第1話『ふたりの刺客 1』

 バードルがハウト侯爵の次男が隣国との和平締結に先駆けて、密使として南へと走ったのが先日。その情報を知った国内の有力者のうち、「国を売るとはなんたることだ」と、これを阻止せんと動こうとした一派がいた。

 しかしその動情もすぐに治まった。

 侯爵次男が隣国に入る前に殺されたからだ。


「ああ、同じように考えていた者たちが殺したのだろう」

「よくやった」

「こちらから和平の手を望むのは道に合わぬ」


 そのような声が上がり、しかしすぐに信じられぬ報を聞くことになった。

 侯爵末の息子、タリムが密使に立つと聞いたからだ。

 しかも、国璽を持って。

 国璽を持つとは決定権を持つことに他ならず、しかもそれは未熟極まる少年の手に託されるのだ。どこまでも隣国に都合のよい流れに、「ではもういちど殺すほかはない」と動き始めたものたちがいた。


「国璽は使いようがある。国璽は奪い、タリム=ハウトの首は持ち帰り、何者が死んだか分からぬよう計らえ。見られたら全員殺せ」


 指示を出したのは、『一派』の者。国王に仕える重職の者だった。一派は隣国シャールとの和平を望むもこちらから求めるべきではないという意志を持った者たちの総称であるが、その重職の者は国内の魔獣魔物騒ぎには隣国は隣国でも「火龍国の助けを求めるが道」という考えを強く持っていた。

 そこで重職が白羽の矢を立てたのは、国内きっての遣い手と名高い男――豪猪ヤマアラシの異名を持つ剣士だった。在野の剣士で、見せ物同然の興行で剣闘士として名を上げ生き残ってきた猛者で、もともとはバードルのとある武官の家に仕えていた一族の裔だと聞く。

 本名を捨てた豪猪に、重職の手の者は仕官を餌に話を提示した。


「引き受けよう」


 かくして、豪猪はタリム=ハウトを弑奉り、国璽と首を奪うことを引き受けた。見返りは地位だった。



***



 国とはただの流動する枠であり、そこに囲われ住まう者こそが実質の文化を担うと信じる者がいる。物流などを手がける大商人たちである。

 商人は、望む者がいる場所へ対価を手に運び届け利益を上げる。対価は労力……需要と供給により上下する。その上下を安定させつつ、揺れる損得の天秤の動きを見計らい、いかに損を利用し得へと跳ね上げるか、跳ね上げた得が損に沈み込まぬよう緩やかに散らすかを、常に考える生き物たちだ。

 その生き物たちが暗黙に、しかし明確に協力し合う繋がりを『組合』という。その組合が、南の隣国シャールとの和平を利益を生みにくい単純で継続する損であると判断した。


「まずは話を遅らせる。国璽は奪うな、ただただ、タリム=ハウトの命を奪え」


 誰が判断した内容なのかは、わからない。集団である『組合』が出した道がそれだった。そして組合が白羽の矢を立てたのは、商隊の護衛を引き受ける戦士の中でひときわ異彩を放つ女傑の剛剣士だった。

