第45話『誘蛾の剣 5』

 なんてこった。

 この三日のうちに、ふたりが死んだ。

 ジョッシュは知っていた。

 ちいさな水路橋で首をねじ折られた死体はボルホフだった。顔面こそ陥没していたが、逸るあまりに返り討ちにあったのだろう。

 建築現場で事故死したカールは、しかし不可解だった。しかし、死んだことには変わりはない。

 カールは歌が間に合ったが、ボルホフは聞く間もなかっただろう。そう、ジョッシュは知っていたのだ。

 大河の入り江、その先。獅子の瞳につながる小さな港で行う人足業に紛れ込んでこっち、彼は黙々と働き、愛想を振りまき、仕事仲間に溶け込み、死にゆくまでの何者でもない誰かになっていた。

 しかし彼らは、歌だけは聞こえる。

 どんなに離れていようとも、その強い歌声は、確かに届くのだ。だから、彼はボルホフとカールの死を知っていたのだ。


「ボルホフは恐らく返り討ち。カールは……なぜ死んだ? いや、どうやって殺されたのか分からない」


 恐るべき術、だと思った。

 じっくりと虚実あわせて対象の命を奪う卓越した技術を持つ職業集団である『楽団』ではあったが、近衛の、とりわけ『里』の者たちのそれは広く深く闇に覆われすぎている。

 誘い誘われ、死ぬべくして殺されたのだろう。

 暗殺者が、守勢に回された形だった。


「ディーウェスたちが攻勢に回る決断をしてこれだ。……レーア、無事に殺せるだろうか」


 言葉は飲み込む。

 カールやボルホフはともかく、ジョッシュは平素、レーアと動くことが多かった。仲が良かった。仕事のときは各々が自分の仕事をこなすのみだったが、それでも組むとなったら彼女と組むことが多かった。年長組として、そして年少組の少女たちの仕事を補佐するためだったことも多いからだ。


「おーい、五番の船に綱を積んだら、空荷のまま出しちゃってくれ」


 ジョッシュの今の名で一声かけて、人足の男が指示を出してきた。「わかりました」とひとつ頷くと、ジョッシュは五番の桟橋へと足を向けた。

 考えることは多いが、今は溶け込むことが大事だ。

 ――きっと、カールは匂いを追われたのだろう。

 あのアカネという近衛の特異な能力。彼女の匂いの記憶が確かなうちに、おそらく気が付かれた。嗅ぎ付けられたのだろう。

 いまはこの人足の香りに溶け込まなければならない。

 果たして、五番桟橋には一層の小舟が係留されていた。遡上してきて、沖合の船から運んだ荷をここまで持ってきた小舟だ。ガラン沖ほどの深さがないため、貿易船が停泊することも難しいため、沖合にあるのは小ぶりの帆船がせいぜいだ。深くシャールに食い込んでいるため、バードルの船も近寄れず、故に多くは北を根城にする出入の商船が仕切っている。

 もうひとつの玄関口だった。

 それでも規模は小さい。ガランは国の交易を賄うが、この獅子の瞳の港は、街の周辺がせいぜいだった。

 そんな小舟を係留している綱を解き、手慣れた様子でまとめ、ざんとばかりに舳先に投げ置く。川辺に誂えた港だが、流れはほとんどない。桟橋の感覚も狭いので乗れぬほど流されることはないだろう。

 さて、小舟の持ち主は――と探すこと少し。


「……そうだったのか」


 目の前に現れた彼女を見て、ジョッシュは己が死を悟った。

 何かしらの衝撃を受け、仰向けに倒れ込むように小舟へと落ちるジョッシュ。それでも小舟は大して揺れることもなく、彼の体は木板の上で天を見つめながら、そして確かに歌を聞いた。


「歌か――」


 そう言い残し、ジョッシュは己が命が尽きたのを知った。

 きぃ……と舟が鳴く。

 彼の死に人足たちが気が付いたとき、すでに周囲には誰の姿もなかった。




***




 この三日ほどクライフは訓練用の木剣を手に、アリッサと稽古を重ねていた。コートポニー家の口添えでバードルに向かうまで賓客として扱われるのも息苦しかったので、見かねたアリッサが声をかけたのが始まりだった。中庭の片隅で、この日も二人は剣を交えていた。


「騎士剣術は一通り習ったけれど、ずいぶんと勝手が違うのね」

「ああ」


 アリッサがゆっくりと間合いを外しながら剣を引くと、クライフも残心ののちに剣を引く。お互い稽古用にもなる平服だった。にじむ汗をぬぐい、クライフは大きく大きく息を吐く。


