第2話『ふたりの刺客 2』

 その日の朝、バードル最南端の村落に住む厩番の老爺が見たのは、谷川を東に望む掠れ道を来る一騎の傭兵だった。見たところバードルの者ではない。漆黒の甲冑に、金の髪。腰には長剣。単騎故に外敵ではないと思うが、外から来たのならば心当たりがひとつあった。


「ここは、谷川東の村でしょうか」


 その傭兵は、バードルの兵士の手が薄い、魔物の侵攻路ギリギリの河川を北上してきたのだろう。ほぼ道なき道を、ときに魔物と戦いながら来たことが疲弊具合と血と臓物の匂いから伺える。

 下馬した青年に、老爺はそっと訪ねる。


「……どこからきたのかね。ひとりかい?」


 疲れ果てた声だった。

 見れば若い男だが、切れ長の目が放つのは暗い情念。傭兵である限りカタギではないだろうが、それにしても倦んだ何かに押しつぶされそうな表情は明らかに無理をしているそれだった。

 しかし彼が呟いたのは、符丁。

 合歓の樹木より、ただ一葉――シャールからの使者であることは確かな様子だった。


「夜通しきたのかね」


 老爺は青年に「ついてきなさい」と身振りで指示しながら、バードル御用の厩とは別の、村の端にある馬小屋へと案内する。寒村というわけではないが、それでもバードル辺境、敵国シャールにほど近い村であり、人の数は少なくはない。もう少し西にある平野部に布陣されている陣のサポートが主な役割だけに、寂れさせるわけにはいかないのだろう。


「王都からは鳩が。そして赤獅子からも文が届いた。この道はこっそり商人たちが使用する、バードルに開けられたお目こぼし用の道なのさ。シャールだってあるだろう?」


 話しかけるが、青年は静かに頷くのみだった。

 ただただ疲れているような様子だったが、取り返しの付かない何かを躊躇いなく行い、しかしそれを悔やんでいるような、義理人情との板挟みに喘ぐような、そんな顔で辺りを見回している。

 こんな顔をする者には、心当たりがあった。

 罪から逃げてきた、まだ良心の呵責の残った犯罪者のそれだ。


「傭兵か」


 老爺は、まあどうでもいいさと肩をすくめる。


「ワタリと呼ばれている。うちらはこういう仕事をバードルとシャールから請け負っている。抜け荷、入国、いろいろな」

「クライフ」


 それが彼の名前だということだろう。聞いていた名とも一致する。ワタリ――あくまで役職の名の老爺は、懐から銀の彫金を取り出すと並び歩くクライフへと手渡す。


「それがあんたの身元を保証する大切なものだ。鎧の胸にでもつけておけ。裏の金具で革にくくり、貼り付けられるだろう」

「落葉か――」

「何かいったかい?」

「いや、なんでもありません。……ここはもう、バードル領なんでしょうか」


 傭兵? とワタリは首をかしげる。「ああ」と頷きながら、老爺はクライフの言葉遣いに違和感を覚えた。下賤な『抜け荷屋』に対するものではない。言われた通りに鎧に銀の一葉をつけるクライフを、そしてそれを何故か懐かしそうに撫でる姿。


「役職持ちだったか」


 声に出さず、ワタリは感じたまま頷く。

 かつてそこには、彼の心の支えになる何かが刻まれていたのだろう。いや、刻まれるはずだったのだろうか。


「黒に銀は目立つな。いや、くすんだ金縁もあるが、銀の白は目立つ。しかし古い鎧だな」

「貰い物です。……ワタリさんは繋ぎ役でしょうが、ここで落ち合えばよろしいのでしょうか」


 繋ぎ役と見て取っていたと覚しき言葉に、老爺はにやりと笑う。カマにしては、上出来だった。嫌いじゃない物言いだった。

 しかしそれはそれで、ひとつ唸る。


「まあいい、とりあえず入れ。話は馬を休めてからにしよう」


 促されるように馬小屋へと入ると、他に馬は見当たらなかった。囲いのひとつに馬を入れると柵を下ろし、用意されていた飼い葉を改めながら与え、水桶の水もいちど銀の葉に指で撫でつけ色が変わらぬのを確かめてから与える。


「酒はここに運ばれる手はずだったが、まあこれを見て欲しい」

「巻紙ですか」


 細い巻紙は電書の鳥に用いられるものが多い。バードルもこれを使用しているのが伺えると、クライフは受け取りつつフムと目を通す。


「橋の街?」

「ああ、そこまで来いということだ。詳しくは知らんが、うかつに動けぬ理由ができたらしい。それ以外は知らん。ここまで来れば、南へ行く手はずは整えたるけどな」


 うかつに動けぬ理由は、外敵に他ならないだろう。

 護衛を招くとはそういうことだと肌が感じている。

 通常なれば裏を探るところだが、ワタリの伺うような視線を受けてなお、その剣士はひとつ「急がねばなりませんね」と頷いている。


「仕事に含まれているのかね? もらった金に見合わなければ降りても名に疵は付かんだろう」

「十五年物をもってこいというのが仕事でして」

「そらご苦労なこった」

「橋の街へはどのくらいですか?」

「王都南の川越の街でな、こんなはずれの村からだと、まずは道に出てから西へ、蜘蛛網七番に出たら南七番の街までほぼ西、そこからはひたすらに道沿いに北。……蜘蛛網二番、南二番の街が『橋の街』だ」


 首をかしげるクライフ。


「蜘蛛網?」

「バードルの、環状街道の番号だ。王都の回りから外に向け、七周。放射状、東西南北八方に八街道。道には迷わんが、険しい場所も多い」

「蜘蛛網か」


 言い得て妙だった。


「いうほどまるくはないがな。なにぶん山が多い」

「南七番から、北か」

「そいつをつけていれば、その経路なら難なく通れるだろう。そう指示が出されている」

「なるほど」


 ひとつ唸る。

 心なしか、顔に覇気が戻ってきた様子だった。何故だ? とワタリは伺うも、よく分からない。クライフは少し考えると「馬を休ませます」と老爺に告げると、ようやく一息ついて髪を撫で上げる。


「武具を手入れしたいのですが」

「そこは休みを取りたいと言え。――夜に発つのか?」

「いいえ、朝を待ちます。馬の体調は整えておきたい」

「賢明だな」


 クライフは案内されるまま、馬小屋よこの人足小屋に案内される。そのまま「ここを使え。今日と道中の糧食は用意しよう。あと、金の両替だな」と伝え去って行くワタリに礼をいい、一息ついて中へ。


「十五年、か」


 ひとつ呟くと、確認する。ベッドに机、裏手には井戸、朝の分は手持ちを腹に収めよう。今は、装備の確認だった。

 まずは店を広げる。

 広めの机に落葉――数多の命を奪った武器を置き、ナイフ、獣の角、ポーチ。続き、ベッドの上に鎧一式と、鎧下として着込んでいる革鎧を。椅子に座り、ポーチの中の布と油で落葉を、次いでナイフを磨き塗る。

 落葉の刀身は変わらず曇りなく彼の影を映している。通常なれば多少の目減りをしているはずだが、これも女王の力の一端なのだろうか。刃に欠けも毀れも見当たらない。ただただ、戦闘の名残が伺えるだけだった。それも、すぐに拭われていく。

 拭われてしまう。

 しかし、手応えは生々しく残っている。

 骨肉と臓腑を、命を断つ感触が。

 上手く斬れば手応えはない――という者がいるが、それは嘘だ。上手く斬ればそれこそ、体中にその圧が散るだけだ。斬った者の骨肉臓腑に。


「…………」


 手が止まる。

 しかし、すぐに動かす。

 手甲、鉄靴、汚れを落とし、洗い、ぬぐい、手を入れて磨く。

 しかし汚れは落ちるが、何か得体のしれないものが塗り込められていくような感覚。しかし手は止められない。止めてはいけないなかった。止めるべきではないと思っていた。


「橋の街。タリム=ハウト殿下、か」


 救えば――無事送り届け、和平が成れば。

 この重い腹の内も晴れるだろうか。

 斬った少女の名を胸にいちど刻み込むと、彼はひとつ窓向こうの空を望む。

 碧空。

 なんとも青い空だった。


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