 通り名は夕闇ユウヤミ。重く鋭い鉈のような剣と、鋭く連射の効く半弓を使う遣り手だと聞く。


「求は一殺、金員五百。詳しくは戻ったら聞くといい」

「引き受けましょう」


 夕闇は引き受ける。見返りは金員だった。



***



 無論のこと、一派と組合が動くことはハウト侯爵の把握するところであった。誘いであるといってもいい。次男が殺され、傷心してもなお、末の息子が命を狙われる事態を望む。

 親であるが、それ以上に彼は貴族だったのだ。

 長男が健在盤石であること、そして自分が未だに国王の座へ片足をかけている自覚があるからこその判断だった。

 まずは揺らす。

 このパワーゲームの見極めは、そこから始まると踏んでいる。

 控えとはいえ国璽を持たせたのも、若輩である末の息子に担わせたのも、勝つために他ならない。本命は自分であり、続く長男であるからだ。

 一派と組合が鎬を削り合えば、隙ができる。

 特に一派の長であるとまことしやかに噂される重職の男の隙もできる。

 覆すのはその機を見てからでいい。

 そして総てが望むように回らなくとも、シャールとのつなぎがつけられるだけで僥倖といえる。ハウト侯爵は改革和平派の筆頭でもあるからだ。

 タリムにはせいぜい励んでもらわねばならない。

 だが、親としての愛情か、はたまた天秤を揺らす一計か、侯爵はひとつ策を思いつく。


「ゴードンを呼べ」


 侯爵は自宅の屋敷に帰ると家令の老爺を呼び出す。


「旦那さま、ゴードンめにございます」

「まあ座れ。……でだ」


 寝酒を持ってきたゴードンを自分の前に座らせると、侯爵は家令に「シャールからの護衛を国内に招こうと思う」と切り出した。


「敵国の者をですか」

「聞けば傭兵と聞く。シャールから届いた符丁は、これだ」


 低卓に乗せて彼がゴードンに見せたのは、銀でできた一葉、『落ち葉』である。掌にすっぽりと収まるブローチのようなもので、見事な彫金仕上げである。「裏を見よ」と促されゴードンが恭しく手に取り裏を返すと、文字が彫られている。


「『合歓の樹木より、ただ一葉』とありますな」


 そっと返そうとするゴードンを手で止めると、「タリムに渡してくれ」と侯爵はひとつ杯を舐める。


「合歓は、名前のない樹木。根無しではないが、向こうからの使者はただのしがらみ薄い傭兵ということだろう。ただ一葉は、つまりひとりのみということだ」

「たったひとりでございますか」


 ゴードンの声に怒気が籠もる。


「あのようなことがあってなお、たったのひとりとは」

「送るのは、こちらの役目だ。息子が殺されたのは、まだこちらの。手落ちはこのハウトのものだ」

「しかし――」


 再び手で制される。


「一派と、組合が動くようだ。社で妻の祖霊に挨拶をしたら、橋の町で合流しシャールに向かえ」

「私めもでしょうか」


 そうしたいという気持ちが漏れていたが、ゴードンの申し出にしかしハウト侯爵は首を振る。


「我が家の家令が一緒では密使にはならぬ。ただのタリムが、ただの傭兵と南に行く。それだけだ」

「で、ありますか。――」


 重く言葉を飲み込むゴードン。

 侯爵は続ける。


「その傭兵は、同じ物を身につけているだろう。ふふ、ただの一葉、木っ端よりも劣る評価だとは思わんかゴードン。せめて腕利きと祈るほかあるまい」

「――。一派と組合の動きとは」

「国璽だろう」


 そう断言した。

 侯爵自体、国璽ではなくタリムの命が同じく狙われるのを知っているが、ことゴードンという家令には伝えてはならぬと思っている。この家令、実直故に融通が利かぬが有能の部類であり、総てを伝えれば策を打つし、総てを伝えなければ探りの後に策を打つだろう。

 伝えず、そして探る暇はない。与えない。


「国璽を奪われぬよう、活躍を祈れ。ゴードン、お前には我が家の家令としての務めがあろう。もうしばらくもすればレドリックの婚礼の話も出るだろう」

「ご婚約でございますか」


 暫時、ゴードンの表情に明るさが浮かぶ。

 レドリックは侯爵の長子で、いまは中央での職務に就いている宮殿勤め。そして婚礼の準備ということは、次男フェドルの喪が明け次第の流れとなるだろう。家の名代として動くべき家令のゴードンならば、家を空けることは許されない。

 再び、表情が重くなる。


「馬を用意させる。なに、急げば何事もなくシャールに届こう。一派も、組合も、表沙汰になるような手は打つまい」

「で、ございましょうか」


 疑問だが、ゴードン自体、事態はそこまで剣呑ではないと高をくくっている部分があった。国璽の行方が不確かとなれば、事を進めた国王よりも、手を打った侯爵の地位地盤が大きく揺るぐ。狙いはまさにそこにあるだろうと思っていたからだ。

 不安が和らぐ。


「奴らは損になることはしない。……では、こちらに傭兵を招く算段はお前に任せる。国境に報せを飛ばしておけ」

「承知致しました」


 一礼し、ゴードンは侯爵の部屋を後にする。

 暗い廊下を腕を組み歩きながら唸り、さてと思案顔となる。

 さりとて、家令として侯爵の命は絶対となる。すぐさま符丁をしたためた文を飛ばす必要があるだろう。


「銀の、落ち葉か」


 もうひとつの符丁。

 こちらが送った十五年物の酒の返礼品。

 その手触りは重く、冷たい。


「どのような輩か、儂も一目見る必要があるな」


 社まで、いや、橋の町まで同行する必要がある。そのくらいは許されよう。

 ゴードンはひとつ頷くと階下に戻り、使用人を呼びつける。


「文を出す。南行きの鳥を用意せよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る