「多くの有能な騎士を育てるための剣術とは違うものを学んだよ。いや、学ばされたのか。ともあれ、故郷の国で習い覚えたものはふたつ。国の騎士剣術と、異国の剣術だ」

「やっぱり騎士だったのね」

「元、だけどね。しかも、見習いだ。中途半端だったんだよ」

「事情が事情だったのでしょうけれど――」


 と、てくてくと東屋に手招きしながらアリッサは「なんでこっちシャールに?」と、三日目にしてようやく尋ねることにした。

 クライフは、ふと空を仰ぎ見ながら東屋の長椅子に腰掛けると、やや気が抜けたように頬をかく。

 彼にしては珍しく、アリッサとの距離を親しげに感じていたからかもしれない。


「いろいろあったのは確かで、様々な事情でシャールに来ることになったのだけれど、思えばこいつを習ったのがそもそもの始まりだったような気がするよ」

「……きっかけはなんだったの?」


 しょうがないわね、といった笑みでアリッサは少し離れて座る。手には水袋で、ひとつをクライフに渡すと、静かに呷って続きを促す。

 ぐいぐいと聞いてくるアリッサだが、不思議とクライフは気にはならなかった。


「辺境の漁村に配属になってね。十六からそこで三年から四年は信用信頼を受けた老騎士のもとで、騎士見習いをすることになったんだ。そこに、師匠がいた」

「師匠?」

「名前は教えてくれなかった。先生とか、師匠って呼んでたよ」

「……へんなの」


 それでも先を促す。


「領主さまの客分で、引退した剣士。隠居生活を送っていたところ、若手の自分に目をつけてね。手持無沙汰だったのか、剣を習うことになったんだ」

「騎士剣術は十六まで?」

「ああ。十三から、十六までの四年余りかな。見習いになってからは、三年と少し、異国の剣術を習った。幸か不幸か、平和な地域故に時間だけはあったからね」


 あの老騎士も面白がって許していたというのもある。

 クライフは知れず苦笑を漏らす。


「戦いにおける考え方の入り口が、やや感覚というか、そういったものが先に来る術でね。人相手に用いるにはなかなかに恐ろしいものだよ。シャールに来てからこっち、魔獣魔物を相手にしたときにも体は動いたが、自分はまだまだ学んだものを十全に活かしきれていないことを痛感したよ」


 ああ、銀嶺士の一件だろうとアリッサは言葉を飲み込んだ。それだけではない含みがあるが、この案件は獅子王子預かりだ。含め、上が、上同士で話すのが筋だろう。


「浸着装甲。音に聞く、三騎士の用いるシャールの秘宝。それが引き出す力には、俺の剣術は遠く及ばないだろう」


 屍人を装甲ごと叩き潰す膂力は、人の範疇を越えている。

 クライフはガランで見たあの死体と、魔女の限界を超えてなお引き出された身体能力を思い出し、息をつく。


「それでも、できることをできるようにするのが武人の務めさ」

「生真面目ねえ。――ふつう、そんな力があったらみんな任せちゃおうとか思うでしょう。力あるものに任せておけば、どんな魔獣魔物が来たとしても倒してくれる。少なくとも私は、私たちはそういう目で見られてるもの」


 クライフは水をひとくち飲みながら、「だろうね」と頷く。

 軽々しい同意ではなかった。そうあるべきと思い作られた秘宝だということを感じたからだ。


「浸着装甲か」

「ええ」

「人々が総てを託すには、まだ弱いさ」


 静かに見つめ返す剣士に、アリッサは「そう……かしら」と言葉を詰まらせる。


「どんなに強かろうと、三人は三人だ。いや、もう三騎士も併せたら、六人か。数人でできることは、数人分しかないんだ。ひとりの手は限られている。突出したものがあっても、使うのは常にひとりだ。どこかのだれかの悲鳴を聞くことはできないし、剣を届かせることだってできやしない。しょい込む背中だって、小さい少女の背中に代わりはないさ」

「……ダランさんと同じようなことをいうのね」

「あの御仁なら、そういうだろうね」


 まさかというような顔で呆けるアリッサに、クライフは静かな表情で頷く。数と力の関係は、剣を使えば使うほど痛感する。


を任せる理由にはなるが、を任せる理由にはならない。責任とはそういうものさ。いつだって」

「そうね」


 やっと、アリッサは笑う。


「それに魔女に不覚を取る不具合もあるしな」

「――それね」


 今度は苦笑だ。

 浸着装甲にはまだまだ底知れぬ不具合がある。

 その原因はいまだ謎だ。


「何か呟いたような気はする」

「魔女が?」

「ええ。――もしかしたら、詩編の一節……とかかも」


 クライフはひとつ考える。


「歌、とか……」


 その静かな呟きに、アリッサは膝を打つ。


「旋律、だったかも」

「そうか」


 歌か。

 クライフはもう一度内心呟く。

 これは近衛ふたりの耳にも入れておくべきだろう。

 そう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます