬ女だが、それを外れるとひどく少女なことを夕闇は知っている。だから一緒にいるし、ゆえに憎々しく思うところが多い。
ふと狐白はタリムを一瞥する。
「十五、か」
「そうだ」
年若いことを馬鹿にするようなひびきではなかった。その年齢に、思うところがあったのだろう。
「護られてやるといい、タリム=ハウト。この落葉の剣士に。それが供養となるだろう」
「どういうことだ」
「……本人に聞くといい。くふ、意地の悪いことだがな。護ることで、斬ったことを忘れられるわけはない。それに、『歌』が正しければ、こやつの前に現われるのはかつての彼女であり、今は彼女だった別の少女だろう。かは、つくづく落葉を手にする者は業深い」
狐白はよく分からぬというタリムに向き直り、手招きで呼び寄せると、つい呼び寄せられたことに不満顔な彼の額にそっと手を当てる。次は彼の番だった。
「やめぬか」
さすがに手を振り払おうとするが、夕闇に抑えられる。
ふた呼吸ばかりの間だろう。クライフにかけた時間より長かったのはタリムに意識があったからだろう。
狐白は「ふむ」と夕闇を振り仰ぐ。
「問題なしだな」
「……私が出張ることもなかったわけですね」
夕闇は肩を落としてタリムを解放する。
「何を読んだ」
「家族の思い出」
狐白の笑み。
「ああ、家族は大事だ。血族は大事さ。重ねていおう、タリム=ハウト。落葉の剣士、クライフに護られなさい」
「殺さぬのか?」
「落葉の剣士に貸しは多い方がいい。もっとも、国璽の使い道の中で、バードルに流通させる鉄についてはバードルの商人に任せるという一筆は必ず入れること。さもなくば、他のあなたと入れ替えて書き換えることになるわ」
「……肝に銘じよう」
そのとき、気配が動いた。
ふたつだ。
「さて、どちらが先に立ち上がるか」
狐白は、夕闇は、タリムは目を向ける。
先に跳ね上がるように上体を起こしたのはクライフだった。
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